魔王の復活
王様からの報奨は今までこなした依頼の報酬額すべてを足しても足りないくらいの額で、僕は城下町で最高の腕を持つアクセサリー職人に婚約指輪の作成を依頼し、拠点にしている町へと帰った。
「ただいま、カレン!」
「……おかえり」
カレンは、ベッドの上にうずくまり布団をかぶっていた。ひどい隈で、寝ていないことを感じさせた。
「大丈夫?」
「……大丈夫。ねぇ、ディス、私――……」
「僕も興奮して寝れなかったよ。カレンにも、ぜひ会ってほしかったな。王様、すごい人だったよ」
「……そう」
カレンは、疲れたように目を閉じた。
「寝る? 僕も」
「……ごめん、一人になりたいの。別の部屋を取って」
「う、うん。うるさくしてごめんね」
部屋を出ると、宿屋の娘が不安げな顔でこちらを見ていた。
「ずっと寝てないみたいで……、その、運んだ食事も、少ししか食べてないんです」
「ありがとう。アイスドラゴンを前にして、怖かったのかもね。大丈夫さ」
次の日も、その次の日も、カレンは部屋から出てこなかった。
僕は宿代を稼ぐために一人で依頼を詰め込み、次第に勇者に一番近いコンビではなく、勇者に一番近い男と呼ばれるようになっていった。
強い魔物たちは、僕の姿を見るだけで逃げていくようになっていた。討伐ができなくなって、僕が受けられる依頼が減ってきた。そして、完全に依頼がなくなってしまったある日、それは届いた。
「ディス様にお届け物です」
注文していた指輪だ。あぁ、そうだ。最近カレンとろくに話してない。だけど、彼女だってきっと待ってくれているはず。
今僕は、勇者に一番近いのだから。もう依頼をこなせないけど、貯金はあるし。
あとは、それをどう伝えるか。
「……ルコス!」
「どうしたぁ?」
「見てくれ」
「うわ、キレーだなぁ」
「カレンにプロポーズするんだ。どういう感じがいいかな? サプライズよりは、スタンダードに片膝をつく方がいいかな?」
「あー……、カレンちゃんにかぁ」
ルコスの顔が急に曇り、歯切れ悪くタイミングが悪いだのなんだのという。
「もしかして、ルコスもカレンのことが好きだった?」
「いや。うーん、今、カレンちゃんの悪いうわさが流れてるんだよ」
「悪い噂?」
「うん。お前への僻みだと思うんだけどさ。まずは、カレンちゃんを連れ出してデートして見せつけてやって、そんな悪いうわさを打ち消してからがいいと思うぜ」
「どういう噂なんだ?」
「そのー……浮気してるー……とか」
僕が顔を顰めると、ルコスの目が泳いだ。もしかしたら、本当はもっとひどい内容なのかもしれない。
「……カレンを連れて城下町に行くよ。そこならそんなこと言う奴はいないだろうし」
「そうだな。この町じゃカレンちゃんが引きこもったことまでみんな知ってるんだ。カレンちゃんにとってもそっちの方がいいさ」
ルコスに別れを告げて、僕はカレンを説得して城下町に拠点を移した。城下町でも、僕の顔と功績は知れ渡っていてカレンは恥ずかしそうにしていた。
そこで僕の耳に飛び込んできたのは、またも宿に引きこもったカレンの悪い噂だった。浮気なんて、生易しいものだった。人間の尊厳も無視したような内容のそれは、カレンの人格を最低に貶めていた。
「カレン……」
早く指輪を渡して、悪い噂なんか消し飛ばしてしまおうと思った。サプライズとかスタンダードとか、そんなことに悩む時間はなかったのだ。
宿へ戻ると、カレンの部屋からは笑い声がした。そうして、僕しか聞いたことがないはずの、二人だけの時の、声がした。
指輪が手からこぼれ落ちる。
噂は、事実だった。金を積めば何でも性的なサービスをするという、噂通りだったのだ。
「……カレン……」
「あ」
カレンはバツが悪そうに起き上がった。あられもない姿のまま、太ももを伝う液体を拭きもせずに、立ち上がった。
「あぁ、ごめんなさい、ディス。取り込み中なのよ」
「……待って。どういうこと」
