帝国歴312年2月上旬3
目が覚めると洞窟の中だった。致死量の花粉は吸っていなかったということだろうか、妙に頭がすっきりしている。
「やぁ、アリス。おはよう」
「?」
猫? いや、人間の体に猫の耳や尻尾がついている。
「…………誰だ?」
「自分はチシャ猫、アリス、大変だよ。白ウサギを探そう」
「は?」
なんだ、頭のおかしい奴か?
「ここは戦場だ、危険だから他で遊びなさい」
「ここは戦場じゃないよ。君の悪夢だ」
……放っておこう。
ガスマスクを着けてライフルを背負う。マシンガンも持って行くか。
「どこへ行くの?」
「そのへんの見回りに……」
「危険だよ、白ウサギにそそのかされた動物たちが君を襲うよ」
「馬鹿な、この森に動物は……」
目の前に猫がいるか。
「で、なんで私が白ウサギを探すことになるんだ?」
「復讐だよ」
復讐。その言葉に頭の隅がチリチリと痛む。誰が言っていたんだっけ。
「君のお姉さんが、白ウサギに殺されたんだよ」
「は?」
「白ウサギの荷物がね、こっちに……あっ」
猫が何かを取り落とす。と、ごろりと何かが転がる。
「…………え?」
姉の、首だった。
こみ上げる吐き気を我慢して、おそるおそる手を伸ばす。恐怖の色を浮かべた瞳、血が垂れた口。首の切り口は荒く、銃で撃ってもぎ取ったような。
こんなこと、できるものなのか?
「これを、白ウサギが?」
「そう」
白ウサギというのもこの猫のように人型なのだろうか。
「さぁ、お行き、アリス。白ウサギは危険だよ」
「そのようだ」
部下はどこへ行ったのだろう。
状況が掴めない。
「こちらウィルソン、ベイル大佐? 今どこです?」
ノイズはするものの、返事はない。
「……壊れてるのかな」
とにかく、白ウサギを探そう。
チシャ猫はウサギに唆された動物も私を狙うって言ってたな……。
洞窟を出て、ふと考える。ヴィンセントと喧嘩したんだっけ。なんでだっけ。
今は姉のことだけを考えよう。
「エヴァ……痛かっただろうな……」
森に入ってしばらくすると、数匹の動物がやってきた。トカゲにカエル。どうしてこんなに大きいのか……。
「アリスを探せ!」
「アリスを殺せ!」
ぞっとして木に隠れる。
あまり無駄な殺しはするつもりはなかったが、そうくるなら仕方ない。木に登って、枝の上に座る。ライフルを構えて撃ち抜くと、動物達はぱたぱたと倒れていった。
白ウサギはいない。木から下りる。と、足元に銃弾が掠った。
「?」
「見つけたよ、アリス」
大きな帽子をかぶった、顔は見えない人間。帽子屋だよ、とチシャ猫がいう声が聞こえた気がした。
「君の得物はショットガンなの? だめだなぁ、ショットガンは殺傷能力が低いよ」
「だから、俺が止めるんだ」
「あぁ、……利き足はちゃんと目標に向けなきゃだめだよ」
帽子屋がショットガンを構える。散弾は避けられない。撃たれる前にケリをつけなければ。
マシンガンを構えて真っすぐ正面から撃つ。
「あっ」
ショットガンが弾かれ、重い音を立てて地面に落ちる。
もう一発撃ちこむ。帽子屋はさっとしゃがんで避けた。そのまま拳銃を構えてこちらに撃ってくる。
「いい反応」
知らず笑顔を作ってしまう。
今度は両手のマシンガンをそれぞれ当てる気で撃つと、帽子屋はギリギリまで拳銃で応戦した後、絶命した。
拳銃で応戦なんてものに無理があったけれど、随分と反撃されてしまった。マシンガンの残弾数はそれほどない。
さて、どうしたものか。一度洞窟に戻って装弾し直した方がいいだろう。
「アリス、順調かい?」
「ううん、白ウサギって、私を狙ってるんだよね?」
「うん、近くにいるよ」
「そうか」
部下たちは無事だろうか。
私が毒を吸ったから置いて行ったのかもしれない。結局倒れたのだから、それは正しい判断だ。ただ、依然無線機からは何も聞こえず嫌な不安を掻き立てる。
「アリスはその華奢な腕で大きな銃を持てるのかい?」
「持てるよ」
ズキズキ、こめかみの辺りがうずく。同じようなことを言われたのは、きっと遠い昔。誰が言ったんだっけ。
ベイル大佐はもちろん、ヴィンセントやドーソンくんは大丈夫だろう。ワーゲルンくんはショットガンだし、ちょっと心配だな。マクレガーくんも、あの子みたいにテンポが遅いから……。あの子って、誰だっけ。
カサリ。不意に足音がして、身を隠す。
銃を持ったトランプ兵が洞窟に入ろうとしている。銃……サブマシンガンか。厄介なものを。
「こっちだよ」
トランプ兵は一斉にこちらに向かってマシンガンを撃ってくる。伏せて小さな岩に隠れたまま、サブマシンガンを両手に構える。
耳を澄ますと、彼らがどこにいるのか面白いほどわかった。
岩の上に腕を伸ばして撃っていく。ドサドサと倒れて行く音がするも、まだ何人か生きている。
「全部は無理か……」
ふと、上の方にぽっかり空いた空洞を見つけ、岩からジャンプして転がりこむ。トランプ兵達は真っすぐ下を探している。
ここまで近いとスナイパーライフルにサイレンサーをつけて一気に叩くしかない。サイレンサーは嫌いだ。綺麗な音が聞けないから。
警戒しながらも、トランプ兵は私がいた方へ歩いてくる。パシュ、パシュ、と間の抜けた音でトランプ兵が倒れて行く。全員倒して空洞からおりて、肩を鳴らす。ふと見ると隣でチシャ猫が笑っている。
「順調そうだね、アリス」
「そうでもない」
チシャ猫はニヤニヤと笑い、それに合わせて指揮棒を振るように尻尾が揺れる。ゴロゴロ喉を鳴らして、私の膝に頭を載せる。
「お前が私の味方なのは何故だ?」
「自分はアリスを導いたから。他は違う、アリスを誤解してるよ」
「それで私を殺しにくるのか」
「そう。白ウサギは別だけどね。彼はエヴァ殺しの犯人であることがバレたと気付いてる。それで他の動物を唆しているのさ」
白ウサギ。どんな奴なのだろうか。狡猾で残忍。聞く限りそうだ。けれど、姉に近付けると言うのはどういうことだ?
