記憶を殺す記憶喪失の生徒会長
時折、壊れそうになる。”昔”の記憶が溢れ返って、気が狂いそうになるんだ。
僕は誰だ。
――西条遼太郎。いや、違う。僕の名前は西条りょう。
彼は誰だ。
――甚雨淳之助。これも違う。彼は甚雨淳。
ならば、”昔”っていつだ。
――……前世。西条遼太郎も、甚雨淳之助も、大正時代に生きていた僕達。
+++
「りょう、また徹夜?」
「……あぁ、おはよう甚雨」
淳はネクタイを調節しながら、自然に隣を歩く。耐えがたい苦痛だ。
記憶がフラッシュバックする。特に、彼が柱に凭れて座っている時なんて吐き気がするほど。僕が”淳之助”を殺す記憶。柱に串刺しにする記憶。そしてその死体にキスする記憶。それと目の前の光景が重なってしまう。前世と似た名前というのがまた何とも言えない気味悪さを増長させる。
あれは、僕の前世だ。罪に塗れた、汚い感情。
「何か考え事? 生徒会の仕事、忙しいのかい?」
「……あぁ……まぁね」
「最近元気ないけど、本当に大丈夫?」
「大丈夫」
近寄らないでくれ。笑わないでくれ。
この手が、今度は君を絞め殺すかもしれない。シャープペンシルをその首に突き刺すかもしれない。この両手で君を道路に突き飛ばすかもしれない。
「……生徒会室に用があるから、先に行ってて」
「りょーかい」
淳は、途中までは一緒に行くつもりなのだろう。変わらないペースで隣を歩いている。
「僕、何かしたかな」
「……何かって?」
「りょうを怒らせるようなこと」
「僕がいつ怒ったんだ」
「うーん……。なんか、最近ツンケンしてるっていうか……」
「…………そんなわけないだろ」
ひゅっと喉が鳴った。あぁ、だめだ。そう思った瞬間、膝がかくんと折れた。
呼吸を正そうとしても、だんだん呼吸が浅くなる。
「……?」
手足がしびれてきた。大丈夫、と言いたいのに言えない……。息をしてるのに、息がつまりそうな……。苦しい。
「甚雨先輩、どいてください! 過呼吸ですよ!!」
「え? 何、りょうは大丈夫なの!?」
通りがかった女子生徒が紙袋を僕の口にあてた。死ぬ……。あ、過呼吸じゃ死なないんだっけ……。何でこの子紙袋なんて持ってるんだろう……。
ゼェゼェと自分の息がずいぶん遠くから聞こえる。寝れたら楽なのに。あ、でもちょっと眠いかも。全身がしびれている。こんなにたくさんの人の前で倒れてはいられないのに、立ち上がれもしない。
「ありがとう。保健室へは僕が連れていくよ。君、名前は?」
「2年2組の鴨川笑美です!」
「あとでお礼に行くよ」
「そんな、いいですよ。早く保健室に連れていってあげてください。それじゃ!」
いつの間にか呼吸は元のように戻っていて、淳に抱きかかえられていた。……疲れた。寝てしまおう。
電化製品の電源を切るように、……こんな風に、意識をシャットダウンしてしまえたら、どんなに楽だろう。
+++
夢を見た。
淳を殺す夢。柱に串刺しにする夢。そしてその死体にキスをすると……”淳之助”が僕の手を取る夢。
「ジュン!」
思わず飛び起きていた。
「何?」
「……あ……あれ? 生きてる?」
「何、僕が死ぬ夢でも見た? 物騒な夢だなぁ」
「……うん」
淳はベッドの横で小説を開いている。
「授業は……?」
「心配だからサボった」
「……何してるんだよ」
「淳って呼ばれるの、久しぶりだったからびっくりした」
淳之助、と言わなくてよかった。空を掴んだ右手が掴もうとしたのは、間違いなく”淳之助”の手だったから。だけど、あぁ。君が包みこんでくれていた、忘れていた記憶が見えたよ。
すっと視界の端で淳が腰を上げるのが見えた。僕のあごを掴み、それを僕が理解する前に唇をべろっと舐めた。
He remembers――淳のモノローグ
「じゅん……」
りょうが喘ぐように掠れた声を出す。前世の僕は、よく遊女のようと形容していただろうか。実際に女に生まれたりょうは、あの”遼太郎”より数倍綺麗だ。頭を撫でると、りょうは満足したように息を吐いた。
りょうはたまに、僕を淳之助と呼ぶ。最初に呼ばれた時はあだ名だとかごまかされたが、あの様子だとりょうにも前世の記憶があるのだろう。前世の僕を殺す記憶が。
僕は構わなかったけれど、それがストレスになって今回過呼吸を起こしたなら、彼女から離れるべきなのだろうか。
「じゅ……の、すけ」
悪い夢なら、覚めてあげてほしい。”淳之助”だって、”遼太郎”が望まない形ではあっただろうけど確かに彼を愛していたのに。”僕”は輪廻の途中で全て受け入れたのに。
何の障害もなく結ばれることのできる形で生まれたのに、また彼が邪魔をする。
「……君は結局何がしたいのさ、遼太郎」
「ジュン!!」
りょうが手を伸ばして飛び起きた。伸ばした手が空を切っている。もしかして、聞こえただろうか。僕に前世の記憶があることがばれてはいけない。冷静に、答えなければ。
「……何?」
「……あ……あれ? 生きてる?」
そりゃ、生きてるよ。もう君に刺されても、君を遺して死んだりしない。僕を絞め殺そうとしたって、シャープペンシルを首に突き刺されたって、道路に突き飛ばされたって。
「何、僕が死ぬ夢でも見た? 物騒な夢だなぁ」
「……うん」
けれどその瞳には、ここ最近の憂鬱そうな影はなかった。……何か、克服できたのかもしれない。
これで僕らは、幸せになれるのだろうか。
「授業は……?」
「心配だからサボった」
「……何してるんだよ」
「淳って呼ばれるの、久しぶりだったからびっくりした」
立ち上がり、ベッドに片膝を乗せる。右手で細いあごを掴む。りょうはぼんやりと僕を見ているばかりだ。軽く口づけると、開いたままだった目がさらに大きく見開かれた。舌でなぞった彼女の唇は、とてもすべすべして、熱かった。
「…………っ!な、なにすんの……っ」
信じられない! きもい! と非難され、強がりだとわかっていても少し傷付く。手で鼻と口を塞ぐと彼女はすぐに黙った。
「うなされながら僕の名前呼んでるのが可愛くって。さすがに寝てるときはやめとこうと思ったけど……」
「そういう問題か!? 違うだろう!」
熱い。熱い。熱い! そう言いながら乱暴にふとんを蹴る姿に、思わず笑った。
「制服……スカートだよ? 覚えてる?」
りょうが慌ててスカートを正す。しわになってなきゃいいなぁ、と他人事ながら思う。
「…………今日は醜態を晒してばかりだ」
「それも可愛いよ、りょう。なぁ、悩みがあるなら僕に言ってくれ。もしも僕を殺したいっていうなら、それも全部受け入れるくらいわけない」
「悩みは、もう解決した……。解決したんだよ、ジュン」
その姿が美しいと思うのは、あぁ、僕を殺す決心をした時のような真っすぐな瞳だからだ。
記憶を殺す記憶喪失の生徒会長――了
お題元:水性アポロ