Mymed:origin

逃避の吸血鬼

 サクラがだらだらと歩くので、ビルマからイタリアというところへたどり着くまで、三年近くかかった。その間、サクラとわらわは血を飲む、どこで休む、どちらへ進む、何かを拝借する以外の意思疎通をはからなかった。わらわはずっと朝彦のことを考えられたので、何も言わないサクラに感謝していた。
 イタリアに入って初めて、サクラが世間話をした。

「まずはエヴァンジェリンに会いに行きましょう」
「家に帰るのでは……」
「それはいつでもいいですから」

 イタリアという国は、半島が長く突き出ているようなところで、エバンゼリン殿が済むというピエステという町までは、更に二週間かかる見込みだという。のんびり行きましょうとサクラはからから笑った。この分だと二週間ではたどり着けそうもない。

「ところで、はやて、今だから聞きますが、わらわを灰にしましたよね?」
「……したな」
「刃物で、一体どうやって?」
「んー、秘密だ」
「ふーん……」

 首を裂き心臓を抉るなど、本人を前にしてとても言えない。よくもまあ実行できたものだと自分ですら思う。

「灰を入れた水筒ならば空間の穴を通るであろうから、間藤殿の息子に頼みエバンゼリン殿の元へ送ってもらうつもりであった」
「そのわりには三年も経った戦場で目覚めましたが」
「進一郎の目標を取り上げるわけにはいかんでな。どうせ三年など一瞬であろう」
「まぁ、灰になっている間は意識もありませんし、いいですが」
「進一郎に頼めないでいるまま朝彦の出征が決まったので、ついていって、できるだけイタリアに近いところで復活させるつもりであった」
「……そう。一応のところはいろいろ考えてくださっていたのね」
「一応はな」

 全部言い訳に聞こえるであろうが、その批判は甘んじて受けることにする。実際、言い訳であるし。カッとなって灰にしてしまったのは事実であるし。
 イタリア人というものはサクラと同じように鼻が高く、総じて色が薄かった。骨格が良いのか、体が大きい。わらわはまるで巨人に紛れ込んだ小人だ。
 結局、イタリアに入って三ヵ月経った頃にエバンゼリン殿が住んでいるはずだという行方不明のドロテア殿の家を訪ねた。

「……随分大きな家だな」

 広大な敷地に、巨大な塔が散見する。そのうち明かりがついている部屋もかなり多かった。サクラは少し考え込んで、敷地内へと入っていった。
 複数あると思っていた塔は、根本は二つだけであった。その二つが上階で枝分かれした奇妙な形の塔で、あちこちに建っているように見えたのだ。
 サクラは適当にドアをばたんばたんと開けていく。わらわはぴったりとサクラについて歩いていた。

「……はやて、さん?」

 敷地内に入って十分ほどのこと、後ろからかかった声は、予想外のものだった。
 三十代のような見た目の、男。父親そっくりの目元。わらわを、親代わりと言った……。

「進一郎、なぜここに?」
「はやてさんこそ! 三年も、何してたんですか!」

 進一郎と手を取り合うのを、サクラが怪訝そうな顔で見る。

「はやて、誰です?」
「間藤殿の息子だ。進一郎という。進一郎、こちらサクラーチー・サバレーゼだ。貴様にはこやつが祖国へ帰るための研究をしてもらっていたんだ」
「サクラーティ・サヴァレーゼにございます」

 サクラが優雅にお辞儀をする。サクラがドロテア殿と知り合いであると知ると、進一郎はこの大きな塔の説明をした。曰く、元々ドロテア殿の家があったここは魔法学校となっていて、卒業生にドロテア殿の捜索を頼んでいるという。サクラは納得したように頷いた。

「ドロテアはまだ見つかってないということにございまするね。……さて、知り合いがいたならば話は早いですわね。はやてを家族の元へ帰してくださいませ」
「……か、帰りたくない!」
「なんでだよ。蔵之介がどんなに心配してるか……」
「朝彦を……守れなかったのだ。合わせる顔がない」
「そんなんじゃいつまで経っても帰れませんよ。蔵之介、はやてさんを心配して体調崩してるんです」
「……蔵之介が……!?」
「それに、朝彦の子どもだって生まれたんですよ?」
「……え……」
「朝彦が出征してすぐに妊娠がわかったんです。俺と音の子どもも、二人も生まれたんですよ」

