Mymed:origin

キャロルの現実

 君をスカウトしたい。その脳までくらくらするハスキーボイスの勧誘は、アタシの正常な思考を麻痺させた。
 そこがどのような場所かはわかっていた。そして、その時に生まれた感情が意味を持つことはないということも、全部、全部……わかっていた。

***

 アタシが配属されたのは王国の陰。薄気味悪く、潜入などの情報収集から暗殺まで王国の後ろ暗い仕事を一手に引き受ける騎士団とも軍とも違う情報戦略局。
 表で華々しく活躍する二番騎士団から名誉の引き抜きだった(上司が言うには)。情報戦略局に異動になった後に会った元同僚はアタシが死んだと聞かされていたらしく、アタシが生きていたと人に話したら“死んで”また同僚となった。ついでにアタシ達は厳罰をくらって帝国への潜入任務を命じられた。なんでアタシまで。死んだことになったのならそう言ってほしかった。
 アタシは帝国陸軍のブレーンである陸軍第五部隊へ、同じく飛ばされた同僚は海軍第五部隊にそれぞれ潜入することになっている。帝国軍は王国の騎士とは違って多い上にハイテク。それでも戦力が拮抗しているのは、王国には宮廷占術師や宮廷魔導師と呼ばれる嘘か本気かよくわからない存在があるからだ。圧倒的な力を持つ非現実的なものがあるわけではないけれど、帝国の数手先を読むのが得意なことは確かだ。

「本日付けでアルダナ駐屯地より異動になりました。リタ・ヘラント大尉です。よろしくお願いします」

 リタ・ヘラント。アタシの偽名。恋慕う上司が付けた名だ。

「話は聞いている。ユージン・アディントン中佐だ。よろしくな」

 敬礼してみせると、真面目くさった顔で中佐が頷く。大佐はいないようだ。
 陸軍第五部隊執務室。噂に聞いていた通り、機密だらけの部屋だ。デスクに並べられた書類に書いてある、新しい軍用機の詳細から皇帝の血縁者の情報まで全てを王国に報告する。

「うまくいっているようだな」

 不意に聞こえる上司のハスキーボイスに少しだけ鼓動が早まる。

「万全、です」
「さすがだ」

 上司の好きそうな言葉を選んだからか、嬉しそうに笑う。それだけで顔が熱い。アタシは、きっとあの時の選択を間違えていなかった。この人の部下になるという選択を。

「……任務に戻ります」
「賢明だ」

 それからは順調に情報を流し続けた。海軍の第五部隊に飛ばされた同僚が消えるまでは。
 それは、合図だった。

***

 闇に溶け込むように暗い色合いの情報戦略局の制服に着替えて、王国に戻った。

「リタ・ヘラント、戻りました」
「ヘラント? 戻れなんて言っていない」
「いいえ、上司が頃合いだろうと」
「お前の上司は私――……」

 素早く拳銃を抜き、そのまま引き金を引く。比較的近距離であったのも幸いして局長は1発で絶命した。

「アタシの上司は一人しかいないのよ」

 あとはこの部屋を木端微塵にしてしまえば、この任務は終わる。私は帝国陸軍に……愛しい上司の元に帰れるのだ。まぁ、嘘の情報を流し続けていたから爆破には保険的な意味合いが大きい。
 その前に、帝国に有利な情報を持ち帰る必要がある。いくつかデータをコピーして、帝国軍の腕章の裏側に縫い付けたポケットに入れ込む。

「確か、自爆装置が……。ありました」

 マイクに向かって話しかけ、どこかで聞いているであろう上司に報告する。

『あと3分で爆破装置が作動します』

 機械音声が無機質に部屋に響く。

「そんな……3分じゃ逃げられない……。大佐、アタシもう……」
『屋根に登れ』

 大佐の言葉を聞き、弾かれたように窓を破って屋根によじのぼった。すると、空軍のヘリが急降下してきた。ヘリからぶら下がるハシゴに誰かいる――……。

「『ランカスター!』」

 イヤホンからの声と、耳に直接届く声が重なる。

「『掴まれ!!』」

 なんで。
 必死にこちらに伸ばしてくる腕に掴まると、大佐は強い力でアタシを引っ張り上げた。アタシがハシゴに掴まると、大佐もアタシの腰の後ろから腕を回してハシゴに掴まる。

