キャロルの恋人
アルダナの大戦で、僕は親友を失った。そして同時に、大佐の席が転がり込んできた。
初めての大佐会議が終わった。次回から大佐会議は僕が進めることとなるらしい。
前大佐の仕事ぶりはあまり見たことがない。しかし、大佐がしない仕事がまわってきて忙しいと思っていた中佐の頃よりも数倍忙しい。ただのふざけた天才だと思ってた……。思わず心の中で謝ったくらいだ。
今は旅行中のはずだ。大佐の地位を突然捨てて、どこにいるのだろうか。
「アディントン大佐」
「はい? あ……マクスウェル大佐」
マクスウェル大佐は第六部隊。何か、第五部隊に関わるようなことはあっただろうか。
「慣れたか?」
「お陰様で、少しずつ……」
マクスウェル大佐は前線に出ない部隊らしい落ち着きでどっしりと構えている。
「……君は、陸軍の風紀についてどう思う?」
「風紀……ですか。ガウス前大佐は甘かったようですが、僕は戦略としても大佐が模範になるべきだと思っているので……厳しく取り締まりたいと思って……い、ます」
言いながら、マクスウェル大佐のきちっと着こなしたように見える制服が作業着に上着のコートを着込んだだけのものであるということに気付いてしまった。
「……そうか……。君は前大佐と違って会議も来ていたもんな」
「えっ、しかし、第五が会議進行のはずでは」
「あぁ、ガウス大佐は音声だけの出席だったんだよ」
なんてことだ。風紀が甘いとかいうレベルじゃない。そもそもきちんとした制服を着たことがあるのか怪しい。僕が見る時はいつも清掃員の恰好をしていた。
「君も、あまり厳しくしなくてもいいんじゃないか? 俺やコーツ大佐は制服だと逆に支障が出てしまうから……」
初めは、今後は厳しくしてほしいということかと思ったが、今のまま厳しくしないでくれということか。
「……じゃあせめて、ウルリカの魔改造制服は改めさせます」
「ランカスター大佐のは、計算し尽くした制服だ。第六の芸術品だ」
「あら、呼んだかしら~」
呼んでない。僕は会いたくなかった。
ウルリカ・ランカスター。死んだ魚のような目をした美女だ。
僕が魔改造と呼んだウルリカの制服は、ロングコートがテールコートになり、制帽をベルトに通してぶら下げている。膝までのはずのブーツは膝の上までに伸びている。
その上、大佐会議ではきちんと留めていたコートのボタンすら留めていないだらしのない格好になっていた。
「君の制服について話していた」
「あら、第六に依頼した一級品よ」
「そうだそうだ。これを着るランカスター大佐自身が武器となる。その場で一回転すればミクロ単位で削ったテールコートが相手を切り裂き、蹴りを繰り出せば鋭く尖ったヒールが相手を切り裂く」
「切り裂きすぎです」
「素敵でしょ? ユージン。特製のベルトも鞭になるし、銃と短刀はいっぱい入るポケットがあるのよ」
「な、なんて危険な……」
一歩後ずさると、ウルリカはぷうっと口を膨らませた。お前三十路も過ぎただろ。
「だって前大佐が好きに改造していいって言ったし」
「またあの人か……!」
ガウス前大佐は何かとウルリカに甘く、本来暗殺・偵察担当である第四部隊のウルリカを軍の求人ポスターに起用しアイドルに仕立て上げたのもあの人だった。まあ、ウルリカの場合は顔を出させることによって前線から退けようと大佐なりに考えたのかもしれない。
しかし帝国史上最高の頭脳を持つ前大佐の読みはことごとく当たるもので、陸軍への入隊は空軍や海軍とは数が違う。実際のウルリカはポスターのようにキラキラした目でもないし、にこにこと可愛らしく笑うこともないのでウルリカに憧れて入隊してきた隊員は入隊式で幻想をブチ壊されている。でもやっぱり、何かに目覚めた熱狂的なファンがいる程度にはウルリカは美人だ。
「それより、アリスちゃんの方が問題じゃないかしらね」
「アリス・ウィルソン? どこが問題なんだ。さっきの会議でも完璧に規定通りだったじゃないか」
アリス・ウィルソンは先の大戦で大変な活躍を見せ、大戦後誰よりも早く大佐昇進が決まった細身の女性。陸軍士官学校でも優秀で彼女が上級大尉になるときに各小隊の少佐が彼女を取り合ったという話はあまりにも有名だ。現在は第二部隊の紅一点でありながらうまく隊をまとめてるっていう話だ。浮いた話は全くない。入隊した時から一度もない。
ウルリカはにやっと笑ってくるりと背を向けた。き、切り裂かれる……!
