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大正

 いつまで経っても見つからぬ。考えてみれば、江戸の世の初めに別れ、再会が江戸の終わり。よもや、また十五代の時の人を見送らねばならないのか。現在のところ大政奉還を行った徳川慶喜を入れて二人、見送ったところだ。
 時は大正と名を改め、南蛮改め西洋の文化が濁流のように入り込んできていた。ガス灯やレンガ、そして海を隔てた大陸との戦争といった無骨なものにひるむことなく柔軟に受け入れていく姿が、傍観者としては逆に恐ろしくもある。
 傍観者。わらわは政権が変わろうが大地震が起ころうが関係ないそこにたたずむ亡霊のようであった。

「……まぁ」

 檻の前であぐらをかくと、サクラははしたないと首を振った。自分は着崩した着物を羽織ってだらしなく横になっているくせによく人のことを言えたものだ。
 旅の土産話をあらかた聞かせ終わると、サクラはぐっと伸びをした。

「そういえば、間藤の様子を見てきてくださいませんか」
「間藤殿がどうした」
「間藤ははやてと歳が近いでしょう。彼の者は不老不死ではないのでしょう」
「そうか、寿命が……」
「華族に取り立てられているわけでもない間藤の様子は一切不明なのでございます」
「……間藤殿も幕府側の人間であったからな」

 よし、と膝を打ち立ち上がる。

「見てくる」
「よろしくお願いいたします」

 サクラが間藤殿のことを気にかけるのはただの人間ではなく魔法使いであるからなのであろうか。それとも、友人の友人となったからか。
 間藤殿は、江戸城の城下町にあった屋敷を引き払い小さな山の麓の町に引っ越していた。

「御免、間藤殿はいらっしゃるか」

 以前のような大きな門はなく、平屋の戸を叩く。あの小さかった息子であろうか、若い男がカラリと戸を開けた。繁久殿の若い頃はきっとこのような雰囲気であったのだろうと思わせるよく似た目元に笑みが漏れる。

「何か?」
「間藤繁久殿はおわすか?」
「父の友人にしては……若いようですが」
「……繁久殿の友人に様子を見るよう頼まれたのだ」
「そうですか」

 息子の名前は何であったか。長男で一郎がついていたな、とおぼろげな記憶があるが思い出せない。夫人はいなかった。
 部屋に通されると、間藤殿は激しく咳き込みながら体を起こした。間藤殿の体を支えて、その細さに驚いた。

「間藤殿、しばらくぶりでございます」
「はやて殿……、不老不死、でござるなぁ」

 間藤殿は死を覚悟しているようであった。間藤殿は笑みをたたえているというのに、なぜかこちらが泣きたくなる。

「頼みが、ございます」
「……何なりと申し付けられよ」
「息子のことでござる。間藤家は親族こそ多いが、魔力は各々で差があり、分家で何世代も交代する間にこちらは一人……。進一郎が困っているときに助けてやってくださいませぬか」
「何ができるかわからぬが、承知した」
「進一郎は、魔力こそ拙者よりは少ないが、魔法の扱いは天才的。サクラアテ様の帰路のお役に立てるでしょう」
「サクラには伝えておくが、今のサクラは天皇――……、いわば、神の所有物だ。帰すなど……。大切な一人息子にかような酷なことを背負わせる必要はない」

 間藤殿が笑うと咳が出る。背をさすろうとすると、手で制された。

「やはり人が通るほどの穴は開けられぬが、エバンゼリン殿と会話をすることもできている。理論を解明し、使える者が現れさえすれば、きっと。これは、間藤家の使命にござる」
「……間藤殿……」

 少しだけ江戸の世の昔話をして、サクラの元へ戻ることにした。玄関にて草履を履いていると、息子の進一郎殿が見送りに立った。

「長居して済まない。そうだな……近所に越してくることにしたから、よろしく頼む」
「え?」
「サクラの帰路を切り開く手伝いなら、何でもしよう」
「ご友人とは、サクラーティー様……?」
「まぁ、そうだな。我は別に眷属でもないし本当はそのような義理はないのだが……」

