ドードー鳥の哀惜
第二部隊が嫌いだ。というより、遠くから狙う卑怯な武器が嫌いだ。その上、非力なくせに戦場で出しゃばる女も嫌いだ。大嫌いだ。
なのにその両方に当てはまるフェイス・ダグラスは大好きだ。第二部隊に所属してさえいなければ最高の女。
「結婚しよう。仕事を辞めてくれ」
「嫌だっつーの。まず付き合ってもないでしょうが、このバカ」
フェイスはあんたが大佐になったら付き合ってあげる、とよく言っていた。一緒に住んで、一緒に飯を食って、キスをしていたので、ただ「好き」と言わないだけの内縁の恋人といったところか。
だが、アルダナの大戦でフェイスは死んでしまった。集中攻撃された会議に出席していた。女が出しゃばるからだ。なんと言おうと、フェイスは戻って来ない。
強くて綺麗な女は、もう二度と現れないんじゃないだろうかと思っていた。のに、知ってしまった。アリス・ウィルソンを。
*
フェイスの部下だったアリス・ウィルソンは、アルダナの大戦で俺と同時に2階級昇進をして大佐になった。ひょろひょろで、フェイスより更に遠くから狙うスナイパーライフルの名手。
大佐になって初めての朝、奴に会った。
「アリス・ウィルソン」
入隊式に向かっているのであろう途中で声をかけると、ウィルソンはさっと敬礼をした。すぐさま返礼をしてくる。少佐の時もフェイスに話しかけるついでにからかっていた。
「大佐昇進おめでとう」
「そちらこそ、大佐昇進おめでとうございます」
「いいよなぁ、女でも卑怯に遠くから狙えば大佐になれる」
「おかげさまで」
皮肉を言うと露骨に嫌そうな顔をするフェイスよりも、笑顔で嫌味を返してくるこいつの方が可愛げがない。
「ベイル大佐、ネクタイが曲がってますよ。それじゃ」
「おう」
ウィルソンに言われてネクタイを正す。スタスタと歩み去ろうとする奴を見て当初の目的を思い出す。
「あ、じゃない。ウィルソン、ちょっと待て」
「はい?」
「第一と第二で合同訓練しようぜ。トーナメントで」
ウィルソンはしばらく考えて顔を上げる。ふうーっとあくびする奴につられて、あくびが出た。
「あー……陸将閣下が良いと言ったらいいですよ。でも、どうせ私とベイル大佐の決勝戦になるんですから決勝戦だけでいいじゃないですか」
「それもそうだな! 閣下にかけ合ってくる!」
正装で走り難いが、陸将閣下の執務室へ向かう。秘書に既に式典会場へ行っていると聞き、閣下の元へ急ぐ。
「閣下、お話が」
「なんだね?」
「第二部隊のアリス・ウィルソンと戦ってみたいと話していたのですが、どうでしょう、余興などに」
「ウィルソンが? そんなこと言う子だったのか。面白い。いいよ」
「ありがとうございます!」
閣下と分れて式典会場へ向かうと、アリスがなにやら頭を下げている。
「!」
あれは! エルスト・ルーデリア空軍第一部隊大佐じゃないか!! なんで奴が楽しげに話しているんだ!!
