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美しき化け物

 サクラアテは将軍の財産として大人しく檻に入れられたままで、後に江戸時代と呼ばれることになる徳川幕府の時代を江戸城の大奥から見続けたようだ。放蕩暮らしのわらわからしたら気が狂いそうな行為であるが、三百余年ですら不老不死のサクラアテにとって一瞬のことであるのかもしれぬ。
 とかく、久方ぶりに江戸城を訪ねてみるとサクラアテはいつものように、笑顔で出迎えた。

「生きておりましたか」
「約束があるのでな」
「前に見たときよりも随分と顔色がいい」

 サクラアテは以前と変わらぬ美貌を湛えていた。随分と鏡を見ていないが、わらわも相変わらず二十一歳のままなのであろうか。

「サクラーティ様!」
「お客様にございますか」

 子どもがわらわらとやってくる。男女問わず、身なりのいい子どもだ。サクラアテの餌ではなさそうだ。

「この中の誰かが未来の将軍となるのですよ」

 未来の。次は十四代目。十五代目までは目されている者がいるはず。となると、この子達の世代は十六代目か。徳川殿もここまで続くと思っていたのであろうか。

「サクラーティ様、お茶を飲みましょう」

 ふむ、最近はままごとをして暇をつぶしているというわけか。

「そうですね、このはやてが承りましょう。はやて、その粗末な着物を着替えなさい」
「なっ、やめろ」

 伸びてきた手をかわし、梁にぶら下がった勢いで天井裏へと転がり込む。

「まあ。お猿さんのようでございます。はしたないから降りていらっしゃい」
「今日は話があってきた。真面目な話だ」
「あら」

 サクラアテは子ども達に向き直り、また数刻後にと適当に約束している。子ども達が去る姿が、散舞の里で最後にみた子ども達の姿に重なる。

「……」
「それで、真面目な話とは?」
「あ、あぁ。貴様のお仲間が日の本を荒らしまわっているようだぞ。ここまで来れるんだ、おそらく貴族であろう」
「それで……わらわのお仲間と」
「貴様を連れ戻しに来たのではないか?」
「ふむ……、そもそも、ジョセフが連れ戻しに来たものと思っておりました」

 わらわの首筋に浮かぶ痣のような、入れ墨のような紋をなぞる。
 そういえば、何故わらわの攻撃にゾセフが倒れたのかも謎だ。まさか、わらわに退魔の力がある、と考えるほど夢見がちでもないので、とんと見当もつかぬ。

「そういえば、そのゾセフは、貴族の中でも重要と言っていたな。徳川家から見た松平家や水戸家のようなものか?」
「そうでございますわねぇ……、どちらかというと、徳川家でございますね。わらわも」
「!? そのような者が国を離れ三百年も遊んでいていいのか?」
「家督はまだ親、という感じでございますれば」

 サクラアテは首を傾げた。
 いや、だからといっていいものではないと思うのだが。

「ところで、いつになったらきちんと発音できるようになるのですか。ジョ、セ、フでございますわ」
「ゾセフ」
「サ、ク、ラー、ティ」
「サクラーチー」
「舌足らずにございますわ! 舌を伸ばしなさい。ティー! でございます! 子ども達は発音できていましてよ」
「サクラーチー」
「……わらわのことはサクラで良いです」
「……? きちんと発音できているであろう」
「できておりませんわ」

 サクラアテ、基、サクラは悩ましげに首を振る。褪せない美しさがある女だ。

「うーむ……、話を戻すぞ。おそらく、今やってきている吸血鬼は南蛮人の風貌をしている。荒らしまわっているのが九州を始めとしていることからも明らか」
「長崎にやってきたということね」
「左様。ゾセフのことは遺憾ではあるが、やってきたのが貴族ならば一応貴様を通して話を聞く必要があるであろう」

 何せ向こうは食事なのだから。
 それが虐殺であるならば話は別であるが。

「そんなこと気にしなくて良いですわ。捕食する側の人間にやられる方が悪い。弱肉強食というものですわ」
「……いいのか、それで」
「えぇ。わらわが許可します。あぁ、でも一応紋は覚えておいた方がいいかも……。出島で捕らえた場合、会話が可能そうならば通訳が必要となるでしょう。その際、お国を見分けるのにちょうど良いのが紋にございます。公爵は皆、違う国に城を構えておりますれば」