わからない。けれど、姉を殺したことには変わりないのだろう。
「……お前は本当に私の味方か?」
「間違いないよ」
「本当に?」
「だって、自分はアリスが好きだから」
「そうか」
猫は照れながらゴロゴロと喉を鳴らす。その頭を撫でて、立ち上がる。白ウサギを倒さねば。
「そろそろ行くか」
「行ってらっしゃい」
どこへ行こうか。
私だったら、狙い撃ちをする。それを白ウサギが知っているとしたら?
ならば白ウサギが森の外に出ることはないだろう。それに、隠れるところがないこの洞窟にも近付かない。北か、南か。……北、だな。
「白ウサギ、私はここだよ」
囁いてみても、白ウサギが来るはずもない。当てもなく歩くのは嫌いだ。あの子のように、迷子になってしまうかもしれない。だから、あの子って誰だ。
誰だろう。誰がこんなに心の奥深くで引っかかっているのだろう。
ドーソンくんがいたら、いいのに。そんなこともわかんないんすか、大佐。って。
「ドーソンくん……。はぁ、何で誰も応答しないんだよ。…………来る」
かすかな足音に振り返る。足元を撃つ威嚇射撃で手足の短い動物はすぐに絶命した。これは悪いことをした。
「……アリス」
それは、アサルトライフルを持った奇妙なたくさんの、鳥。一番大きなアヒルが、合図をして一斉に発砲する。
咄嗟に木の陰に隠れる。背負ったスナイパーライフルを構える。何羽くらい倒しただろうか、少しずつ確実に仕留めて行くと、最後にはアヒルが残った。
少しだけ、マクレガーくんの構え方に似てるなぁ。一度構えて、一瞬下ろす。
「?」
何だろう、不意にアヒルがよそ見をした。このタイミングを逃す手はない。
1、2、3。アヒルがあっけなく倒れる。アヒルが持っていたライフルを拾い上げると、またカサリと音がした。
足元にサブマシンガンを撃ちこむ。鳥……さっきのアヒルより大きなドードー鳥だ。敵か。
「これはお前がやったのか、アリス」
「…………」
片手剣。近距離戦に持ち込まれたらおしまいだ。
木が邪魔で走れそうにない。逃げても距離は取れないだろう。
「……アリス」
「私の姉を殺した犯人を殺す。邪魔するならあなたも殺す。これらは邪魔した、それだけのこと」
「殺したのか」
ドードー鳥が一気に距離を詰めてくる。後ろに下がるけれど、異常なほどの速さで木に叩きつけられる。
木に押し付けられるなんて、随分ロマンチックだ。メロドラマなんかだと、たぶんこの後はキスするのだ。
ドードー鳥の腰に腕を回す。その腰を引き寄せる。
「いい加減目ぇ覚ませ、アリス」
「これ以上ないほど、冷静だよ」
見上げる顔は、どこかで見たことがあるような。私の顎に手を添えるドードー鳥の腰に伸ばした手が、目当てのものを――……。
「おっと、そうはいかねぇぞ」
せっかく拳銃と短剣を掴んだ手を止められ、左手で自分の拳銃を抜きゼロ距離射撃をする。……が、首を倒して避けている。
「やるじゃん」
けれどそう、こいつにキスするのは残酷な死神だ。
掴まれた右手を捻ると、短剣がドードー鳥の腕の皮を傷付ける。一瞬緩んだ手首を引き抜き、回し蹴りをするとさっと避けられる。
彼は戦闘慣れしすぎてる。どうしたものか。
彼が速いならそれを上回る速さで撃てばいい。手持ちで速いのはスナイパーか。ゆっくり撃てるとしたらやはり木の上だろう。木登りばかりしている気がする。
手頃な木の枝に足をかけぶら下がっている状態で、拳銃で牽制する。腹筋を使って上の方に登り、上からガラ空きの背中を狙う。サイレンサーも功を奏してドードー鳥の肩を掠った。心臓を狙ったのに。
「アリス、もうやめろ」
そっと木の上を移動して、また後ろから心臓を狙う。
「そこか」
突然びゅっと空を切る音がして、短剣が飛んでくる。迷彩服の袖を軽く裂き、短剣は後ろの木に刺さった。
面倒になって両手に構えたサブマシンガンを乱射する。避けるなんて。何て奴。
イチかバチか、マシンガンを撃ちながら飛び降りる。上からの銃弾を捌いているすきに、下から撃つ。
首を撃ち抜かれたドードー鳥はゆっくりと倒れていった。飛び降りた時に足が痺れてたら危なかったかも。
しばらく息があがっていたけれど、息を整えてから、また白ウサギを探して歩き出す。