「ルーデリア大佐と何話したんだよ!」
「は? 席を間違えていたから教えてくださっただけですよ」
「そうなのか」
席を間違うとは間抜けな。しかし、俺もその手で……。
いや、そんなに陸軍は馬鹿ばかりだと思われてもいけないな。
「ルーデリア大佐! ずっと憧れてました! 握手してください!!」
「陸一か。威勢がよくて結構なことだ」
ルーデリア大佐に握手をしてもらい、満足して席に着く。式典はすぐに始まった。そして、寝ているとすぐに終わった。
『それではこれより、陸軍第一部隊大佐、キース・ベイルと同じく第二部隊大佐、アリス・ウィルソンによる武術演舞をお見せします。各隊の新入隊員、及びご覧になりたい方はどうぞ』
待ちに待ったアナウンスに、勢いよく立ち上がる。アリスも眉間にしわを寄せながら立ち上がった。
「……何ですか、これ」
「お前が戦いたいなら閣下にかけあえと言っただろう」
「今はやめろとも言いましたよね」
「引き下がれないぞ、アリス・ウィルソン」
「いい加減殴らせてもらいますよ」
アリスがにっこり言う。剣や銃のレプリカを渡されて、武術演舞が始まった。
合図と同時に得物だという銃を手に取ったアリスに走り寄る。近付けば撃ちにくいだろう。
「それは撃つのに時間がかかるだろう!?」
「馬鹿にすんな」
言葉通り、思っていたよりも早く足元に着弾した。剣を振りかぶると、アリスは銃身で受け止めようとしたが、すぐに後ろにバック転しながら威嚇射撃をするという芸当をやってのけた。
「やるじゃん」
「そっちこそ」
思ったよりも何でもできるらしい。今度は弾の数が多い銃を手に取り、こちらに銃弾の雨を降らせる。避けた先を狙撃するとは、なかなか手強い。
そうくるならば、こっちもとナイフを指に数本挟み投擲する。それをなんと全て撃ち落とされた上に真正面からまた狙撃される。さっきは足元を狙われたが、避けにくく斬り落としにくい微妙な高さを狙われたためにいくつかは当たってしまった。
思わずばったりとその場に寝転ぶ。
「あー、負けた」
一瞬遅れて大きな拍手が起こり、息を整えているとアリスが俺を覗き込んで手を伸ばしてくる。起こしあげると奴はニカッと笑った。
「今度は迷彩服でやりましょうね」
「楽しかった。すげぇ腕だな」
武器が飛び道具だとはいえ、狭い会場は確実に狙撃手である奴の土俵ではなかった。思っていた以上の実力ということだろう。負けを認めるしかない。
見ていたらしいバトラーがニヤニヤしながらやってくる。
「負けたな」
「ああ! 負けた!」
「ウィルソン大佐は経験こそ少ないが士官学校でも天才だって有名だったからな」
「あいつが?」
「士官学校の2年で4年のレベルを上回って全ての銃器で主席だったから、第二じゃ各武器の少佐が彼女を取り合ったんだってさ。今は全ての銃器のスペシャリストってわけ」
「早く言えよ。恥かいた」
俺は完全に勝って奴が泣いて軍を辞めるとこまで妄想していたというのに。まさか負けるとは思わなかった。あまり好きでないという感情がそのまま好意に変わった瞬間だった。
卑怯な武器を使う第二で、非力なくせに戦場で出しゃばる女だけど、実力は認めている奴。それがアリス・ウィルソン。
*
会議以外の時間は、大抵訓練場で訓練をしている。途中で昼飯を食いに食堂へ行くと、珍しくアリスがいた。
「アリス・ウィルソンじゃないか!」
「おや、女に負けたベイル大佐じゃないですか」
「何!?」
喧嘩を売っているのか?
「事実ですよ」
まぁ、確かにそうか。
「それもそうだな」
アリスの横に座り、まだまだたくさんある皿の上を眺める。ずいぶん少ないな。
「君はA定食か。一口くれ」
「じゃあその肉のかたまりもらいますね」
「物々交換だな! いいだろう!」
美味しそうなじゃがいもをもらい、定食の肉をやると大きすぎたのか向かいの部下らしき男の皿に半分載せる。
「彼は?」
「部下のダリウス・ドーソン少佐」
「そうか、恋人なのか?」
ダリウス・ドーソンとやらはブッと飲んでいた茶を吹きだした。真っ赤になりながらアリスに手渡されたタオルでテーブルを拭きつつこちらをチラリとうかがっている。
「私のプライベートは大佐には関係ありませんよね」
「そうだな! ちょっと気になっただけだ!」
「うるさいです」
「お! バトラー!」
通りがかったバトラーを呼びとめると、奴は嫌そうな顔をしながら寄って来た。
「こんにちは、バトラー大佐」
俺に対しての対応とはずいぶん違うような。
「こんにちは、ウィルソン大佐。なんだ、女だ卑怯だと馬鹿にしていたウィルソン大佐に負けたベイルか」
「何だと!?」
「事実だ」
「……まぁ、それもそうか。安心しろ、アリス・ウィルソン。もうお前の実力は認めている」
「はぁ、そうですか」
「それで、何か用? そろそろ戻らないといけないんだけど」
「俺とアリス・ウィルソン、仲良しに見える?」
「ウィルソン大佐が迷惑しているように見える」
