羊飼いの少年
僕は絵本を置いて、ほうっとため息を吐いた。
挿絵の勇者は、伝説の鎧と兜を身に着け、伝説の剣と盾を持っている。かっこいい。憧れる。
僕は勇者になりたい。
いつもそう言っていた。そうすると、両親はいつも大きなお腹を揺らして笑う。
「お前が望むならいいとも! しがない羊飼いを継げとは言わないさ」
僕の家は村から少し離れた小高い丘の上にあって、村と同じくらいの広さの牧場があった。絵本に描かれている数百年前に激しい戦場から逃げて引っ越しを重ね、最終的にこの村に落ち着いて羊飼いを始めたのだというのが、お父さんの口癖だった。おじいちゃんは変な人で、どこかで暴れて怪我をして捕まっているのでお父さんとは縁を切ってるけど、やっぱり同じく羊飼いで、お父さんに同じように教えてくれたらしい。
だから、口では勇者を目指せと言いながら、羊飼いを継いでほしいと思っているのは明白だった。それでも、優しい両親は僕の夢を優先させてくれた。
「ディス! あそぼー!」
「カレンだ。いいでしょ?」
「いいとも。暗くなる前に帰ってくるんだよ」
カレンは村で唯一の年が近い子どもだ。女の子だけどお転婆で、可愛い。栗色の髪を二つに結っていて、羊みたいで可愛い。
そして何より、僕と同じ夢を持っていた。何度も読み込んだ勇者の物語を広げて、目を輝かせる。
「ねぇ、絶対よ。ディスが勇者になって、私は勇者のパーティーの魔法使いになるんだから!」
「うん。でも、神様はどうやって勇者を決めるんだろう? 生まれてきた時に、この子って決めるのかな。それとも、その時に世界で一番強い人にするのかな」
「うーん……。そこが、全然載ってないのよね。だけど、ディスが勇者になれなかったら、勇者のパーティーに入れてもらえる戦士にならないと。世界で一番強い人を選ぶ場合も考えて、世界で一番強くならないといけないわ」
「そうだよね」
その日、僕はカレンと話し合って傭兵になることにした。勇者という職業はないし、戦士よりも傭兵の方が自由でかっこよさそうだからだ。もちろん、その延長線上に勇者がある。
この頃、村の周りでも徐々に魔物が現れ始めていた。魔物は村のおじさんが農作業の道具で倒せるほどのもので、そこまでの脅威ではないけれど、人間を見ると襲い掛かってくるらしい。
村長が渋い顔で話す集会の途中、僕とカレンは顔を見合わせこっそりと頷き合った。
「カレン、あそぼー」
「いいよー」
いつものように外に出た僕達は、僕の家の倉庫から木でできた棍棒と鍋の蓋を二組見つけた。もちろん、鍋の蓋は盾の代わりだ。
そして、牧場で遊ぶと両親には伝えて牧場に隣接する森に踏み込む。森には、青くてつやつやした物体に目が付いたスライムがいた。そいつと目が合うと、確かにこっちに寄ってくる。
棍棒を握り直して殴りかかる。カレンは、勇者のパーティーの魔法使いが初めて覚えたという火の玉を飛ばす魔法の呪文を唱えた。しかし、僕の攻撃はひらりとかわされ、カレンの火の玉も出てこない。スライムが体当たりをしてきて、僕は後ろに尻もちをついた。
もう一度棍棒を両手で握って、スライムを叩く。カレンも呪文を唱えるのを諦めて棍棒で叩く。何度かかわされたものの、5回ほど攻撃が当たったところでスライムはのびた。
二匹目は無理そうだ。息を整える間もなく、僕達は弾けるように牧場へと逃げ出した。草原にごろりと寝転んで、どちらからともなく笑い出す。
「倒せた!」
「やったよ!」
そうして、森のスライムと戦ううちに僕はある程度のわざを使えるようになって、カレンは火の玉を出せるようになった。スライムから攻撃されることすら少なくなっていった。
初めてスライムと戦ったのが8歳で、それから6年。毎日のように牧場の隣りの森に魔物を倒しに入っていた。
僕もカレンも相変わらず勇者になることと勇者のパーティーに入ることを本気で目指している。回復魔法くらい使いたいけど、僕には全く才能がないようだ。
「毎日倒してるのに魔物が減らないね」
「一番奥は行ったことないよね」
「ボスとか、そういうのがいるのかな」
「今の僕達なら倒せると思うんだ」
最後だし、という言葉は飲み込んだ。
カレンは、火の玉を出すだけではなく小さな氷を出したり突風をふかせたりすることができる魔法の呪文を覚えて、神童として城下町の魔法使いを育成する学校へ行くことが決まっている。
僕も、魔法はからっきしだが武器を棍棒からブロンズのナイフに変え、攻撃の仕方も少しは多彩になってきたので、そろそろ村を出て傭兵として依頼を受けてみようかと考えている。両親は相変わらず賛成してくれるし、きっと勇者になれるさと言ってくれる。
「行こう、カレン」
「えぇ」
僕達は森の奥へと踏み出した。今やスライム達は僕達を恐れて近付いて来ない。
森の一番奥には、小さな泉があった。少し離れて様子を見ていると、そこからスライムが這いあがってきてぷるぷると水を払い、どこかへと消えていく。魔物が湧き出る泉があったんだ。
もう少し近付くと、ぶくぶくとあぶくが出てきて、大きな魔物が出てきた。上半身は人間の女のようで、下半身は魚のよう。その肌も、目も、髪も青く、魔物なのに美しい。
「……お前は……」
魔物は、少し面白そうに僕達を眺めていた。
「で、出たわね! やるわよ、ディス!」
「うん!」
僕達は魔物に挑み、気付くと牧場に寝転んでいた。顔を見合わせ、どちらからともなく笑い出す。
泉にいた魔物は、その周りの魔物とは比べ物にならないくらいに強かった。けれどそのピンチは僕達を強くしたようで、僕は勇者にしか使えないという必殺の魔法を、カレンは火の玉なんて目じゃない業火の魔法さえ使うことができた。そうして魔物を倒した。
「やったけど……、すごい火事場の馬鹿力だったね」
「うん。もう、しばらくは使えるとは思えないわ。だけど、使えるってことがわかった。もっと強くなったら、ピンチにならなくても使えるわ」
「うん!」
僕達はこの、確かな勝利の記憶を胸に、それぞれの道を歩みだす。