リアリストに魔法のキス
あまりに地に足が着いていないような奴とは話したくない。
つい先程言われた言葉を頭の中で反芻する。
「私、浮いてないわ」
腰に手を当てて憤慨のポーズ。彼はやれやれと首を振った。
「そういう意味じゃない」
「じゃあどういう意味よ。私が現実逃避でもしてるって言うの?」
「否定できるのか?」
「できるわ。それはあなたがよくわかっているはずよ」
憤慨のポーズのまま顔を覗き込むと、彼は軽く舌打ちした。あまり近付かないでくれ。
深い深い海のような色の髪に、空を詰め込んだビー玉のような瞳。それはとてもきれいで、燃える紅葉のような赤毛の私にはとてもうらやましい。だけど、その瞳にさえ映ればたちまち私も美しいものの仲間入り。だって紅葉は、空に映えるものの代表格だもの。
「ねぇ、魔法はある。その主張のどこがしっかりしてないっていうの?」
「君は証明できるのか?」
「じゃあ、あなたはないことを証明できるの?ないことを証明することの方が難しいわ。それなら、あるって思った方が楽しいじゃない」
「…現実を見ようともせずに何が楽しいんだ」
「あ、待ってよ」
彼はすたすたと歩き出してしまった。たたた、と私が追いかける。すたすた、たたた。乾いたパーカッションでリズムを取る。
「ふふふ」
「何がおかしいんだ」
こちらを見もせずに、彼は言う。さっきは話したくないとか言ったくせに話しかけてくれるんだからとても優しい。
「あのね、あなた、私のこと好きなんじゃないかしら」
「はぁ?逆だろ」
「私があなたを?うふふ、どうかしら」
わざとらしく微笑むと、彼は豆鉄砲を食らった鳩のような顔をした。
+++
吹き抜ける風に、マフラーを巻きつけ直した。
視界の端で揺れるのは隣を歩く同期生の、夕焼け色の髪の毛だ。大学に入学してすぐに仲良くなったのが彼女だった。明るく気が利く、友達が多いタイプ。俺はその友達のうちの一人というわけだ。
「ふふふっ」
「何がおかしいんだ」
彼女は幸せそうに笑う。何がそんなに幸せなのかはわからない。
「あのね、あなた、私のこと好きなんじゃないかしら」
「はぁ?逆だろ」
「私があなたを?うふふ、どうかしら」
彼女はくるりと回った。スカートがふんわりと広がる。そしてそのスカートはゆっくりと元の形に戻った。
どうかしら、って、何だよ。
いつもの彼女なら、そうよ、って返すところだ。まさか本当に俺のことは何でもないのか?
「………」
思っていた以上に、ショックだ。
「………」
「あら、本気にした?」
くすくす笑う彼女が、とても小憎たらしい。
+++
社交ダンスのようにくるりと回ると、彼は私を横目で見た。ねぇ、ほら。一人で回れるのよ。あなたはいらない。そう映るかしら?
「………」
彼はやれやれと額を押さえた。本気にしたのかしら。私が彼を好きだというのは誰が見ても明白なはずなのに。神様だってきっとそう言うわ。私は何でも知っているけど、これに関しては見ればわかる、ってね。
彼の空色の瞳が曇った。こんな顔もするなんて、初めての発見だわ。
「あら、本気にした?」
くすくす笑うと、彼はイライラとした視線を隠しもせずにこちらに向けた。それはまるで大きな鍋でぐらぐら熱湯が沸くよう。
「君が俺を好きじゃないなら、一緒にいる理由がない」
「大した自信ね。そういうとこ、好きよ」
「だが、俺は違う。一緒にいるのは君がついてくるからだ」
「あなたが私についてきてるんじゃないの」
彼の顔を捕まえて、視線を合わせる。空の色を詰め込んだ瞳が、驚いたまま私を見つめる。言いたいことは大体わかるわ。あまり近付かないでくれ、でしょう?
「魔法のキスをあげるわ。あなたは私が好きになる」
「は」
抗議しようと口を開いた彼と、がちっと歯がぶつかった。