そんなはずはない。
「じゃあ、こいつとアリス・ウィルソンは?」
「面倒見のいい上司とその部下に見える」
バトラーがダリウス・ドーソンを見て目を細める。ドーソンは目を伏せて飯を食い続けている。
「そうか……。いや、な? 男女が二人で飯とくりゃ、なぁ?」
「それなら、お前が邪魔しているように見える」
「そうか! 俺もう食ったし行くな。じゃあな、アリスとその部下」
トレーを持ち上げてバトラーと連れ立って戻ることにすると、バトラーはちらっと後ろを振り返って俺を見た。
「あの部下くんの片思いだな。ウィルソン大佐はそういうとこ鈍感そうだから言うなよ」
「わかった!」
「お前本当にわかってるのか?」
「俺のライバルはドーソンってことだな!」
「ちょ……お前なあ」
応援はしない、とバトラーは言った。まぁ、応援はいらない。
*
しばらく何もない日が続いていた。毎日同じような訓練をするというのも飽きるもので、俺は素晴らしい考えが浮かんだ。
さっそく陸将閣下に許可を取り、アリスがいる第二執務室へ向かう。ドアについた小さなガラス窓の奥にアリスの姿を認め、バーンと開けるとアリスは部下達とは対照的に驚きもせず、わずかに眉間にしわを寄せた。
「再戦だ! アリス!!」
「この11月の冷え込んできた時期にTシャツに迷彩パンツとは……なんとかは風邪引かないと言いますしね……尊敬しますよ、本当」
「尊敬だと? おだてるな」
アリスは少しだけ溜め息をついて開きっぱなしのドアに目を留めた。
「ドア、閉めていただけますか」
「お、悪い」
ドアを閉めてアリスのデスクの前に立つと、アリスは本当に嫌そうに頬杖をついている。今日は迷彩服だからこの前のように負けるつもりはない。
「怖気づいたか?」
「そうですね。ベイル大佐、不戦勝おめでとうございます」
「違う、それはお前の勝ち逃げだ!」
「あのねぇ、うちは第一と違って忙しいんですよ」
「大丈夫だ! 陸将閣下の許可は取ってきた」
「……お早い行動で」
「まだここにいたのか」
「!!」
アリスが目を瞠る。いつの間にやら、陸将閣下が俺の横に並んでいた。アリスが慌てた様子で敬礼をするのと同時に敬礼をすると、閣下もすぐに返礼をする。
閣下はアリスの頭をぐしゃぐしゃ撫でて、「娘が欲しかった」とアリスに対しての激励を言うだけ言って出て行った。
「閣下に可愛がられてるんだな」
「可愛いので」
「そうだな!」
確かに可愛い。俺にとっては娘よりも気になる相手だが。
「……再戦は、いつですか?」
「1時間後だ。じゃあ1時間後に大訓練場でな!」
「ええ」
執務室を出ると、陸将閣下が目の前に立っていた。
「まだいたんですか?」
「ストーブのそばにいた、風邪をひいた若者を見たか?」
「……えーっと、はい」
「彼はアルダナの出身だ。ウィルソンにも注意するように言っているが、もしもの時には警戒を怠るな」
「……はい」
アルダナの出身がいるのか。アリスも大変そうだな。
「まぁ、ウィルソンの前では反意も消え失せるようだな。短期間でかなり表情が柔らかくなっているようだ」
「変な女っすよね」
「いい女だ」
それから数十分、ストレッチをしたりして大訓練場で待っていると迷彩服を着たアリスがやってきた。防弾チョッキを着てるな。全力でぶつかってもいいだろう。思わず笑って、ふと思い出して手足に巻いている重りを外して投げ捨てる。
「来たな、アリス」
俺のことは無視して、最前列にいる陸将閣下をチラリと見ながら、アリスがポキポキと首を鳴らす。第二の中佐や少佐の姿と……閣下が言っていたアルダナの奴もいる。
武器を渡されて、アリスが閣下に声をかける。
「では閣下、開始の合図をしていただけますか」
「うむ。用意。開始!」
近付けばこっちのものだ。アリスが両手で拳銃を撃つより前に、距離を詰めると今度はマシンガンに持ち替えて、2丁で撃つ。あれって片手で撃てるものなのかよ。
真っすぐ俺の頭と肝臓あたりを狙ってくるのに対しジグザグに進んで腰に刺していた剣を抜くと、アリスは一瞬戸惑いを見せた。
「やる気あんのか!?」
「あるっつーの」
アリスが叫んで、ライフルを手にとりぱっと側転し、そのまま撃ち込んでくる。足元と、更にその避ける先を予想して撃って来たようで、靴に跳ねたペイントがわずかに着いた。
「やべ、かすった」
「あれを避けるか!?」
決めたつもりでいたらしい。重い剣を捨て、体勢を整えて間合いを詰めて思いきり蹴り飛ばそうと足を振り抜くと素早く体を起こしたアリスの鼻先を空振った。しかし、もう一度腹に膝蹴りをいれるとアリスは抵抗せずに吹っ飛んだ。衝撃を全部逃がすのはいい考えだ。
「ッ、ぐ」
「終わりか? アリス」
ふらふらと立ち上がるアリスに近付き、とどめを刺そうとナイフを手に取ろうとしたが、腰にナイフはなかった。
「あ、あれ?」
「これをお探し?」