「お金を稼いでるの。パーティーを解消したいって言おうとしても、ディスが話を聞いてくれないんだもの」
「だからって、こんな」
「意外とね、合ってたみたい」
カレンの笑顔に、脳みそを直接殴られたような気がした。男がそそくさと帰ろうとするので、捕まえる。
「彼女が誰か知っててこんなひどいこと」
「聞いたろ!? 彼女が誘ってきたんだ!」
「……ディス、聞いて。私、ディスが強くなるのすごく嬉しかった。でも、今はもう、……怖い。ディスが、怖いの」
「……」
カレンが言った言葉にぐらぐらと地面が揺れたような気がした。僕の手が緩んだ隙に、男が逃げ出したので追いかける。
「待て! お前だけじゃなかったとしても! お前も、誰も、許さない!」
握りこんだ拳を、初めて人に向けた。
男はバギョッと奇怪な音をたてて、壁にぶつかり倒れた。男の首は可動域外へと曲がり、力なく倒れている。
予想外のことに、何も考えることができずに自分の拳を眺めていた。それから一瞬の後に目撃者の悲鳴で我に返った。
「あれは……勇者に一番近い……」
「手をかざしただけで、人が死んだ……」
あたりを見ると、人々が恐怖に染まった目で僕を見ていた。
「ドラゴンを一撃で倒したとかいう男だろ?」
「ひどいわ――……あんなの、人間のすることじゃない……人間にできることじゃ……」
「魔王」
誰かが言ったその言葉に、喧騒に包まれている街から、一瞬音が消えた。
圧倒的な悪には、圧倒的な正義が。僕は正義じゃないのか。僕が神に選ばれていないから? 王様は民が選ぶのではないかと言ったのに。
「……そんな目で、僕を見るな……」
「あぁ……勇者様、お助けください」
口々に、人々が勇者を求める。僕を指差し、断罪する言葉を口にする。
――でも、今はもう、……怖い。ディスが、怖いの。
「魔王!」「人間業じゃない」「魔王だ!」「復活した」「勇者様」「人間じゃない」「魔王だ」「助けて」「殺した」「ひどい」「殺せ」「魔王!」「魔王だ!」「魔王だ!」「魔王だ!」「魔王だ!!」
「ま、待って――……」
「きゃあああああっ、殺される!」
ただ、助けを求めて伸ばした手は、誰にも掴んではもらえなかった。蜘蛛の子を散らすように、人々が逃げていく。
見上げると、宿の窓から、カレンが。とても冷たい目で、僕を見ていた。
「あ……あぁ……、カレン……」
ふと、カレンがこちらに手を差し出した。その手を取ろうと手を伸ばす。
「……風よ、爆ぜろ……、火よ喚け」
「カレン……?」
「龍の息吹のごとく……燃え盛れ」
それは、再会した日に僕を助けた、業火の魔法の呪文。太陽のように燃え盛る球体がわざとゆっくり唱えている呪文に合わせてみたことのない大きさになり、渦巻いている。
「ゴルグアリア」
「う、うわぁあああああああっ」
僕は逃げた。装備も何もかも置いて、走って城下町を出た。
「魔王が復活した」
その報せは一晩で世界中を駆け巡り、その翌日、教皇が神より神託があり勇者が選ばれたと宣言があった。勇者は城下町の路地裏に住む孤児の少年で、国で手厚く保護され勇者として鍛えられるという。
僕の幸せは一瞬で崩れてしまった。
僕を讃えるための僕の功績は、同じだけの恐怖へとすり替わった。町を守ったことも、ドラゴンを倒したことも、全て、僕の恐怖を語る逸話になった。
「うぅ……なんで……」
勇者に、なりたかったのに。
森や山に隠れながら、僕は家に戻ってきていた。広い牧場。可愛い羊たち。……だけど、家に入るのは躊躇われた。帰ってみて両親がいなかったら、僕はもう立ち直れない気がした。だから、逃げた。家に帰らずに牧場に隣接する森に入った。森は相変わらずで、ずんずんと奥へ進むと、見覚えのある泉にたどり着いた。魔物が湧き出る泉だ。今やどんな魔物も敵ではないので、靴を脱いで泉に足を付ける。
「……ハハハ……、ここで……勇者の魔法も使えたんだっけ……」
「随分と情けない魔王様だこと」