 いうが早いか、戦国の世ほどではないが、無駄な紙などないはずなのに檻の隅から紙と筆を持ってきた。

「鏡はご覧になったことがおあり? ジョセフの家、ブラッドレー一族の紋は逆十字」

 そういって、十という字の上が長いものを紙に書きつける。このようなものなら、空中に書く真似をするだけでもわかりそうなものである。

「わらわの家、サヴァレーゼ家は薔薇」
「ふむ、桜の方が合いそうであるが。薔薇とは、地味であるな」
「西洋では薔薇こそ百花のクイーンにございます」
「くいーん?」
「女帝のことにございまする」

 なるほど、サクラが書きつけた薔薇は小ぶりな野ばらではなく何か大輪そうなものである。

「それから、デュラン家は月」
「ただの円ではないか……」
「紋ではもう少し綺麗なの。次に、レオンハルト家はナイフ。……えーと、短刀にございます。まぁ、でもここはわらわと同世代はいないので来ることはないでしょう」

 サクラが円の横に持ち手の短い短刀……というよりは、クナイのようなものを書きつけた。
 短刀とは、面妖な。

「その紋とやらは噛み痕に現れるのであろう?」
「そうでございますわね。成体になってから――元服してから、噛み痕に出てくるものにございまする」
「おかしくはないか。噛み痕に自然に、浮かび上がるのであろう? 加工物の紋様が」
「女神が使っていたのでしょう」

 何でもあり、であるな。

「えーっと、それから、もう一つはよくわかりませぬ」
「……」
「そのような顔をしないでくださいまし。子孫を作らずに寝ているだけの公爵がいらっしゃるのでございます」

 そのふざけた公爵とやらは置いておいて、とかくサクラを含め五種類の紋があるということか。
 サクラと似た薔薇の紋ならば、本当に連れ戻しにきたとみて大人しくここに連れてきた方がいいのか。

「それで、噛み痕の他に紋を確認することはできるのか?」
「できませぬ。これが己の餌であると示すためのものなれば」
「犠牲者を出さねばならぬではないか!」
「あくまでも、どこの者なのかわかるかもしれないという目安にございますれば。……まぁ、純血種でなければ紋はでませぬが、逆に言えば純血種でなければ始末しても構いませぬ」

 末恐ろしいことをさらりと言って、サクラは先程紋を書いた下にそれぞれのお国をかきつけた。そうか、通訳の選定のために紋を確認する必要があるという話であった。
 十字が英語、薔薇が伊語、月が仏語、短刀が独語、その他であれば西語。

「それにしても、吸血鬼というのは南蛮にしかいないのだな」
「そう言われてみればそうでございますわね……。魔法使いは日の本にもいるのに。悪魔も西洋ばかりのようですし……。もしかして、女神は最初西洋しか作らなかったりして」
「まぁ、古事記でもイザナギとイザナミは日の本しか作っておらぬし、そういうものかもしれぬな」

 サクラが書いた紙を手に取り、天井裏を通り檻から出る。

「闇雲に探しても見つかるかわからぬし、夜のうちに発つ」
「では、また。……報告を待っておりまする」
「貴様にはそうそう会いたくはないがな」

 と、言って、まさか本当に数年探しても見つからないとは思わなかった。それまで情報収集をしていたからには何かつかめるものと思っていたが、何も情報がない。
 世は瞬く間に激動の時代へと変貌を遂げた。黒船が来て、倒幕の波が起こった。
 徳川殿が打ち立てた幕府とはいえ、その前身を創ったのは間違いなく我が主。泰平の世が崩れようとしている。それをただ眺めているということは、できぬ。そう考えたわらわは、京へ向かった。