 義理はないが、帰路が閉ざされたときのサクラのしょぼくれた様子は好かない。
 どうせ暇であるし、ちょうどどこか拠点がほしかったところだ。家の一つでもねだり、正重を探す拠点としながら進一郎殿も見守ろうではないか。

「さて、それでは」
「あ、夜は危険です。その……神隠しが」
「神隠し?」
「えぇ、夜に出かけた者たちが、次々と行方不明になっているのです」
「ガス灯ができて随分と夜も明るくなったのに物騒なことだ……」
「僕も、父を診てもらうために医者を呼びに行くのも不安で」
「そうでございまするか。大丈夫、我が様子を見てきてしんぜよう」
「話聞いてました?」

 大丈夫大丈夫と進一郎殿に手を振り、ガス灯が揺らめく大通りを歩く。なるほど、言われてみれば最近はガス灯ができたことにより、夜の旅路が明るく、またすれ違う人も多く見受けられる。
 神隠しか。夜にしか出歩かない異形の者など、吸血鬼の他に心当たりはない。知らぬだけかも、などとは考えなかった。
 適当に街をぶらつき様子を探るが不審者はいない。というか、あてもなくふらふらとしているわらわの方が見方によっては怪しいやもしれぬ。
 今から戻っても城にはたどりつきそうにない。夜が明ける前に、と山の中で寝られそうなところを探して回る。ふと、木のうろの中で寝た珍道中を思い出して洞窟よりも木のうろで寝ようかなどと考え、大樹を見つけてよじ登る。そのとき、ふと耳に鋭い悲鳴が届いた。

「悲鳴……?」

 木の上で様子をうかがっていると、木の下を逃げるように走っていく子ども。そして、それを追いかける南蛮人。
 これが例え神隠しでなくとも、助けた方がよさそうだ
 木からおりて二人を追いかけると、追いつかれたらしい少年が太い木の棒を振り回し、その重さにより振り回されているところだった。子どもがなぜ、このような時間に山に。
 じりじりと追い詰められて腕を掴まれた少年は、うわあとか叫び、経を唱える。敵の前で目を閉じるとは何事か。

「さ、いただきます」
「やめろ!」
「手をはなせ」

 少年の腕を掴んでいる腕を掴むと、少年しか見ていなかった南蛮人は驚いた様子を見せたがすぐにニヤリと笑った。
 南蛮人は、やはり目がぎょろりとしている。流暢に言葉を話すところをみると、サクラのようにこちらへ来て長いのか。
 この南蛮人の肌が白だとしたら、少年は青白い。血の気が引き、涙に濡れ、紫色に近い唇がわなわなと震えている。

「餌が増えた」
「危ないで、す……」

 少年の腕を掴んでいる南蛮人の腕がずるりと落ちた。少年は気を失ったのか、地面に倒れ伏している。

「こっちはもう逃げないな」
「かような心配をしている暇はないぞ。我の餌は貴様だ」
「何を馬鹿な」
「人間を餌と呼ぶからには吸血鬼なのだな?」
「さぁね」

 懐からクナイを取り出し、上に薙ぐ。彼の者は、腕を押さえてうずくまった。服が裂けた下に傷はない。治っている。
 ぐわっと顔を上げた南蛮人は、何事かを怒鳴り始めた。しかし、外国語のようで何を言っているのかわからない。

「やはりこの治癒力、吸血鬼ではないか」

 言うが早いか首を刎ねると、首が一瞬落ちかけたが、涙目の吸血鬼が首元を抑えている。やはり、首を落としても死なぬか。
 ならば、ゾセフは。あの時わらわは心の臓を狙ったから、首ではなくそちらか? 逃げるように後ずさり始めた吸血鬼の腕を引き、心の臓にクナイを突き刺す。骨にがつりと当たり、やがて傷が癒えて肉に押し戻される。
 その間、吸血鬼は驚くほどうるさく、思わずもう一度余っているクナイを首に突き刺した。血管の切れる音が聞こえる。
 人間のすることではないな。自嘲気味に立ち上がりかけたとき、胸に突き刺したクナイが手を押し戻す感覚が消えた。見ると、傷口から少しずつ灰になっていく。
 心の臓と首、同時に致命傷を負わせればいいのか。そういえば、あの時も確かに、正重と同時に攻撃し撃退した。