「見ればわかるわ。じゃあね~」
「ウルリカ! 僕はそんな危険な制服認めないぞ!」
「はいはーい。じゃあコーツ大佐が制服ちゃんと着たらアタシもちゃんとする」
コーツ大佐……。やっぱりあの重鎮を動かさないことにはどうにもならないのか。
しかし、医者が軍服を着ていては仕事に支障が出るのは確かだ。つまりどうにもならない。
ウルリカは制服を改める気はないらしい。
「大佐も大佐です。全身武器なんて……って、いないし……」
妙にウルリカの味方をするからあんな人でも美女には弱いのかと思えば、第六も結局は武器作成にしか興味ないんだな……。執務室に戻る途中に第二部隊の執務室の方へ回ってみることにした。アリス・ウィルソンがどうしたんだ。
「おい、君! 制服をちゃんと着ないか!!」
「あ、はい?」
呼び止めると、そいつは思ったよりも高い声できれいな敬礼をした。
ただし、ボサボサの髪に上着もネクタイも腕章も制帽もない。重大な規定違反だ。
「さっきはお疲れ様です」
「長い前髪をどうにかしろ! 目も見えないじゃないか! どこの隊の者だ!」
「え? やだなー、アリス・ウィルソンですよ。さっきお会いしたじゃないですか」
そういいながら、前髪をかきあげるときれいな青い瞳が見えた。
お、男だと思った。先程上着を着ているときもウルリカと並んだらけっこう残念な痩身だったが、ここまでとは。
「……」
「じゃあ、私これから訓練指導に行くので」
「あ、うん」
ウィルソン大佐はすたすたと歩いて行った。
……注意し損ねた。
「はぁ……」
「どうだった? ひどかったでしょ、アリスちゃん」
「……重大な規定違反だ。……というか、執務室に帰ったんじゃないのか」
神出鬼没だ。ウルリカは当たり前のようにそこに立っていた。
「武器なら普通に腰にぶら下げればいいじゃないか。前は麻酔銃を使ってただろう」
「あれはノイマン大佐が相手だったから」
ノイマン大佐。陸軍第四部隊の大佐はお前だろう。犯罪者に敬称などいらない。ましてや、敵国を裏切ったとはいえ敵国のスパイに。
「今でも……君にとってはアドルフ・ノイマンが大佐なのか?」
「当たり前じゃない」
「……もしかして連絡をとっているのか?」
「バカ言わないで。大佐は処刑されたのよ」
アドルフ・ノイマンは生きている。その証拠に、ウルリカはノイマンに頼まれて彼の妻子を引き取り、養っている。
暗黙の了解というやつだ。
肩にかかる長い髪を背中に払い、ウルリカは目の笑わない笑顔を作った。
「心配しなくてもアタシが好きなのはあなただけよ、彼氏サン」
「……そんな心配はしてない……。じゃ、ない。僕は先日君にフラれたばかりだろ」
「あは、その泣きそうな顔すごく好き」
ウルリカがくすくす笑う。
残念だ。とっくに壊れていたのに愛してしまった。
別れたというには、付き合っていたという証拠が少なすぎる。けれど僕は確かに彼女に頼ってもらえていたと思う。例えそれが少しでも。
「……ねぇ、執務室に帰ったんじゃないのかって聞いたわね」
「あぁ」
「第四の周りに不審者がいたの」
「先に言え!」
「もう殺しちゃった。他にいないか探してほしいの」
「ころ……、え……ハイ」
執務室に戻り、通信機を渡して基地内に設置してある監視カメラの映像を眺める。
あ、ウルリカ……うわぁ……あれがウルリカの制服の威力だろうか。
監視カメラの映像を見る限り、怪しい動きをとる者はいない。元々、そう易々と見つけられるものではないのだ。
「ウルリカ」
『なーに?』
「不審者は特にいない。そっちに行く」
『うん』
死体の前にしゃがみこんでいるウルリカのブーツのかかとに血がついていた。本当に、全身武器になる制服らしい。
死体の額は割れ、頭蓋骨が少し陥没している。先が刃物の鈍器……斧のようなものか。グロい。
「見て。この発信機、王国のものじゃないわ」
「……? この文字、東の大陸のものだ」
「……コレは処理しておく……必要そうなものだけそっちの執務室に持っていくわ」
「頼むよ」
ウルリカがモノのように掴みあげた死体を直視することができず背を向けると、珍しく彼女は僕の名前を呼んだ。
「ねぇ、今夜、行っていい?」
「僕をふったくせに」
「……こんな血まみれで、大佐の家族の前には立てないわ」
会いにきてくれるわけじゃないのか。やっぱり、ノイマンの家族が何より優先じゃないか。
「……いいよ。君を抱いてもいいならね」
「そんなの、別にかまわないわ」
優先順位、おかしいだろ。
けれどどうしても、ウルリカを諦められる気がしない。どうやら僕は、ひどい女を好きになってしまったようだった。