モバイル革命
「パパ。わたし、携帯電話がほしかっただけなの」
「――あ、ぅ……」
「ただ、携帯電話がほしかっただけなのよ」
息も絶え絶えの父を見下ろしても、そこに親子の情はなかった。
◆
数ヶ月前まで、何でもあった。テレビや車、他にもたくさん。それを全部捨てると父は言った。
父がおかしくなってしまったのは、母が亡くなってからだ。
わたしがこっそり町へ出るのも、気付かないし気にしない。わたしだって母が亡くなったのは悲しかったし、落ち込んだ。だから、外に友達を求めて心を癒すのは、ごく普通の行動だったんじゃないかと思う。
「君のお父様は愛妻家で有名だったから、神に縋りたい気持ちもわかるさ」
「でも、異常よ」
元々、父はどちらかというと熱心に宗教を信じていた。
そうして、母が亡くなる事件が起こってからどういうわけか経典にある〔神は自然を愛す〕という普通の一文を〔神は技術発展を許さない〕に読み換え、数百年前の暮らしに戻そうとし始めた。一応父に説明を求めたが、ただそうであるからだという。また、一部の自然派の宗教学者も賛同した。
まぁ、それはいい。わたしは神様は「いたらいいな」くらいにしか思わないけど、父がそれで心が落ち着くというのなら、それでもいい。自然を愛しているわりには、神が降り立った地という場所には上下逆さまに無造作に突き刺したみたいな大木があるけど、まぁいい。
ただ、それを他人に強制しないでほしい。
「わたし、帝国の携帯電話っていうやつがほしかったの。今じゃテレビも見れないし……」
「こらこら、あんまり言うものじゃない。いくらミレリアでも粛清されるかも」
「自分の宗教観を他人に押し付けちゃダメよね」
そしてそれは他人どころじゃない、自国の国民に、そして他の国の国民にまで押し付けようとしている。
「パパはね、エスファニア帝国に宣戦布告するつもりなの。あの逆さまの木を王国の領地にしたいのよ」
「つまり、宗教戦争……って、こと?」
「そ」
城の中の、何の変哲もない部屋と部屋の間に秘密の部屋があった。
父がそこに何を隠していたのかは知らない。知りたくもない。だけどあそこには精密機器があって、爆弾があった。そしてその部屋が爆発し、母が爆発に巻き込まれた。それを父が自分のせいだと責めるのはまだ話がわかるにしても、その精密機器――ひいては、技術発展に神がお怒りだ、なんて誰が思うだろうか。
父は、母が亡くなっておかしくなってしまった。
「でも考えてみて。携帯電話を作れるってことは、すごい兵器も作れるってことよ」
「それに、王国に軍はない。いるのは王を守る騎士団だけだ」
「王国、焼け野原確定よ」
「ミレリア姫、何か考えがあるのなら聞かせてください」
それまで黙っていた男……。カイルが、そっとグラスを置いた。
「……だめ。巻き込めないから」
カイルは、いつも店の片隅で飲んだくれている男だ。
だけど、みんなカイル先生と呼んで一目置いている。最初はボサボサの髪だし、お酒ばっかり飲んでいるし、あまり近付きたいとは思わなかったけれど、今では一番信頼できる人。
それでも、言えなかった。
父を殺すつもりだなんて。
◆
ナイフの刃にそっと触ってみた。滑らかな曲線を描くそれは、すぅっとわたしの指の皮を裂いた。痛くないくらい自然に切れていた。
刺しても、痛くなかったりして。……そんなわけないか。
切り傷はやがて熱を持ち、ヒリヒリと痛んだ。
ナイフ。そしてそれを隠せるドレス。こっそりと騎士の訓練を見ては体の動きをまねてみる。そんな遊びのような本気の謀反を企てながらも、わたしは日常を捨てることができずにいた。
「ミレリア姫、怪我は治ったようですね」
「えぇ。元々皮膚が少し切れたくらいだから大丈夫よ。それよりもカイル、あなた最近騎士に目を付けられているんじゃない?」
「最近ではありませんよ。何故私が先生と呼ばれているかわかりますか?」
「いいえ。物知りだから?」
「いいえ。私は元々、学者でした。政治学を学び、時には教えていました――が、私の理想の政治は人民の平等。今の王制を否定するものでした」
「だから」
「えぇ。私は王室にとって危険分子なのです」
平等か。確かに、王制は平等ではないだろう。国民から徴収した税金でわたし達は暮らしている。その代わりに、国の代表として泥をかぶる。
そう、クーデターで殺されるのも、父の務めだ。
「……それで?」
「姫の考えていること、少しはわかるつもりです。今の国王は暴走してしまっている。いわば、国民を乗せて暴走している列車です」
「わたしに政治を教えてくれるかしら」
「もちろん」
「じゃあ、……大臣にしてあげる。でも、何をするかは言えないわ。いい? わたしは携帯電話がほしいだけよ」
「そうですか」
一人で成し遂げなければならない。もしも気付かれて処刑されるのならば、わたし一人でいい。
ナイフよりも、毒の方がいいだろうか。テーブルの下でナイフの刃の側面を撫でる。ナイフはわたしの体温を吸収してぬるくなっていた。
クーデターで王を殺した女王、父が暗殺された悲しみの中即位した女王。
後者の方が、いい。
わたしは怖かったのだと思う。父を殺すことよりも、きっと血に塗れた手では仲間に触れられなくなることが、怖かった。
◆
怪しい薬というものは、いくらでも買うことができた。
毒殺を決めた後も、ナイフは手放さなかった。これはわたしの、決意の証だったから。
そうこうしているうちに、戦争は始まっていた。南東に位置する乾燥地帯からの侵攻作戦。じわじわと国境を超えていく騎士達に、帝国も人で対応しているようだった。
「アレを使うのだ」
父がひっそりと言ったのが聞こえたけれど、何なのかはわからない。
わたし、政治も戦争も知らないことばかりだ。
「パパ。……あ、国王陛下、わたくし、席を外します」
「そうしなさい」
それは、部屋に戻る途中のことだった。
昼間だから、明るかった。太陽が落ちたのかと思うような光が、戦場のある方角で瞬き、目がくらんだ。
「姫様、大丈夫ですか!?」
「……、……今の、何?」
「黒き古の魔術でしょう」
「魔術ぅ!?」
そんな力があったというの?