一瞬こちらによく見えるようにナイフを見せ、それをそのままこちらにむかって投げる。あんなの、掴み取って反撃すればいい。と、思っていたらそのナイフを更に銃で撃ってとんでもないスピードでナイフが飛んできた。
ギリギリのところで避けて、また間合いを詰めて真っすぐ前から拳を叩きこむと、アリスは拳銃の銃身でそれを止めた。入隊式の時もやられたが、これはけっこう痛い。
「い……!?」
痛がる間もなく、アリスが思い切り片足を蹴り上げる。真っすぐ俺の急所を狙うあたり容赦ない。
「ちょ、お前……」
「ぎゃー! 何でダメージ受けてないんですか!」
「急所は守られてるに決まってるだろ!!」
アリスがマシンガンにたどり着く前に追いつき、ぐいっと迷彩服の襟を掴む。……と、アリスは両手をあげてギブアップを宣言した。
「……参りました」
「勝者、ベイル大佐!」
「お疲れ」
疲れたのか座りこんだアリスの手を引っ張り立たせると陸将閣下がゆったりと歩いてきた。
「二人共いい動きだった。隊員達にもいい刺激になったと思う。大丈夫か、ウィルソン」
「はい、ご配慮ありがとうございます」
「また再戦がしたかったら今度は重機関銃も用意するからな」
「はい。ありがとうございました」
さすがに重機関銃なんてものを出されて勝ち目はない。閣下に頭を下げて歩き出すアリスの元へ、奴の部下達がやってきた。へぇ、慕われてやがる。
「部下がさっさと帰るベイル大佐とは対照的だな」
「バトラー、また見てたのか」
「見に来いって言ったのはお前だろう。蹴り飛ばすなんてね。彼女の部下達がキレてたぞ」
バトラーと一緒にぼんやりと見ていると、救護室へ連れて行こうとする部下とそれを断るアリスとでもめているらしい。
「大佐は女の子なんすよ!?」
そう言って怒鳴ったのは例のドーソン少佐だった。
「わぁ、すごい告白」
「あれが?」
「ウィルソン大佐を女の子として見てるよってことでしょ」
「ふーん……」
しばらく押し問答をしていたが、やがてドーソンがアリスを担ぎあげて救護室の方へ歩き出した。
「あれを見たらウィルソン大佐にちょっかい出すのやめろよ。……ダグラスとは違うんだから」
「……着替える」
勝ったのにどこか釈然としない。
戦争からずっと話題にするのを避けていたからか、フェイスの名前を久しぶりに聞いた。確かにアリスといるとフェイスといた時の満ち足りた気持ちになれるような気がする。
*
肌寒い季節になり、俺の部下達は猛威を振るう風邪にバッタバッタと倒れていった。人形を切りつけても何の訓練にもならない。
第二の訓練に混ぜてもらおうかな。
「アリス!」
善は急げと第二の執務室に来てみると、アリスは冷めた目で俺を見た。
「アリス!! 聞いているのか?」
「…………なんですか、ベイル大佐」
「訓練しよう。お前はたぶん力が足りない。接近戦に持ち込まれたら終わりだぞ」
「私はスナイパーなので心配ご無用です。そこの男連中から好きなの持って行って訓練してください」
どうやら、第一が風邪で壊滅状態だということは知っているらしい。アリスの言う男連中を見渡すと、全員露骨に嫌そうな顔をしていた。アリスの態度が伝染しているように見える。
「いいのか? お、この前の……」
ドーソン、だっけ。この前、アリスに告白してた。
「確か、アリスのこいび「ベイル大佐、私がお相手しますよ」
恋人だよな、と言おうとするとアリスは突然立ち上がった。
「やる気になってくれたか!」
「えぇ。大佐を殴れると思ったら俄然やる気が出てきましたよ。私の体術訓練のサンドバッグになってくださるんでしたよね」
「そうだったか」
「そうですよ。さぁ、行きましょうか」
アリスと連れ立って第一の訓練場に入ると、後ろから小さな空を切る音が聞こえた。振り返って腕を掴むと、パンチを止められたアリスは少し悔しそうに舌打ちをした。
アリスの両手を掴み、あぐらをかいて引っ張るとアリスも目の前に座った。
「動揺してるぞ、どうしたんだ」
「あのねぇ、ドーソンくんは恋人じゃないって言ってるじゃないですか。迷惑かけないでくださいよ!」
「そうなのか? バトラーが彼は彼女が好きみたいって言ってたから」
「そ、それは恋人じゃないし、ドーソンくんが好きなのは……私じゃないです」
「なんだ、アリスの片思いなのか?」
「どこまで馬鹿なんですか! 片思いしてる人はどこにもいないんですよ!!」
「どこにも?」
思わず、アリスの手を握る手に力がこもる。
俺は。何を焦っているんだ。
「ここに一人、お前に片思いをしている奴がいるんだ」
「…………ぁ……」
アリスが青白い顔をしてゆっくりと目を瞠る。
「な、何を言うんですか……心理戦ですか? 冗談は、やめてくださ……」
「冗談じゃない。いつもそうやって逃げてるのか?」
アリスは目を白黒させて弱々しい力で手を振りほどこうとする。
違うだろう。そこは。あんたが元帥になったら付き合ってあげる、って言うところだ。そうだろ?