「爆風がくる。しっかり掴まれ」
「はい」

 幸せすぎて、今なら死んでもいい。
 ヘリがその場から離れるとすぐに凄まじい爆風がハシゴを大きく揺らした。
 しばらくぶら下がったままで国境に広がるランビナートの森を過ぎようとした頃、大佐が静かに口を開いた。

「お前は帰れても帰れなくても、大佐だ。ランカスター」
「はい?」

 意味を問うために大佐を見上げると、大佐はトン、と軽くアタシの肩を押し、アタシは……ランビナートの森に、落ちた。

***

 体を丸めて、パキパキと枝を折りながら落ちていく。
 何が起こった? 何故大佐がアタシを?
 しかし、考えている暇はない。ランビナートの森には毒の花粉を撒き散らす花がある。確か森を過ぎきる直前だったし今は夕方、太陽を背にして30秒も走れば森から出れるはずだ。
 鼻と口を押さえながら走り出す。予想通り、すぐに森を抜けることができた。森からかなり離れたところでようやく新鮮な空気を肺に入れると、思わず大の字に倒れこんだ。
 呼吸が整わないまま考える。大佐が何を考えているのか。帰れなくても、というのはたぶん殉職扱いになるということだろう。しかし帰れたら大佐ってどういうことだろう? その時には大佐がいないということだろうか。中佐の3名はどうしたのだろう。
 中佐の誰か、もしくは全員が反意を抱いている? ことが起こるのが今日で、大佐は殉職覚悟でそれを止めるつもりでいるとしたら。アタシは今日だけでも戻れないように仕向けたとしたら。
 きっとそうだ。大佐はきっと、アタシを守るために。
 呼吸が整ったのでようやく立ち上がり、町があるであろう東へと歩き出す。森の北東ならば帝国随一の工業都市エネラッタがあるはず。とはいえ、エネラッタ市街地まで歩けば数日はかかる。
 考えがまとまらぬまま歩き続け、遠くに村の明かりが見えてきたところで、1台の車がこちらにくるのが見えた。

「おーい!!」

 見えるだろうか。上着を脱ぎ捨てて中に着ていた白いシャツを大きく振ると、車は真っ直ぐにこちらへやってきた。よかった、陸軍の車だ。

「王国の制服じゃないか。亡命か?」
「陸軍第四部隊少佐のウルリカ・ランカスターです。エネラッタまで送ってほしい」

 勲章等を付けた隊の腕章と隊員証を見せながら両手を挙げると、第一部隊の少尉と兵士だという二人は快く乗せてくれた。

「小隊の一つがエネラッタに行くので、村で合流しましょう」
「助かるわ」

 村へは数十分で着いたが、その頃には完全に日が落ちていた。小さな駐屯地には既にエネラッタへ発つ小隊が待っていた。少尉から隊を率いるのはキース・ベイル大尉だと紹介があり、少尉がアタシのことを再度報告する。
 大尉がこちらに向かって敬礼すると、部下に何かを指示してアタシを救護室に案内した。第七部隊少尉がアタシの傷を見て目を丸くした。

「ひどい怪我ですが、どうしたんですか? うわぁ、よく歩けましたね!!」
「……怪我はヘリから落とされて……」
「……!? もしかして、ランビナートの森に!?」
「……えぇ、花粉は吸ってないから問題ないわ。それでアタシ、すぐに首都に戻らなきゃ……」
「だめです! 痛覚が麻痺しているのは花粉を多少なりとも吸い込んだ証拠です。血清を打ちます」