「つまり、こういっているのだ」

 口を真一文字に引き結んだ男が、わらわを見据える。

「壬生浪士組――貴様らに、手を貸してやろう」

 抜刀した浪士がぐるりとわらわを囲む。

「はっ、状況を見て言っちゃくれねぇか」
「無論、ただとは言わん。全て避けて見せよう」

 ぐるりと見渡す中に、懐かしいような顔の男がいた。
 正重に、少し似ている。
 壬生浪士組、手を貸すのは、運命かも。
 一瞬の後、視界の端で斬りかかってくる男が見える。クナイを取り出し受けて蹴飛ばすと、偉そうな男――芹沢鴨はほう、と一言言った。同じように幾人かかわした後、一気にかかってきたのを見て上に逃げる。無論、下には刀。普通ならば刺さるところだが、金遁の術で壁を作る。誰もいないところに着地して正面に相対する。

「……なんだ、今のは」

 戦国の世ならばいざ知らず……とは思っていたが、刀の使い方はより洗練されているような。

「このはやてが手を貸してやろうと申しているのだ」
「目的は何だ」
「知る必要はない。断るなら、倒幕派に与するまで」
「……良かろう」

 主の泰平の世を守れる。
 こやつらのいるところは、血の匂いがする。件の吸血鬼をおびき出すにはちょうどよい。ついでに食事もできるかもしれぬ。
 そして、正重に似ているあの青年。
 一石二鳥、いや、三鳥。
 ほっと息をついたところ、一度背を向けた芹沢鴨が振り向きざま居合抜きのような形で斬りかかってくる。

「痛いではないか」

 腹から血が垂れる。それからようやく痛みが広がった。それほどの速度。
 ひりひりする腹を撫でると、少しずつ血が逆流し、それから傷口がふさがっていった。

「……」

 ふむ、化け物であると露見するのはいただけぬ。

「ふふ、そう呆けるな。忍びの幻術なれば」
「忍び、か。勝手にしろ」
「そうさせてもらう」

 痛みに、慣れてきた。鈍感になってきているのであろうか。
 昔風魔の秘薬を盛られて痛みを感じなかった頃、あれはあれで恐ろしかったが、今ならば無敵だ。吸血鬼になった時に古傷が消えたように、秘薬の効果は消えたようであるが。
 毒も効かぬということは、薬も効かぬということ。今後、どのような痛みにも耐えうるのならば、どのような戦闘も楽であろう。
 その修業は今後考えるとして、今はサクラに一度会いに行こう。そう決めて京を後にした。
 久しぶりの江戸城は少し浮き足立っているように感じた。

「久方ぶりだな」
「あら」

 生きておりましたか、とサクラが目を細める。

「その後、吸血鬼を捕えられぬ」
「それは珍しい」
「手は打った。京に壬生浪士組というのがいるであろう。あれにくっついておれば、近いうちに血が流れる。おそらく血の匂いにつられてやってくるはずだ」
「まぁ。考えましたこと。江戸でも、家老の一家がほとんど亡くなるということが起こったそうにございまする。その遺体は……干からびていた、と」

 冷静に話しているが、サクラはかなりご立腹の様子だ。疑われたに違いない。

「わらわに遊んでほしいと、よくこちらへ来た子も、行方知れずとのこと」
「遊んだ子どもに情を? 珍しい」
「いえ、別に覚えてはおりませぬが、かようなことを聞かされては寝覚めが悪うございます」

 なんだ、本質は変わらぬな。
 肩を竦めると、サクラは大袈裟に床に伏して涙を拭く真似をした。

「わらわの食料も、三日に一回になりましてよ」
「別によかろう。我は秘術を使わなければ一年に一度で十分事足りる」
「まぁ、他人事だと思って」
「とかく、近いうちに良い報告を持ってくる」
「……えぇ」

 江戸城を出ようとした頃、そういえば、とサクラがわらわを呼びとめた。

「そなた、間藤には会いにいきましたか?」
「ん? 誰だ?」
「甲賀衆の生き残りが江戸に旗本としていると言ったでしょう」
「あぁ、魔法がどうのという話か。……そういえば、忘れていたな」
「ドロテアに迎えに来るよう伝言を頼みたいのでございます。伝えられる人間がいるとすれば間藤だけ。頼みますよ」
「しかし、その話をしたのは正重が亡くなった後……二百年余りも前の話であろう」
「魔法使いも不老不死では……ないのでございまするか?」
「知らぬ」