混乱していると、やがてアルダナ侵攻作戦は大勝に終わり、帝国が兵を引いたという報告が入った。一方で、アルダナは焼け野原になり土地としての価値はないという意見もあった。
「……こんなこと、繰り返しては……」
ふと口をついて出てきた言葉に、自分でひどく動揺した。繰り返す? わたしが生まれて、初めての戦争なのに。
騎士は半数となり、付け焼刃のような軍隊が作られた。
次の侵攻作戦は東に広く広がる森、ランビナートを越えることとなった。鬱蒼と生い茂る森は、入ったら出られない死の森として誰も近付かないと聞く。帝国側――森の東側は砂漠となっているので、帝国軍は森を迂回してアルダナを通るのではないかと予測された。
騎士に死の森へ入れと言うのか。それとも、手当ほしさに入った人ばかりの、素人集団の軍隊に?
「……国王陛下、このような侵攻作戦に、なんの意味があるのでしょう」
「お前はわかっていない。帝国は世界征服を企んでいる」
「そこは陛下の手腕で和平へ導くべきです」
「青いな」
父はそう言ったきり、わたしには見向きもしなかった。
させるわけには、いかない。
決行する時が来たのだと、思った。
◆
「パパ、わたしよ」
「珍しいな」
「話がしたくて。やっぱりわたし、戦争には反対だし」
父が寝る前に薬を飲むのを、知っていた。それをすりかえる。それは、簡単にできた。
「お前が戦争に反対だというのは、悪魔に魅入られたからだろう。帝国の技術は――」
毒を飲んだ父が激しくせき込み、血を吐いた。
「ミレ、リア」
「わたしの名前を呼ぶのは、いつぶりかしら」
「何を、入れた」
「毒よ。パパ。わたし、携帯電話がほしかっただけなの」
「――あ、ぅ……」
「ただ、携帯電話がほしかっただけなのよ。でも安心して。わたしはパパと違って、この国を戦争には導かない」
父は諦めたように、目を閉じた。
わたしは何食わぬ顔で部屋へ戻り、久しぶりにぐっすりと寝た。
翌日、わたしを起こしたのはひどい悲鳴だった。恐慌状態に陥る城で、何人かの大臣がほっと胸を撫でおろしているのを確認した。
「ご病気だったのだ!」
大臣の一人が声を張り上げた。そうして、ぐるりとあたりを見渡した。
「国葬を行う。姫様、……即位していただきます」
「えぇ。では、あなたが国葬に関する陣頭指揮を。外務大臣。あなたは、帝国に停戦を伝えて」
和平は、成った。
どう見ても殺害された父は、病死として伝えられた。
わたしのクーデターは、静かに成った。
そこからは気が狂いそうになるほど忙しく、記憶も途切れ途切れだ。様々な手続きと調整を経て、国境のランビナートの森の少し南にある寂れた村で、和平の調印式が行われた。
「この度は、御不幸の中和平へのご尽力、感謝する」
「和平はそちらのご協力があってのことですわ」
エスファニア帝国の皇帝は大きく、恐ろしそうな人だと思った。でも、わたしの方がきっと。この人は、人を手にかけたことなどないだろう。
「あなた」
「はっ!?」
皇帝の護衛の兵士がぴんと背筋を伸ばす。控えている騎士が止めようとするのを制すると、エスファニア皇帝がくすりと笑った。
「携帯電話って、持ってる?」
「所有はしております。しかしながら公務の為、携行はしておりません」
「残念だわ。わたし、携帯電話がほしくて前国王とけんかしたのよ。見たかったわ」
「貿易も活発になろう。いつでもご覧になればよい。友好の握手の様子を写真に撮らせねば。下がれ、ワーズワース」
「はっ」
護衛の兵士は、女性なのね。男女の職業差別も先に進んでいるのかも。これからきっと、帝国の人も物も、どんどん流入してくることだろう。
何もかも帝国に飲み込まれないように、しないと。
父はそれも怖かったのかもしれない。
「父親と違って、底冷えをするような目をする娘だ。父親よりも王位が似合う」
きっと、牢獄も。
「携帯電話がほしいだけの、歳相応の娘ですわよ」
携帯電話が、ほしかった。ただ、それだけだった。ただそれだけで、ここまで来てしまった。