 進一郎がわらわの両肩を掴む。

「帰りましょう。俺は元々、はやてさんを探す魔法がないか調べるためにここで働かせてもらってるんです」
「……」
「決まりですわね。わらわも帰ります」

 そう宣言し、サクラがわらわを抱きしめる。それは西洋の親愛の表現なのだと、進一郎から後から聞いた。
 サクラはわらわを抱きしめた後に両肩を掴んでじっとこちらを見る。

「はやてはきっとこれからも、人間に関わり傷付くのでしょうね。もうわらわは止めませんが、自分を大事にしてね」
「……あぁ」

 わらわがゆっくりと頷いたところで、サクラはニッと笑ってこちらに背を向けてつかつかと来た道を戻っていく。
 サクラが出ていくのを見送り、進一郎に促され一つの部屋の前に来た。

「エバンゼリンさん、間藤です」
「どうぞ」

 か細い声が聞こえてきた。部屋に入ると、二十歳かそこらの女がいた。サクラに勝るとも劣らない美しく長い金髪が揺れる奥に、うつむき加減のそばかすだらけの顔が見える。野暮ったい印象の女だった。
 日本人ではないのに言葉がわかる。不思議に思っていると、進一郎が魔法をかけたと説明をした。

「……そちらは?」
「俺が探していた、はやてさんです」
「……お母さまだと、聞いておりましたが……。随分と魔力があるんですね……」
「えぇ、まぁ。俺の探していた人は見つかりましたし、あなたの師匠もきっと、見つかりますよ」
「そうだと良いのですが」

 エバンゼリン殿が意味深に俯くので、何か肯定するような言葉をかけて励ます言葉をかけた方がいいのかと思ったが、進一郎が次に発した言葉は存外にも冷たい口調であった。一度求婚したというのは、本当に魔力目当てであったのだろうか。

「約束通り、はやてさんが見つかったので俺も日本に帰ります」
「そうですか。優秀な教員がいなくなるのは残念ですが、お母さまが見つかって良かったですね」

 エバンゼリン殿はわずかに微笑んで言う。その様子は少女のようで、繁久殿と研究をしていたようにはとても見えない。彼女の言葉を借りるのならば、随分と魔力があるのだろう。

「それから、やはり学校関係者以外は入れない工夫が必要です。今回ははやてさんだから良かったけど……」
「そうですね……。他の先生と検討しておきます」

 エバンゼリン殿に挨拶して、わらわは進一郎に引きずられて日本へ帰ることとなった。以前は手が入るくらいであった空間の穴は、這って通ればなんとか通り抜けられるほどの穴になっていた。
 一瞬にして進一郎の家に戻った。
 思っていた以上に簡単に、日本へ帰ってきてしまった。夜明け前の、澄んだ空。少し湿気のある日本の空気が懐かしい。

「ややややはり合わせる顔がない」
「今更何言ってるんですか!」

 進一郎に引っ張られ、抵抗すると担がれて、少しも変わらないカフェーきららの前に来た。

「か、鍵がかかっているだろう」
「こういうときの魔法ですよ」
「それ、だめじゃないのか!」

 進一郎とごちゃごちゃやっていると、中からガタンと音がした。ばたばたと走ってきて、戸が乱暴にあく。

「はやてさん!」
「……蔵之介……」

 やつれていた。逃げようとしていたことも忘れ、寒そうに見えるがりがりの体をさする。

「……朝彦……守れなくて……」
「おかえり、はやてさん! おかえり!」
「……合わせる顔が……なくて……」

 涙が出てきたとき、蔵之介が、力強く進一郎ごとわらわを抱きしめた。

「戦争だったんだ。仕方のないことじゃないか。はやてさんが生きて帰ってくれただけでも、朝彦のお骨を送ってくれただけでも……、十分じゃないか……」
「……ごめん」
「本当、帰りが遅いから心配したんだ。朝彦が戦死したことなんて、はやてさんを責めるわけないじゃないか」
「……ただいま……」

 それから、お互いにわんわん泣いて泣き疲れて寝て、起きる。数年ぶりの地下室はきれいに保たれていて、あやめがきれいにしてくれているのであろうと思った。
 しかし夜になり、店を探しても二階を探しても、あやめはいなかった。代わりに、ささやかな仏壇に小さな位牌が二つ並んでいた。一つは朝彦のもの。もう一つは……。