「わ、私、恋人とか、作る気ないので……」
俺は本当に眼中になかったらしい。恐怖におののく声に、小さく溜め息が出る。その時、入り口に人の気配がした。明らかにほっとして助けを求めたような視線を送るアリスに、ちょっと傷付く。
「……あ、大佐……、俺も訓練……」
「ドーソンくん……」
またお前か。ふらふらと立ち上がろうとするアリスの腕をぐっと引くと、アリスは簡単にこちらに倒れた。膝の上にアリスの軽い体重がかかる。尻も筋肉なのかと思うほどなんか骨っぽい硬さだ。
……違う。もっと、抱き心地のいい、しなやかな筋肉質でないと。
「取り込み中なんだ」
「あ、そっすか。すんません」
意外にもあっさり去ろうとするドーソンに、アリスは悲鳴のような声を上げた。
「そうっすかじゃない! 君は私を護衛するんだろ! 助けてよ!!」
「だそうっすよ、ベイル大佐。すんません」
待ってましたとばかりに、ドーソンが回れ右をしてアリスを引っ張り起こす。少し離れてまた座りこんだアリスを、ドーソンが自然に支えている。
アリスの前にしゃがみ込んで指の背で頬を撫でると、アリスは泣きそうな表情のまま俺を見返した。
「なんだ、やっぱ両想いじゃねぇか」
「?」
「うまくいかねぇよな。ダグラスは死んじまうし、ダグラスに似てると思ったら全然似てねぇし。困らせて悪い」
俺は、アリスのこと好きじゃなかったみたいだ。アリスを無理矢理フェイスの代わりにしようとしてただけで。バトラーはきっと「ほらな」とか言うかもしれない。
こんなに拒絶されるなんて思ってもみなかったのは、否定するにしてもフェイスと同じように笑ってくれると思っていたからかもしれない。
何にしろ、俺の出る幕じゃねぇな。
「ごめんなさい! ま、また訓練しましょうね!」
「おう、よろしくな」
ほんとうまくいかねぇな、フェイス。なんでお前が死ななきゃいけなかったんだ。
*
年が明けて半月ほどした日、珍しい来客に第一の面々はどよめいていた。
ウルリカ・ランカスター。俺が大尉の時に既に少佐で、任務の途中で毒が回っている状態で血まみれのボロボロになって歩いていたのを部下が拾ってきたという衝撃の記憶しかない。しかも直後に大佐に昇進する活躍を見せた女。数少ない、俺が軍人として認めている女だ。
「キース、残念なお知らせよ」
「そうみたいっすね」
「そりゃもう。でもフェイスちゃんが死んだ時よりはマシよ」
平気で心の傷を抉ってくるあたり、俺は認める女を間違えたかもしれないとも思う。
昔はこんな人じゃなかった。血まみれでも真っすぐ任務に当たる強い女性だっていう印象だったんだ。今は目が死んでるけど。
「あのね、アタシ達の思い出の場所で部下の消息が途絶えたの」
「エネラッタですか」
「えぇ、と、いうよりランビナートね」
「ランビナートに思い出があるのは大佐だけだと思います。俺はランビナートの上空から森に突き落とされたりしてませんし」
「あら、アリスちゃんにフラれたからってアタシに当たらないで。あぁ、ごめんなさいね、あなたの部下の前でこんなこと」
情報通にも、性格が悪いにも程がある。
「で、何しに来たんですか」
「ランビナートが近いうちにを戦地になるわ。会議のお知らせに来たの」
「そうっすか、ありがとうございます」
「それじゃ、アリスちゃんのところに行ってくるわ」
猛烈に疲労感を感じながらランカスター大佐を見送ると、部下の質問攻めにあった。
当たり前のように戦争に関することではなくアリスにフラれたということについて。
大佐会議はランカスター大佐が持ってきた以上の情報はなかった。何やらアリスを茶化すランカスター大佐がアリスから離れていくまで待つことにした。