 間藤という旗本であったか……。探し出して訪ねてみると、確かに間藤という旗本がいた。小さな子どもが元気に遊びまわっている様子を見ると、望みは薄い気がする。当主らしき男が出てきたが、子どもの父親らしい中年に差し掛かる年の頃といった様子である。

「間藤殿にございまするか」
「いかにも。間藤繁久と申す」
「江戸城のサクラーチー・サバレーゼ様をご存知か」
「……サクラアテ様が、何か」

 サクラアテと呼ぶのは、この徳川幕府の前半に生きていたものばかりであるはず。以前、子ども達はサクラのいう正しい発音ができていた。
 甲賀衆の生き残り、というのは言葉の綾ではなく本当に、生き残り本人ということか。サクラが言っていた魔法使いも不老不死というのは正解なのであろうか。しかし、この間藤殿、見た目はやはり中年に差し掛かる頃――男盛りを少し過ぎた頃に見える。本当に不老不死ならばサクラのように最も美しい時期――男ならば男盛りの時期に不老となるのではないか。……選ぶことができるものなのであろうか。

「魔女ドロテアに迎えを頼むよう言付かってほしいと頼まれ申した。間藤殿にこれだけ言えばわかると」
「……もう、無理でござる」

 間藤殿の顔が悲しげに曇る。
 仲違いした、というわけではなさそうだ。

「ふむ、無理と言われることは想定しておらなんだ。一緒に江戸城へ来ていただけまいか」
「確かサクラアテ様はドロテア殿のご友人であらせられたはず。理由は、きちんと伝えましょう」

 旗本ならば、将軍への謁見も認められている身分。サクラを知っているようであるし、直接将軍に掛け合いサクラの檻の前へ来ることはできるであろう。

「では、後日……どうせ檻の中だ、いつでも良いであろう」
「明日にでも伺う」
「おととさま! お茶をお持ちしました!」
「進一郎、おかかさまを手伝うているのか。偉いなぁ」

 子どもを抱き上げ遊ぶ間藤殿を置いて奥方に挨拶し、上様の使者であると適当なことを言うて江戸城へ戻った。今までそんなそぶりを見せたことはなかったが、わらわが帰るとサクラは檻に飛びつくようにして進捗を訪ねる。

「間藤殿に来ていただくことになった」
「ドロテアではなく?」
「左様」

 サクラの表情に影が差す。どれほどの仲なのかは知らぬが、ドロテア殿が来ないということを考えもしていなかった、ということであろう。天井を通り檻の中へ入ってみると、すすすと寄ってくる。

「わらわが、わがままであるから、来ないのでございましょうか」

 珍しくしおらしい。
 サクラの口から出る人名はドロテア、エマ、その他吸血鬼くらいのものである。里の者、他の里の者、主とその配下のみというわらわと比べても随分と狭い交友関係ということになる。その一角がいなくなるとなると、大変な喪失であろう。

「いや、何か理由があって連絡を付けるのは無理と言っていた」
「そうでございますか」
「ドロテア殿のことを伝えに来ると言っていた。何かあったのかもしれぬな」
「そ、それを早く申しなさい!」

 サクラは顔を赤らめてわらわの肩をばしばしと叩いた。随分と力が弱い。

「ふん、わらわの呼びだしに応じぬなど、かようなことがあるはずはないと思っておりました」
「そうか。嫌われたというわけでもなくてよかったな」

 ごろりと横になると、サクラもせっせと布団を敷いて横になる。

「一緒に寝てあげます」
「いらぬ」
「わらわが一緒に寝てあげると申しておるのです!」
「勝手にしろ」

 ずるずると布団の中に引っ張られて、生暖かい布団の中で目を閉じる。
 高飛車な化け物が、わらわのことをどう思っているのか考えると、背中がこそばゆくなる。
 間藤殿は、約束通り翌日にやってきた。サクラは昨夜の気弱さが嘘のようにぴしりと姿勢を正して優雅に相対する。