「……戦争中のことだけど、空襲とかではないんだ。ただ、体を悪くしたときに、薬が足りなくてさ……、少しの間熱がひどかったけど、痛くて苦しい思いはしてないよ」
「……もっと早く……戻って、いれば」
「ううん。戦時下のことだってば」

 カフェーを見渡す。あやめ一人がいないだけで、洋風の建物はさびしく、寒く感じた。

「お義父さん、ご飯を持ってき――、え……? はやてちゃん!?」
「あ……和恵さん、あの、お久しぶりです」
「おかえりなさい、みんな心配してたのよ。行方不明になったって聞いてたけど――……随分元気そうね?」

 心配の言葉に、わずかに不審が混ざっている。そりゃあそうか。ただの朝彦の妹だと思っている和恵にとっては、突然行方不明になり状況が落ち着いてからひょっこり戻ってきたようなものだ。それだけこの家を支えてくれていたのであろう。
 ふと、和恵の足もとにまとわりつく子どもに気が付いた。

「あ……、この子、はやてちゃんには甥っ子ね。春吉っていうのよ」
「こんにちは、春吉。はやておばちゃんだ」
「やーっ」

 恥ずかしがって和恵の後ろに隠れる春吉は、朝彦の幼い頃にそっくりであった。まとわりつく春吉を気にも留めず、店のテーブルの一つに重箱を置いてしゅるりと風呂敷を巻き取った。

「春吉、帰りますよ」
「はぁい」
「和恵さん、今日は遅いし、送りましょう」
「大丈夫ですよ」

 笑って断られ、蔵之介と共に和恵と春吉を見送る。

「……もう、来ないかもな。悪いことをした」
「なんで?」
「和恵から見たら、我は最も大変な時に消え、そして落ち着いてからふらりと戻ってきた冷たい妹だ」
「そんなことないよ。和恵さん、毎日心配してたんだよ」

 その分、怒りも大きくなるものだ。実際のところその後、わらわが和恵に会うことはなかった。
 春吉に会わない代わりとでもいうように、進一郎はよく二人の子どもを連れてきた。……まぁ、子どもそっちのけで研究の成果をべらべらと話し続けるのはどうかと思うが、人並みに気を遣えるようになったのかと少し嬉しく思う。
 なんでも、名前によって魔力の増減が決まる法則を見つけたとかで、娘と息子はそれぞれ魔力が多いという。
 明という子どもは、視覚に障害があった。もの静かな子どもで、ただ静かに座っている。
 そしてもう一人、恐という子どもは子どもながらに不遜で可愛げのない子どもであった。しかも店も階段もお構いなしに駆け回り、よく転ぶために生傷が絶えない子どもである。

「恐、あまり走らないで」

 音は、進一郎の教えの賜物で、魔法で障害を補い通常の会話ができるようになっていた。聴覚に障害があったのが嘘のようだ。
 明もきっとこうして生活に支障のないようにできるのであろう。

「かあさん、あっちでなにかひかってた」

 二階へと続く階段の途中の窓を開け、外を指差す恐。それを追いかけるためならばその高い位置にある窓からも飛び降りそうである。恐は、その名とは裏腹に、恐れを知らない子どもであった。
 音が不安げに、窓を閉めに行く。するとかすかな物音を頼りに、明が音についていこうとする。

「明、お母さんは恐を捕まえに行った。はやておばさんと待っていよう」
「……うん」

 明の水晶玉のような瞳は、何も映さないのか。
 魔法に頼る生活というものは、どのような感じなのであろうか。
 ふと、わらわが抱きとめるようにしていた明が顔を上げる。

「はやておばさんは、すごく大きいね」
「大きい?」
「お父さんも大きいけど、お父さんがこうなら、はやておばさんはこう」

 明が、手で小さな丸を作り、広げる。
 わらわは進一郎よりも体型としては小柄である。となると、魔力とやらの話なのであろうか。

「それは見えるのか?」
「目を開けたらあるから、見えるってことだと思う。あっちから来るのは、お母さんでしょ?」

 明が指差す方を見ると、確かに音がこちらに歩いてくる。

「正解だ」
「はやてさん、すみません、面倒見てもらって」
「構わんよ。腕白坊主め、母を心配させてはならん」

 抱き上げると、恐はけたけたと笑って手を広げた。

「しんぱい!」
「そう、心配だ」
「かあさん、しんぱいってなに?」
「恐が危ないことをすると、母さんは死んでしまうんじゃないかと思うほど胸が苦しくなるのですよ」
「しぬの!? や、やだっ」
「えぇ、だから高いところから飛び降りたり、刃物を掴んだりしてはいけないのです。怪我をするようなことは、危ないことなのですよ」
「……わかった」
「お姉ちゃんと遊んでらっしゃい」
「はい」