「アリス」
「……ベイル大佐……」
「そんな顔すんな。別に取って食おうってわけでもない。侵攻に関して打ち合わせしよう」
「はい。地図はご覧になっていますか?」
アリスがランビナートの地図を広げる。南北に細長い楕円形の森だ。その北東にランカスター大佐と出会った工業都市エネラッタがあり、南の砂漠地帯にアルダナがある。
「この森の西に進んでいきます。一応、初日は着陸したところでキャンプ、翌日の到達目標がこの西にある洞窟です」
「おう」
「シャハト大佐との話では森の北東に大きな更地があるのでそこに着陸するとのことです。この時点で軍用機の風圧で花粉が舞うのでガスマスクの着用を厳命しておいてください」
「花粉?」
いきなり花粉と言われても、俺は花粉症じゃない。
「あの森は吸いこんだら中毒症状を起こしたり、最悪死んだりする花粉を撒き散らす花を咲かす木が大半です。……アディントン大佐が言ってましたよね」
「そうだったな」
ランカスター大佐の思い出の毒花粉か。個人的には痛覚麻痺が起こると言うのは戦いやすそうなのだが、吸い過ぎると死ぬらしい。困ったものだ。
その後アリスはテキパキと侵攻作戦を決め、執務室へ戻るために別れた。
「1ヵ月後に戦争が始まる」
執務室に戻るなり言うと、部下達は不安げな表情を浮かべた。楽しそうにする奴はいないのか、まったく。
*
1ヵ月はひどく早く過ぎて行き俺はランビナートの森に降り立っていた。
『全員しっかりガスマスクの装着をしているな? 本日はここでキャンプだ』
アリスの声がした。あっちも着いたみたいだな。やけに元気なのはあいつの飛行機がシャハト大佐直々の運転だったからだろうか。俺の飛行機の揺れはひどいものだった。
『大佐、揃ってます』
『了解、ベイル大佐、そちらはいかがですか?』
「滞りない」
短く答えて、テントを立てていく。
『全員、テントの中でガスマスクを外したかったらテントに入る前に花粉を落とすこと。でも一応外さないことをお勧めする。女性隊員は一番奥の私のテントに来るといい』
「あー……男女問わず貞操の危機を感じたら即射殺しろ。馬鹿は要らん」
アリスの言葉に補足すると、あまりの眠たさにあくびが出た。半ば奇襲のような作戦のため、闇に紛れての着陸だった。眠い。
ガスマスクにはマイクが付いているから、いつものキャンプのように怖い話や猥談もできない。寝るしかないな、と横になる。
『大丈夫、今日はゆっくり寝て』
テントが同じになった女性隊員達に言ったのだろう。アリスの優しい声に、心なしかよく眠れた。
幸い、銃声がすることはなかった。日が昇るよりも早く起きると、ガスマスクをつけていても食べられる流動食を腹に流し込んだ。
「全軍、起床! 出発する。なお、テントは空軍が回収するので持っていく必要はない」
『……それぞれの小隊に別れて西の洞窟を目指す。日没までには辿りつくように』
『はい』
『さて、じゃあウィルソン小隊出発します』
アリスがのんびりと出発を告げる。おい、まだ準備できてない奴は絶対いるぞ。
西へ、西へと歩いていく。一応、王国に進攻するだけのはずだった。
『こちら、レイス中佐。沼を北に迂回中敵発見。交戦する』
『了解、気を付けて』
『……敵はガスマスクを着けていない。森を出るまでは脅威でないと思われる』
ランカスター大佐は1分も森にいない間に致死量よりわずかに少ないくらいの花粉を吸ったのではなかっただろうか。あ、あれは大佐がヘリから落ちる時に大きく木を揺らして花粉をまき散らしたからか?