 血清や点滴、止血をしたりと少尉がバタバタしていると、ベイル大尉が女性の部下を引き連れてやってきた。その子が綺麗に畳んである軍服を差し出す。

「……軍服、清潔なのを持ってきたので着替えてください」
「……ありがとう、借りる」

 ベッドの周りにカーテンをひいて着替えると、ちょうどいいサイズだった。サラサラで気持ちいい。

「少佐。エネラッタに発ちますがどうします?」
「私は認めません!」

 少尉が大尉に向かって声を荒げる。

「放っておいたら後遺症が残るかもしれないんですよ!?」
「後遺症って?」
「痛覚の麻痺です」
「……可能性があるだけなら、行くわ。怪我はちゃんと治療してくれたから、大丈夫」

 大尉が手を差し伸べるが、断って自分の足でジープに向かう。

「2時間ほどでエネラッタに着きます。それまで体を休めてください」
「ありがとう」

 親身な人だなぁ、この大尉。
 荷台に寝転がると、久しぶりに激しい睡魔に襲われた。なんと目が覚めたのは、エネラッタどころか首都にある基地についてからだった。

「ぐっすりと寝ていたな。体調はどうだ?」
「……あ……、アタシ……」

 視界がぼんやりと霞む。
 慌てて体を起こすと、空軍の上官らしきその人はアタシを制止した。

「君を連れてきた大尉から報告は受けている。毒が体に回っているんだろ? すぐに陸七の迎えがくる。君みたいな任務に命を懸ける馬鹿は嫌いじゃないのだよ」
「ルーデリア! 病人を後ろに乗せたというのは本当なの!?」
「やぁ、コーツ。久しいね。彼女、寝てたから自由に飛び回れたよ。ここだけの話、音速が出た」
「本っ当に!! 信じられない!! あなた一回死んでみるといいわ! 死の恐怖がわかるはずよ!!」

 ルーデリア……空軍第一部隊大佐……?
 コーツ大佐も?

「た、大佐……? 陸軍第四部隊少佐のウルリカ・ランカスターです。上官が、反意を。アタシ……!」
「大変。視力が低下してるのね。大丈夫、一時的なものよ。あなたを介抱した少尉からの報告もきてるわ」
「しかし!!」
「ノイマン大佐なら、中佐を殺して逃亡中よ。教えてくれてありがとう。今は休みましょ」
「大佐が……ですか?」

 ……そんな。
 だって、大佐……。アタシを助けるためじゃ……。

「アタシ、ヘリから……大佐に落とされて……」
「あなたも殺されかけたのね。あの人に狙われたなら生きてるのは奇跡だわ」

 じゃあ、帰れても帰れなくても大佐っていうのは、どういうこと……?
 目を細めると、アタシの顔をのぞきこむコーツ大佐の姿がぼんやりと見える。

「ヘリから落としたのはきっとアタシを守るためで……一人で、殉職を覚悟しても反乱を止めに行ったんだって……自分を納得させて、戻ってきました」

 ボロボロと涙が零れてきた。本当はわかっていた。反乱を止めに行くなら置いていく理由は何もない。だってアタシを守る理由が何もないのだから。

「大佐は……アタシに帰れても帰れなくても大佐だ、って……。……殺す価値もない、アタシが大佐になっても王国への影響はないってことだったんですね」
「しばらく寝なさい。これは上官命令よ」
「……はい」

 誰かに腕を引かれて担架に乗せられる。しばらく揺られていると、また睡魔に見舞われた。

***

「起きた? あんたも無茶するわね」

 ぼんやりと天井を見ていると、士官学校の同級生であるマリベルが額のタオルを替えにきた。

「アタシ、どんくらい寝てた?」
「半日かな」
「そんなに?」
「あと2、3回森で呼吸してたら致死量だったみたいよ。この半日は毒と戦ってたの。短いくらいだわ」
「そんなことより、大佐はどうなったの!?」
「どうもこうもないわ。ノイマン大佐はまだ逃亡中。まだ基地の中にはいるだろうって話だけど」
「行かなきゃ……」
「ちょっと、ウルリカ! だめだって!」