「よう参りました、間藤」
「本日はサクラアテ様に御報告があり、参り申した」
「……間藤。少し老けたのでは?」
「いやはや、魔法使いは老けるのが遅いだけでサクラアテ様のように不老不死ではござらんので」

 では、もしや、サクラの古くからの友人というドロテア殿は老いたのか、と考えていたが、間藤殿の口から出たのはよくわからぬ説明であった。

「時折奇術をご覧に入れに参っておりましたが、ドロテア殿との話はついぞせなんだ……。サクラアテ様の紹介で、拙者はドロテア殿及び、その弟子のエバンゼリン殿と魔法の研究を、昨年までしておりました。その節は、ご紹介に預かりまこと、有難うございまする」
「昨年まで……」
「昨年までは、ドロテア殿の魔法でドロテア殿のピエステ邸と我が家は扉一つで行き来することが可能にござった。会話も、ドロテア殿の魔法で……。それがある日突然、途絶えたのでござる」
「……時に間藤殿、魔法とは? 我は、甲賀の秘術は魔法そのものとサクラから聞いておったゆえ、遁走術のようなものであると……。しかし今の話では、何か不可思議な万能の力のようだ」
「左様、不可思議な……万能やもしれぬ力」

 間藤殿が印を結んで、手のひらの上に火を灯す。

「これは、人の体の中にある魔力というものを使い、出している。これは、火石そのものや火石を打つ体力、その全てを魔力で代替しているものという結論が出た」
「手間を、魔力が代替すると?」
「左様。そしてこの魔力には個人差があり、拙者の魔力では、ドロテア殿に遠く及ばず……空間を繋げる範囲は狭く通ることはかなわず、繋げることができたとしてもエバンゼリン殿とも意思の疎通すらままならぬ」
「仲違いではないのか」
「心当たりはない。ちょうど、はやて殿が来る少し前に空間を繋げた際にエバンゼリン殿から手紙を預かっている。元より、これを読んでいただこうとサクラアテ様にお目通り願っていたところだ」

 間藤殿が取り出した手紙は、巻物のようになっていた。サクラが受け取ったのをのぞきこむが、みみずが這ったような線が並ぶばかりで当たり前であるが全く読めぬ。

「……ドロテアが、行方不明……とのこと」

 サクラが崩れ落ちるように床に手をついた。白く透き通るような肌から血の気が失せ、真っ白になっていく。思わず体を支えると、サクラは今にも倒れそうな顔でこちらを見た。

「しばらく、帰れそうにないようで、ございますね」
「間藤殿の他に、この日の本に魔法を使えるものはおらぬのであろうか」
「兄弟がいるが、拙者のようには」

 わらわの秘術も、本物の甲賀衆の火遁には及ばなかった覚えがある。間藤殿のいう魔力があの甲賀衆の者に及んでいなかったということであろう。

「はやて」
「ん?」
「そなた、甲賀の秘術が使えると申しておりましたね」
「まぁな。しかし、おそらく魔力とやらは到底足りぬであろうな」
「いえ。吸血鬼の魔力は、血そのもの。わらわの血を飲めば、あるいは」
「ふざけたことを抜かすな。できるかもわからぬのに、かようなことできるか。さて、ドロテア殿の件は片付いたし、京へ向かう。そろそろ例の吸血鬼を捕まえねば」

 寂しげに手を伸ばしてくるサクラを振り切り、京へと急ぐ。
 壬生浪士組が使っている宿へ行くと、あの、正重に似た若者がいた。挨拶もそこそこに彼の者の腕を引く。どこの隊だったか、名はなんというのか、聞いたはずだがどうでもいい。

「正重!」
「あ、……えと、はやてさん、だったか」
「似ている……、思い出さぬか? つばきだ」
「?」
「見覚えは? 前世の記憶はないのか?」

 若者が顔を引きつらせて後ずさる。行き場のない手を握り込み、手をおろすとくすくすと後ろで笑い声が聞こえた。

「ふられたようで」
「は? ち、違う。誰だ貴様」
「沖田総司」
「それで、何か御用か」
「芹沢さんを煙に巻いたっていう忍びと、手合せ願いたくてね」
「手合せ? やめておけ。手加減できるほど強くはないぞ」
「手加減なんてする必要はないさ」