『……これより、木に登って西側全方向に花粉を降らせます。探索で木に登っている人は速やかに下りて』
「そんなことできるのか?」
『少なくとも、ここから1キロ程度なら花くらい撃ち抜けます。普通に進んでいてください。私の小隊の人は、申し訳ないけれど休憩していて』
花くらい、とは簡単に言ってくれる。俺は数十メートル先でも無理だ。ましてや花みたいな小さなもの。
『撃ちます。グラッスくん、白い花だ。準備はいいね?』
『はい』
アリスの宣言通り、花粉が舞うのが見えた。霧雨のように降り注いでいるのを眺めつつ進軍を続けていると、レイス中佐が言った通りガスマスクをしていない王国軍に出会った。しかし、花粉を大量に吸っているのか、俺を見るだけで精いっぱいのようだ。
「すごいぞ、アリス。花粉が散ってて敵が既に瀕死だ」
『……それじゃあ、そのまま進みます。進軍再開』
それからはしばらく、敵と遭遇することはあっても問題は特になかった。
『こちらナイトレイ、敵発見につ』
『ナイトレイ、どうした!?』
『ナイトレイくん?』
おそらく第二の少佐の声がしたと思ったら途切れ、どこかで轟音がした。
『爆発?』
『……ナイトレイくん!』
「自爆されたな。敵も切羽詰まってるってこった」
アリスのナイトレイに呼び掛ける声が何度か聞こえた。知らない奴だが、これを聞いてるほうがけっこうキツい。
『こちらドーソン。洞窟に到着』
不意に、ドーソンの声がした。あいつもこっちか。まぁ、アリスと話す時間はまったくないだろうが。しかしあいつが一番乗りというのがちょっと悔しい。
以来、数名から洞窟に到着したと報告がくる。
『遺体を発見した人はいないの?』
ナイトレイという奴の遺体のことだろうか。アリスが洞窟に着いたら探したいと言い出すに違いない。
『あー……なんか、裸の遺体なら、何体か見ました』
『………………迷彩服とガスマスクを奪われている可能性がある。怪しい動きをする者がいたら即刻射殺して構わない』
『……見分け方は』
『そうだな、全軍、上官に向かって整列! 今遅れた者は射殺』
俺の小隊は、半分以上が遅れたり別の奴に向かって整列したりしていた。大尉達がアリスの命令通り引き金を引いた。俺も目の前の遅れた奴を切り捨てる。
『次、いいね? 全軍、上官に敬礼! 敬礼が違う者と遅れた者は射殺』
同じように挙動のおかしいものを切り捨てる。残ったのは3割程度。
「…………アリス」
『何ですか、ベイル大佐』
「俺の部隊、ほとんどすり替わってた」
『援護は?』
「いらない。今から目的地へ向かう」
『こちらももうすぐ着きます』
なんだ、慰めてほしかったのか? 俺は。いつの間に。どうやって。人数が減った分、洞窟へはすぐに着いた。
どうやら奥の方はガクマスクが必要ないようで、ドーソンがアリスに駆け寄っている。
「……みんなは、無事でよかった」
ほんと、部下に慕われてやがる。肩を叩くとアリスは無理に笑っているような笑顔で振り返った。
「アリス、無事だったか」
「……ベイル大佐も……。私」
「だめっすよ、大佐。遺体探しは戦争が終わってからっす。休んでください」
「………………まだ何も言ってないのに」
ドーソンがアリスの腕を掴んで諭すと、アリスは困ったような顔で笑った。思った通りだ。
「……上官の立場になったら誰でも考えることだ。……だが、俺も今は認めない」
「ベイル大佐」
「だめだ」
しばらく睨みあって、アリスが目を伏せた。こういうところはしっかり女であるとこを見せるから困る。
「……一応、この洞窟周辺を巡回しましょうか」
「そうだな、三人一組くらいで……」
「……グラッスくんは残ってていいよ」
「え、そんな。自分も行きますよ」
「君は……方向音痴だから、むしろ残っててほしいっていうか」
ジェイド・グラッス。たしか、例のアルダナ出身の奴か。そんな奴を一人で残すわけにはいかないな。
「お前も残っとけ」
元から自分で見張ると言っていたし、任せても大丈夫だろう。
「何で」
何でときたか。さて、見張ってろと言うわけにもいかない。
アリスの肩を少し強めに押すと、簡単にふらついた。ドーソンが慌ててアリスの腕を掴んで俺を睨みつけた。
お前がいる方向に押しただろうが。
「ふらふらじゃねーか。木登りしたんだろ。他より疲れてるんだから休んどけ」
「……はい」
アリスが大人しく答えてグラッスに微笑みかける。
「大人しく待ってようか、グラッスくん」