 マリベルが引き止めるのも無視して上着を羽織り、ポケットに突っこんでいた腕章を引っ張り出す。腕章のポケットに隠した王国のデータを取り出しながら、足早に第五部隊の執務室へと向かう。
 混乱を極めた基地内はひっそりと静まり返っていた。そりゃそうよね。暗殺のスペシャリストがどこにいるかわからないんだから。

「失礼します。ウルリカ・ランカスター少佐です」
「おかえり……。コーツ大佐に君が来ても追い返せと言われているんだ。君には療養が必要だよ」
「嫌です! 任務の最中に王国で手に入れた情報です」

 データチップをアディントン中佐に押し付けるように渡すと、やれやれと首をふりつつもデータを開いてくれた。その中には王国が送り込んだスパイの情報も入っていた。もちろん、リタ・ヘラントの名前もある。

「あ、中佐……」
「なんだ?」
「いえ、……この人、中佐です。アタシの上司だった中佐……3人とも……」

 3人とも、スパイだったっての?
 やっぱりアタシの予想通りだったんだ、と顔をあげると困惑した顔の中佐がどういうことだと目で訴えてくる。

「……僕が知る限り、最新の潜入は2人だ。君と、海軍第四の少佐」
「アタシもそう聞いてます」

 すべてを見ていくと、下の方には大佐の写真もあった。アドルフ・ノイマン。偽名じゃ、ない。

「…………どういうこと……?」
「スパイを中佐と大佐に任命していたということか!」

 ダンッとデスクを叩きながら中佐が怒鳴る。アタシはただただ、混乱していた。大佐も中佐もスパイ? アタシが上司だと慕った人は……みんな、裏切者?

「しかし……それにしては、言動がおかしい」

 アディントン中佐が考え込む。
 確かにおかしい。大佐も中佐もスパイなら、何故大佐が中佐を殺したのか。

「中佐達は、大佐に殺されたんですよね?」
「かなりの人数の目の前だった。間違いない」
「スパイである中佐が全員いなくなり、同じくスパイである大佐もじきに掴まって処刑される……。帝国の利益になると思いませんか?」
「……ノイマン大佐の反逆は王国に対してのものだと?」
「そう考えれば、辻褄が合います」
「…………そうか……。大佐に報告しなくては」
「その必要はない」

 どこからともなく声がして、ぎょっとして振り返ると清掃係の制服を着たおじさんが立っていた。
 気配、なかった……。

「ガウス大佐! この大事な時くらい軍服を着てください!!」
「……た、大佐……なんですか?」
「わしの帝国一の頭脳は狙われやすくてな」

 ガハハハッと豪快に笑った大佐は、すぐに真顔でアタシを見据えた。

「……ノイマンのシナリオは、奴が処刑されて完結する」
「はい」
「君の仕事だ。ランカスター少佐。……いや、ウルリカ・ランカスター大佐」
「……アタシには大佐なんて……」

 大佐。
 大佐、なんでアタシを選んだんですか。アタシを選んだのなら何故、連れて行ってくださらなかったんですか。

「……行ってきます」

 第五部隊の執務室を出て、自分の執務室へと向かう。
 多少なりとも武装はしなくては。確かデスクに銃を置いていたはずだ。

「!!」

 いつもの第四執務室は。
 雑多で、スパイが来ても戸惑うなって冗談言うくらいに汚くて。こんなにファイリングも書類もキレイじゃない。
 まるで、業務を引き継ぎするみたいに、極秘の書類が並べてあった。
 視界が滲むのを無視して、拳銃に弾を詰める。

「これは任務……」

 大きく深呼吸をして、自分に何度も言い聞かせる。大丈夫。アタシは大佐が選んだんだから。
 安全装置を外して、執務室を後にする。
 軍の首脳である元帥達は基地にはいない。となると、やはり大将を狙うフリをするはず。陸将閣下の執務室付近で身を潜められる場所……。そんな場所、あるかしら。

