帝国歴312年2月上旬4
ほぼ拠点となっている洞窟へ戻ると、笑顔のチシャ猫が出迎えた。相変わらず白ウサギは現れない。
「本当に白ウサギなんているのか?」
「いるよ」
チシャ猫がゴロゴロ喉を鳴らす。
白ウサギを殺したら。
姉の仇を討てば、私には生きる理由がない。きっと何もかも終わるのだ。
森を歩けども歩けども、白ウサギは一向に見つからない。
「チシャ猫はずっとここにいて安全なのか?」
「自分はアリスにしか見えないから」
「そうなの?」
「そういうものだよ」
「ふーん」
改めて装弾し直して、食料も何も減っていないことに気付く。
ベイル大佐は何も持たずに進軍したのだろうか。
「チシャ猫、何か食べる?」
「自分は大丈夫だよ」
「そう?」
「そういうものだよ」
チシャ猫の常識がよくわからない。
一人で軽く食べて、適当にストレッチする。チシャ猫は笑って見ているだけだ。
「白ウサギ、どこにいるんだろうね」
「さあね。アリスを狙ってることは間違いないんだけど……」
「よし、じゃあまた探しに行こうかな」
「行ってらっしゃい」
洞窟を出てふらふら歩いていくうちに、木の陰の奥で揺れる長い耳が見えた。
「アリス、俺を置いていかないで」
「誰? 君、ウサギ? 白くないね」
こげ茶のウサギ。白くない。
右手に拳銃を持ち、サブマシンガンを左手にぶら下げている。
「俺は止めますよ」
ウサギ、止めないで。そうだ、このウサギも白ウサギに騙されて。
「あなたを撃ってでも」
瞬間、右に持っていたサブマシンガンを取り落とす。ウサギが手にした拳銃が右肩を貫いたのだった。
でも不思議と痛くない。何故だろう、全然、痛くない。
そして痛くないのに崩れ落ちる。右は利き腕だ。くそ、油断した。
「もう、やめましょ、アリス。帰って、飯食いましょ」
ふとこのウサギがなんなのかわかった。三月ウサギだ。言ってることがめちゃくちゃじゃないか。
ドーソンくんに似てる。辛そうな顔や、撃ち方。
彼が私を撃ったくせに、心配そうに抱き起こす。そして止血まで丁寧にしてくれた。ぶっきらぼうで、優しいね。本当にドーソンくんみたいだ。
「そっか、君、三月ウサギかぁ」
でも、悪いけど。邪魔をするなら殺す。拳銃をウサギの額にくっつける。ウサギはくしゃりと笑って、目を閉じた。
「君の撃ち方、私の部下にそっくりだ。とてもいい子でね、帰ったら告白するんだって。きっと女の子は幸せだよ。私も大好きだった。じゃあね、ドーソンくんにそっくりなウサギさん」
そう、大好きだった。ドーソンくん。いつもいつも、私を守ってくれて。
嬉しかったんだ、初めての、年下の部下。小隊は違ったけど。可愛い弟ができたみたいだった。可愛い弟がどんどんいい部下になって、いい男になってしまった。
そんなドーソンくんに似ているウサギを殺すのは忍びないけれど。震える手で引き金を引いた。満足そうに笑うウサギを、洞窟まで引き摺って行く。
「アリス、どうしたの?」
「なんだか、捨てておけなくて」
「アリスは優しいね」
「優しくないよ、全然」
殺したんだから。
右腕がうまく動かない。これ以上他の動物が来たら、白ウサギを倒せない。
「アリス」
チェシャ猫が緊張した声で言う。その視線の先には――……。
「白、ウサギ」
向こうから来てくれるとは好都合だ。
「アリス、残念だよ」
「何も聞きたくない」
マシンガンを構える。向こうも、アサルトライフルを。完璧な構え。駄目だ。あんなので撃たれたらひとたまりもない。考える間もなくマシンガンを撃つ。
「!」
先手必勝、だ。
次の瞬間、白ウサギの体勢が崩れ、私の体は吹っ飛ぶようによろめいた。ライフルが太股を貫通したらしい。数歩後ろに下がって、そのまま座りこむ。
白ウサギはその場に倒れてピクリとも動かない。
「や、った……」
「やったね、アリス」
「うん」
猫の頭を撫でて、ほっと胸を撫で下ろす。と、カサっと何かが胸ポケットで音を立てた。
手紙、だ。差し出し人は、ジェイド・グラッス。
「……グラッス、くん」
どうして忘れていたのだろう。
そうだ、アルダナの復讐をすると言っていた。
ふと見ると、グラッスくんが私の膝に頭を載せて倒れている。その隣には、額を撃ち抜かれたドーソンくん。そして、マシンガンでハチの巣になった、ヴィンセント。
どういう……こと?
ズキズキと頭が痛む。あぁ、そうか、花粉の見せた幻覚で。
けれどグラッスくんの手紙には、ヴィンセントが姉を殺したことが書かれている。
意味がわからない。幻覚じゃない?
「あ……」
肩と太股が熱い。さっきまではなんともなかったのに。
「あ……ぁ……」
私が、殺した。
ドーソンくん。どうして……。どうして。どうして?
痛い。痛い。痛い。いたいいたいいたい。
「あああああああああああああああああ!!!!!!」