ねぼすけティーチャー
彼女の細い髪が教科書をくすぐっている。にやけたような顔をして、そんなに幸せそうにされては起こすものも起こせない。
「……ねぇ、起きないと」
控えめに声をかけても、もちろん覚醒するようなことはない。
1学期もそろそろ終盤に近付き、気持ちがたるむのはわからなくもないけれど。睡眠時間を削り授業の準備をしている私のような新卒新任の教師からしてみると、彼女の堂々たる熟睡は羨ましいくらいだ。
とにかく起こさないわけにもいかない。教師たるもの、生徒を教育せねばならないからだ。
「まったく、大したものね」
溜め息まじりにさっきからどれほどサラサラなんだろうと気になっていた髪に指を絡ませる。起きないんだからこれくらい許されるだろう。猫の体毛のようなそれは、サラサラでふわふわだった。ずるい。左耳には大量の(といっても3つだが、私には大量だ)ピアスがついていて驚いた。教師たるもの、生徒を教育せねばならない、のに。
「…………いい加減、起きてください」
ぽんっと頭をはたくと、痛っとくぐもった声が聞こえた。
がばっと顔をあげた彼女が眠そうに口を尖らせる。
「何ですかぁ、筒井先生……」
「授業、始まっているのではないですか?」
「嘘ッ!! やっば、あ、ありがとうございます!」
彼女は慌てて枕にしていた教科書を抱えた。扉にぶつかりそうな勢いで職員室を出る。それでもぶつからないのだから慣れたものだ。ぱたぱたぱた、とスニーカーらしからぬ足音が廊下に響き渡る。
「廊下を走ってはいけません!!」
「筒井先生、あとで缶コーヒーおごりますー!」
「……まったく」
彼女が走り去った後に、一枚だけ廊下に落ちている白紙の小テスト用紙をつまみ上げる。万が一これが採点済みのものだったら大問題だ。
「まったく」
もう一度呟いて、授業で使うプリントに不備がないか点検する。小テストは多めに刷っていたのだろう、飯野先生が戻ってくる気配はない。そういうところはしっかりしているというか……抜け目ないんだよなぁ。
なのに、ここ最近空き時間には高確率で寝ている。理由を聞けば、近所の公園に目が離せない猫がいるのだと言う。たぶんどこかで飼われている猫だと思う、と静かにポツリと言っていた。
猫ねぇ……。いっそ飼ってしまえと首輪でもあげようかな。そんなことを考えながら準備を進めていると、チャイムが鳴ってしまった。次も空き時間。ただし、副担任としての仕事がある。
席に戻ると、コトンと缶コーヒーが目の前に置かれた。
「今日もありがとうございました」
「ほんと、気を付けてくださいよ……」
猫、かぁ……。こう毎日缶コーヒーを買うのは彼女も大変だろうに。