「思いの外早かったな、ランカスター」

 ゾクゾクするようなハスキーボイスに、皮膚が粟立つような感覚に陥った。
 アタシ、大佐のことこんなに好きなのに。
 これは任務。これは任務よ。
 銃を構えて振り返ると、大佐が同じく銃を構えて静かに立っていた。その瞳はいたって冷静で、どこまでも真っ直ぐだった。死を覚悟してるの?
 引き金に指をかけた瞬間、耳をつんざくような銃声が聞こえた。ほぼ同時に引き金を引くと、後ずさるほどの衝撃が体を揺らす。大佐が続けざまにこちらに向かって撃つ度に、応戦するように大佐を撃つ。
 それは根競べのようなものだった。やがて大佐の体がぐらぐら揺れてパタリと倒れると、アタシもほっとしたからか真っ直ぐ立っていられなくなり、その場に座り込んだ。

「ウルリカ!!」
「マリベル……なんでだろ、腰抜けたのかな」
「なんでこんな無茶するのよ!」
「なんで泣くのよ」

 マリベルの涙を拭こうと腕を挙げようとしてもそれが出来ない。マリベルがアタシを抱き起して初めて自分の体をみると、ボルトグリーンのはずの軍服は元の色がわからないほどの血まみれになっていた。

「痛くないのね? 痛覚麻痺があるのね……?」

 そういえば、エネラッタにいた少尉が痛覚麻痺の後遺症が残る可能性があるって言ってたなぁ……。

「マリベル、大佐のところに連れていって」
「え、えぇ……」

 マリベルの手を借りて、数名の兵士に囲まれた大佐の元へ行く。大佐は手錠をかけられていた。

「し、死んでないの?」
「麻酔を撃った。マリベル、怪我した時に指とか固定するテープ持ってる?」
「あるわ」
「指が曲がらないように一本ずつ固定して。足の指もよ。それからそこのあなた、猿轡を噛ませて。その上で拘束服を着せるの。最悪、それでも抜け出せる人なのよ」
「それなら何故この場で処刑しなかったのよ」
「全部大佐のシナリオ通りなんて、癪だわ」

 何故だろう。麻酔が効いているはずなのに、大佐の口許が笑みに歪んだ気がした。

***

 人の気配で目を覚ました。二度寝でもしたいところだが、そうもいかない。
 せめて、と体を起こすと陸将閣下は敬礼をした。慌てて返礼すると、直立のまま口を開く。

「ウルリカ・ランカスター。現時刻を以て大佐に昇進とする。回復次第復帰するように」
「はい」

 初めての仕事はきっと、大佐の取り調べだ。

「ノイマンだが」
「はい」
「君が眠っている間に処刑された」
「そんな」
「正確には処刑される予定だった。私がうっかり目を離した隙にどこかへ行ったので処刑したことにした……まぁ、大丈夫だろう」
「……そう、ですか」

 よかった。

「そうほっとした顔をしないでほしいものだ」
「……」
「ノイマンが裏切ったのは王国。だが、密偵であったのも事実。公にはできない」

 やれやれ、と陸将閣下が立ち上がる。

「密偵が大佐にまでなっていたと一般市民に知られたらどうなることやら」
「復帰したら早々にスパイを駆逐します。アディントン中佐に持ち帰ったデータを渡していますから、一網打尽にできるはずです」
「そうか。君の大佐就任祝いに贈る手柄だな。寝ている間に終わらせるとしよう」

 陸将閣下に敬礼をすると、にこやかに返礼して出て行った。
 緊張した……。
 思わず後ろに倒れこむと、枕からカサカサと紙のような音がした。枕の下をさぐると、短いメッセージが書かれた紙切れが出てきた。
 怪我させて悪い。妻子を頼む。

「……大佐」

 たった、二言。癖のある字は間違いなく大佐のものだ。
 妻子を頼む。
 大佐からの、最初で最後の頼み。

「……はい」

 だから、少しだけ泣かせてください。
 好きでした、大佐。