「……絶対的な不死ではないのか」

 かような残酷な殺し方、そうそう気付けるわけもないか。
 そろそろ血を飲んでおきたかったのだが、もう灰になっていた。
 倒れている少年に、適当に落ち葉をかけてうろの中にもぐりこむ。少年が飛び起きたのは、夜が明けてからであった。あたりを見渡し、わらわに気付くと近寄ってきた。あどけなさが残るくりくりとした目でわらわを見ていた。
 正重も出会った当初はこのくらいであったか。

「あの、助けて……くれたんですよね」
「さぁな」
「僕、御子柴蔵之介っていいます」
「……はやてだ」
「この山に住んでるんですか?」
「……そうだな、山も悪くない」
「それなら、また来ます」

 間藤家があった町の方向とは反対側に蔵之介少年が山を下っていくのを見送った後、日が沈むと同時にサクラの檻へと向かった。わらわの足ならば往復も可能というくらいの距離だ。
 間藤殿が臥せっていることを伝えると、サクラは沈んだ表情をした。

「やはり、魔法使いも人間でございますのね。短きものにございまする」
「間藤殿の息子は、エバん何某殿と会話ができ、研究も再び進んでいるそうだ。今は人が通ることはできぬが、いずれきっととおっしゃっていた」
「! で、では……」
「望みはあるので、もうしばし待っておれ。そこで、間藤殿に気にかけてほしいと頼まれたので拠点を息子殿の近くに置こうと思うのだ」
「まぁ、ここにそなたがいたりいなかったりするのはおかしいですし、わらわは構いませぬが」
「家を建ててくれ。地下のある家」
「……言うだけ言ってみますが、いかがなものでしょうね」

 サクラは半ば呆れ気味に言っていたが、それからすぐに間藤家の通りを挟んだ裏の空き地が何者かに買われた。地鎮祭が行われたあと、すぐに着工している。
 家が建つまで、山の中に適当に木を組んだ掘立小屋を作って過ごした。すると、もしかするとそれまでもやって来ていたのか、蔵之介少年がほとんど毎日のように訪ねてくるようになった。

「はやてさん、こんにちは!」
「こんにちは。昨夜とってきたあけびだ。食べるか?」
「うん」

 神隠しとされていた吸血鬼はひとまず排除したとはいえ、日が暮れる頃にはあっという間に暗くなる場所だ。日没後には山の麓まで送っていけるが、来る途中に猪にでもぶつかったら危ない。
 実際のところ、蔵之介はいつも痣だらけでやってきた。
 初めて会った時も山で襲われかけていたのだ。親は何をしているのであろうか。何をしているのか問い、止めることはしないのであろうか。

「どうしたらいつもこのように怪我をするのだ」
「……僕、ドジで……」

 蔵之介はへらりと笑った。
 その笑い方があまりにも奇妙で、はたと一つの考えに思い至る。
 もしや、山に入っての傷では、ないのか。蔵之介が来るようになって一月あまり、どうして気付かなかったのかと血の気が引く。

「今日は、家まで送る」
「えっ、でも」
「来てもらってばかりでは悪いだろう。それに、そろそろ引っ越しをしようと思っているし」
「え!? 引っ越し!? あ、待って、待ってください。あの」

 でも、でも、と言う蔵之介の腕を掴み、山を下りる。

「どこだ」
「こ、こっち……、あの、ただいま帰りました……」
「まーた帰ってきたのかい。……誰だい、その方は」
「親ではないのか?」
「奉公先で……」

 身綺麗な中年の女が、蔵之介を鬱陶しそうに見ている。あんなにあどけない少年が、小さくなって震えている。

「悪いけどね、その子は迷子じゃないんですよ。あなた、旅の方かしら? ここらへんは神隠しが多くてね、その子は供え物として山に置いてきたんだよ。それなのに毎日帰ってきて、近所の目が痛いったらないよ」
「供え物……。蔵之介、本当なのか?」
「……」
「……悪い、毎日のように遊びに来てくれていたが、供え物だとは気付かなんだ」