 なんだかんだと言いくるめられ、道場に引っ張り出される。
 クナイの長さの棒を二本渡され、相手の沖田は竹刀。竹刀なら木刀よりましか。
 しかしそこは、曲がりなりにも散舞の忍び。沖田が踏み込む瞬間、後ろに回り込んだはずであった。……が、素早い突きが来て木の棒で慌てて横に弾く。なんだこれ。斬りかからずに、突きが来るなど。
 改めて見ると、沖田は先程話しかけてきた時よりも数段目が鋭く、竹刀は少し先が下がっている。竹刀が、よく手入れされた刀に見える。
 なるほど、手加減するどころか押されている。
 こちらも少しは意地がある。本気の手合せに秘術はできるだけ使いたくない。散舞のはやてとして手合せしたい。……ならば、先程よりも早く、間合いを詰めるしかない。
 再び踏み込まれる前に、沖田の後ろに回り込む。棒が沖田の首を捉えた瞬間、振り向きながら踏み込んだ沖田の竹刀が、胸を突いた。

「……痛み分けだな、こりゃ」
「……このようなこと……」

 死ぬかと、思った。
 痛みは三か所。三段突きというものらしい。一度しか踏み込んでいないと思ったが、その間に三度突くほどか。

「強いなぁ」
「貴様こそ」

 竹刀を置けば、ただの優男のようだ。

「それで、さっきふられてた件だけど」
「ふられてなどいない。ただの人違いだ」
「人違いねぇ」

 その時、かたんと音がした。屋根。人ではなさそうな……しかし、猫にしては重そうな。
 一度塀にのぼり、屋根に上がる。人が、いる。二人。

「動くな」
「!」

 南蛮人の男と、色白の少女。
 男の歯は鋭い。こいつで間違いない。しかしこの少女は。

「かどわかしか?」
「それは……ジョセフ様の、紋」

 ゾセフを知っている。
 やはり吸血鬼だ。
 ……吸血鬼の血を飲めば、多少は……、サクラを帰してやる助けになるのであろうか。
 距離を詰めると、顔面蒼白で声も出ないらしい少女がこちらを凝視している。

「沖田ァ! 受け取れ!」

 少女を屋根から突き落とす。少女は身を硬くしたまま背中から落ちて行った。

「きゃああああああああああっ」
「受けとったぁ!」

 次いで、男に掴みかかると、男もわらわの首根っこを掴んだ。

「ジョセフ様は生きているのか」
「知る必要はない」

 腕に噛みつくと、凄まじい勢いで引きはがされる。口についた血を舐めとると、人間と変わらぬ鉄の味がした。
 戦闘の経験はないのか、先程の沖田の後であることもあり、男がやたらとのろまに感じた。干からびるまで血を吸うと、男は灰になった。
 片付けて地に下りると、少女がわらわに掴みかかった。

「……ハロルドは、わたくしの、仇でありましたのに」

 その目は、悲哀に包まれ、少なくとも仇を想う目ではなかった。目を伏せて離れると、少女はその場に泣き崩れた。
 おろおろする男衆に少女を任せて、サクラの元へ戻り報告する。

「ジョセフ様、ねぇ。わらわを追いかけてきたジョセフが戻らないので連れ戻しに……ということかしら」
「そうやもしれぬな」
「というか、……話を聞く限りその娘、先日の亡くなった家老の娘では?」
「あ……連れてくればよかったな」

 しかし、家はもうないのにどうしたらいいのであろうか。

「本当に、男しかいない場に置いてきたのでございまするか? まかり間違って手籠めにでもされていたらどうなさいます」
「は!? そ、のような、者達では、なさそうであったが」
「そなたは男女の区別がついておりまするか?」
「あ、当たり前だ!」
「その娘は次期将軍の正室候補であったのですよ?」
「……様子を、見て参る」

 これがいけなかった。時流に飲み込まれた選択は、おそらくこの時だ。