「はい」
「アリスが行かないならグラッスは連れて行った方がいいんじゃないか?」
褐色の肌のレイス中佐という男が蒸し返すので黙って拒否して歩き出す。なんで中佐のくせにアリスを呼び捨てにしてるんだ、馴れ馴れしい。
「さっさと行くぞ」
「……はい」
洞窟の周りを見回っている最中、突然無線が入った。
『アリスが……、アリス・ウィルソンがジェイド・グラッス上級大尉を殺害し逃亡中だ』
「あ?」
洞窟に戻ると、確かにジェイド・グラッスの遺体があった。威力の高い銃で数発撃たれたような痕がある。
「レイス中佐、どういう……。大佐が、なんでグラッスを」
「見ての通りだ」
「で、でも……ベイル大佐、ウィルソン大佐がこんなことするわけないっすよね!?」
混乱しているドーソンが俺の肩を掴む。
「お前、アリスが急所を外すと思うか?」
「……いえ」
「俺はアリスじゃないと思う。……死体が汚い」
実際のところ、アリスが作った死体の状態など見たことはない。だが、どうにも違和感があった。
「……仕方ない、休まずに進軍しよう。犯人がアリスであってもなくても、この場にいないのは問題だ」
再びガスマスクを付けると、疲労も取れぬまま進軍することとなった。
しかし、実際に聞こえてきたのはアリスが笑いながら部下を殺している声。ドーソンの呼び掛けにすら答えない。
『……アリス・ウィルソンの反逆行為を確認。見つけ次第殺せ』
『ドーソンくん……。はぁ、何で誰も応答しないんだよ』
応答しないのはアリスだというのに、随分と意味不明なことを言う。
銃声のする方へ向かうと、アリスが部下と対峙していた。
「これはお前がやったのか、アリス」
『……』
剣をチラリと見て、アリスは数歩後ずさる。俺が立っている周りには、おびただしいほどの死体が転がっていた。得意なのは狙撃だろ? やっぱ強いな。
「……アリス」
『私の姉を殺した犯人を殺す。邪魔するならあなたも殺す。これらは邪魔した、それだけのこと』
姉を殺した? 何の話かさっぱりわからない。姉がいるとかいうことすら知らないくらいだ。
だが、邪魔はしなければ。これ以上部下を失うわけにはいかないのだ。
「殺したのか」
アリスの殺気がこもった声を無視して出方を窺い、一気に距離を詰め、アリスを大きな木の前に追いこむ。ガスマスク越しに見下ろすと、アリスはくすりと笑って俺の腰を引き寄せた。
「いい加減目ぇ覚ませ、アリス」
『これ以上ないほど、冷静だよ』
アリスがにっこり笑う。キャラじゃないだろう。
アリスの手が俺の腰に装備していた拳銃と短剣を掴もうとする前に、細い手首を掴む。
「おっと、そうはいかねぇぞ」
すると、アリスはニヤリと笑い、利き手ではないはずの左手で自分の拳銃を抜き迷わず引き金を引いた。思い切り首を倒して避けると、また笑う。
『やるじゃん』
掴んだままの手をあり得ない角度に捻られる。ギリギリ可動域ではあるが、痛くて曲げられない角度。アリスが握ったままのナイフが俺の腕章を切り裂いた。一瞬手を緩めてしまった隙を突いて手首を引き抜かれた上に回し蹴りを叩きこまれそうになるのを咄嗟に避ける。
しまった。距離を取られた。もう一度距離を詰めようとすると、アリスはさっと木の枝にぶら下がりこちらを牽制してくる。近付けないでいると、勢いよく木の上に登り、隠れてしまった。
殺される確率が数百倍にあがってしまった。小さな小さな、金属音が真後ろから聞こえた。瞬間、肩を銃弾が掠める。隠れているとはいえ後ろを取られるとは。
「アリス、もうやめろ」
ナイフに手を伸ばし、アリスをどうにか説得しようと試みる。
また小さく金属音が聞こえた。
「そこか」
振り返り、ナイフを投げつける。アリスの舌打ちが聞こえて、マシンガンの銃弾が降り注ぐ。やっとのことで木陰に逃げ込むも、アリスは容赦なく銃弾の雨を降らせる。
ふと、一瞬俺から着弾点が遠ざかった。が、木から飛び降りたらしいアリスが目の前にいた。次の瞬間、真正面から銃弾が俺を貫いた。1勝2敗、だ。倒れた拍子にガスマスクが外れ、毒花粉が舞う空気を大きく吸い込んでしまった。もう、助かる見込みはない。
目の前にいるのは俺に銃を向けるアリスのはずなのに、フェイスが満面の笑みを浮かべている。毒花粉の、幻覚か。フェイスは、好きだと言っていた花に囲まれて美しく笑っている。次に会ったらちゃんと、結婚しようって言うから。だから、会いたかったって、言ってほしい。