 なんと言うのが正しいのか、わからない。
 この決断が正しいのかは、わからない。
 しかし、蔵之介にこの家はよくない。

「供え物なら、送り届けずにいただくとするか」
「え?」
「まぁ、この蔵之介は受け取ってやろう。ただし今後は供え物などいらぬ。それじゃ、行くぞ、蔵之介」

 わらわは神隠しの原因として、供え物の蔵之介を引き取ることに決めた。

「や、やめておくれ! その子は供え物だって言ってるだろう!」
「だから、この神隠しが供え物を受け取ってやると言っている」

 女が騒いだので人が集まってきた。ここら一帯の認識なのか、蔵之介を見て供え物だのまた帰ってきただのと囁く声が聞こえる。

「あ、あなたが……神隠し、だって?」
「あぁ。何度も言うが、もう供え物はいらない。あの山も出ていくし、もうこの町を守ることもない」
「守……る……?」

 蔵之介を抱きかかえたまま土遁の印を結ぶ。土が盛り上がり、わらわ達は消えたように見えたはずだ。
 大きな穴を進んで町の外れに出ると、蔵之介はいつものようにぱちくりと目を瞬かせた。

「はやてさんが、神隠しの正体?」
「いや、最初に会った時に貴様を食おうとしていた奴がいただろう。あれだ」
「だよね。僕は神隠しの元凶は追い払ってくれたって言ったんだけど、誰も信じてくれなくて……。あ、じゃあ、さっきのは何?」
「……奇術だ」
「はやてさんは奇術師だったんだぁ……」

 蔵之介は苦し紛れの嘘をあっさりと信じてわらわが手を引くままついてきた。

「ここが新しい家だ。しばらくここに住んでくれ。近々、華族の友人に引き取り手がいないか探してもらう」
「僕を、どこかにやるの?」
「いい暮らしができるところに引き取ってもらう方が、蔵之介もいいだろう」
「……嫌だ。捨てないで! 何でもします! だから、捨てないでください!」
「捨てるわけでは……」

 捨てないで、か。
 奉公先に出されたことも、捨てられたと感じていたのだろうか。
 ぎゅうっと腰のあたりに抱き着く蔵之介の頭を撫でると、蔵之介はもう一度捨てないでと小さく言った。

「捨てない。ただ、わらわは……日に当たることができない、特殊な体だ。不自由させるぞ」
「いい。何でもする」
「よし、ではここに住んでくれ」

 蔵之介がごしごしと涙をぬぐう。泣いている子どもには弱いようで、何も言えないのだ。
 それから、初めてじっくりと家の中を見た。サクラ経由でねだったからか、本格的な洋風の館となっていて、一階部分にはたたきのような草履を脱ぐ場所がなく、床材は石でできていた。入ってすぐの居間が広く、奥に最新の小型かまどがある炊事場、さらにその奥に風呂場や厠、階段があった。そして地下は広い部屋が一つあり、二階は客間のような部屋が四部屋あった。
 後日、子どもを拾ったというと、サクラは涙が出るほど笑っていた。

「家の次は、子ども! 人間の幸せを体験したいとでも?」
「……我は、まだ人間を捨てきれぬ」
「……辛いばかりでございますよ」
「いい。泣いている子どもを見捨てることはできぬ性分なのだ」
「そうでございまするか。……間藤の息子のこと、頼みましたよ」
「あぁ。我にできることといえばせいぜい危険が及ばぬように見守ることくらいだがな」

 サクラに別れを告げて家へ帰る途中に見た江戸は、随分と様変わりしていた。昔は夜も明るいのは一角だけであったが、街全体が明るい。また、随分前に東京城から宮城に名を改めた江戸城は、関東大震災で崩れた櫓門がきれいさっぱりなくなっていた。
 改めて、自分だけ取り残されているように感じる。

「……正重を探す余裕も、なくなってしまったな……」

 生きている意味が、時折ぼやける。果たしたい約束が、正重にとってもそうであるとは限らないのではないかなどと、弱気になってしまうのだ。