声がしたかと思うと、ぶくぶくとあぶくが出てきて、大きな魔物が出てきた。上半身は人間の女のようで、下半身は魚のよう。その肌も、目も、髪も青く、魔物なのに美しい。
似ている、どころではない。
「倒した、はず。村を出る前に……僕とカレンで。勇者の魔法とか、カレンは業火の魔法が使えて……」
「ふふふ、大きくなりましたね、魔王様」
魔物が、この世の者とは思えないほど美しく笑う。そうだ……、そうだ、あの時、僕たちはこの魔物を倒してなんかいない。
『……お前は……』
『で、出たわね! やるわよ、ディス!』
『うん!』
『……運命の子……、ディスペア。絶望か。良い名だ』
僕達が武器を構えても、魔物は身じろぎもしなかった。
『勇者に近き者。お前はそう呼ばれる日も来るだろう。しかし、それは、泡沫の夢』
『……な、何言ってるの……? 魔物じゃないの……?』
『魔物の言葉に耳を傾けちゃだめよ』
『……わらわを倒した記憶を贈ろう。いずれ四天王と呼ばれるこの澪標を、倒した記憶』
澪標が手をかざすと、僕達は吹っ飛び、牧場に寝転んでいた。使えないはずの魔法すら使えたという最高にハッピーな記憶を植え付けられて。
今度こそ思い出した。あの、勇者になるためのモチベーション維持とまで思って大切にしていた思い出は偽りだった。
「澪標、だっけ」
「お待ちしておりました、魔王様」
澪標が恭しく頭を垂れる。
「……僕は普通の人間なんだけど」
「人間として育ってしまったのですから仕方ありません。が、魔王様は魔王様。これから、ハード面では魔王城の建設、ソフト面ではわらわ以外の四天王を揃え魔物を配下に置くことと聖剣の破壊をしなければなりません」
随分とお役所的な感じだ。それに、絵本で描かれていた魔王の目的が入っていない。
「人を滅ぼすのは?」
「おや、滅ぼしたいならばすべきことのリストに入れましょう」
「い、いや! そういうわけじゃないんだ。必要ないならいいけど、魔王って最終的に何をするの?」
「……それも追々。引っかかるので少し離れてください」
質問はすべて却下され、澪標にせっつかれて泉から浸していた足を拭くこともせずに少し離れる。
澪標が泉の上に手を広げると、ずずず……と水の塊が浮きあがってきた。その中には――。
「母さん! 父さん!!」
「あなたの両親と知られ襲われていたところを保護しました」
「溺れてるじゃないか!」
球状の水の塊に手を伸ばすと、それはスライムよりも柔らかいゼリーのような感触だった。
「寝ているだけです」
「……生きて、る、んだよな?」
「もちろんです」
「……よかった……」
「魔王様」
「ん?」
「わらわのことを、少しは信じていただけたでしょうか?」
澪標の顔は、少し緊張で強張っていた。何か、重い宣告を受けるような顔だ。
「信じないよ」
「……そうですか」
「もう嫌なんだよ、信じて裏切られるのは。だけど、四天王は別に四人見つける。澪標、君は僕の秘書……側近、かな? 僕の全部を任せるよ」
「そうですね。そんな言葉で確かめるなど浅薄でした」
それにしても、魔王かぁ。
「夢見た勇者とは、随分かけ離れちゃったな」
「そう言われてみれば、魔王様はかなり勇者を盲信しているようですが、どうしてあんなものになりたがるのです?」
「世界を救うなんてかっこいいじゃないか。圧倒的な悪に対峙する圧倒的な正義……って感じで」
「あんなもの、神が魔王様に送り込んだ刺客ですよ。多勢に無勢で、わらわ達の魔法も盗んで……。まったく、小賢しいハエです」
「ちょっ、ちょっと待って。勇者は、魔王の最大の敵でしょ?」
「え? 違いますよ。……そこから……ですよねぇ」
澪標はがっくりと肩を落とした。
「魔王様、まずはおじいさまを迎えに行きましょう。そろそろ、魔王様が現れたことでお勤めを終えている頃です」
「お勤めって……」
「セントラル大聖堂の、牢です」
魔物も牢屋に入ることをお勤めって言うんだ……。