 恐が明の元へ行くと、音はほうっと息を吐いた。

「あの子は少々危機管理能力がないな」
「……えぇ、『恐怖』が、抜け落ちているそうです。痛いのは嫌と言いますが、恐ろしくはないそうですわ。私が障害者でなければきっと……恐も明も、健常者として生活できたのではないかと……思わずにいられません」
「音……」

 それまで蔵之介と話していた進一郎がコーヒーを運んできた。

「どうぞ。蔵之介と話し込んでいたら少し冷めてしまった」
「……音、あまり気に病むな。貴様が会話できるようになったのだから、子ども達もきっと大丈夫だ」
「……えぇ」

 音の表情は暗く、悪い予感がした。けれどそれについて、進一郎に話す機会はついぞなかった。
 わらわは、悪い予感から目をそむけたのだ。

「……はやておばさん?」
「明、おいで」
「お母さんは、どこ?」

 小さな体を抱いて、暖を取る。そうしないと凍えてしまいそうだった。
 あやめも、音も、どうしてこう、早いのか。
 わかっていたのだ。音の心が砂の城のように崩れていっていたこと。毎日、子ども達の障害を突き付けられて追い詰められていったこと。

「お母さんは、遠いところに行ってしまった」

 同じように母を探してやってきた恐を膝に乗せる。

「かあさんは、ぼくがきらいになったのかなぁ」
「そんなことはない。もう会えないけど、二人のことは大好きなはずだ」

 こんなに小さい子どもを遺していくなんて。

「はやてさん」
「二人とも、蔵之介おじさんにお菓子をもらっておいで」

 二人が走っていって、進一郎が一枚の紙を広げて見せた。それは、音の遺書だった。相変わらずの美しい字で、子ども達の障害についての罪悪感が書かれていた。

「……子ども達の障害は、名前のせいなんだ」
「は?」
「名前を明りにすると、明りのない子……視覚の障害者になるんだ。その分、魔力が増える」
「……何を、言って」
「音にも何度も説明してたんだ。恐も、恐っていう名前だから恐怖を知らない子になって……、だから音のせいじゃなくて」
「子どもを実験台にしたのか!?」
「実験台なんて、人聞き悪いよ。魔力の研究をしなきゃいけないってはやてさんとも話し合っただろ?」

 髪の毛が逆立つような、頭に血がのぼったのを感じた。クナイを握りそうになったのを押さえて、拳を頬に叩きつけると、進一郎は派手に倒れた。

「愚か者! 何が魔力だ! そんなもののために子ども達の幸せを犠牲にしていいとでも思っているのか!」
「ちょっと、どうしたの! はやてさん、何があったの!?」

 蔵之介が駆けつけたのを無視してうずくまる進一郎に拳を振るう。

「お前は! 音を殺したも同然なのだぞ!」
「それは言いすぎだろ!」

 進一郎が立ち上がり、わらわに向かって拳を振りかぶる。のろいそれを避けて膝を入れると、弱弱しくわらわを殴る手があった。

「お父さんをいじめないで」
「しかし、こやつは」
「いじめないでよ!」
「……進一郎。出ていけ。二度と顔を見せるな」
「あぁ! そうさせてもらうさ。行くぞ、明。恐も」

 ほどなくして、進一郎はどこかに引っ越したと蔵之介が言っていた。

「……はやてさん、久しぶりに、二人になっちゃったね」
「そうだな」
「懐かしいよね。カフェーを開かせてもらってさ」
「……いろいろあったな」

 蔵之介は、随分成長した。もうじじいだ。見た目なんぞ随分昔に逆転してしまった。

「誰も彼も、わらわと一緒にいない方が幸せなのではないか」

 何か、居場所がほしい。
 そこにいてもいいと言われるような、理由がほしい。
 そうでなければ、存在すら許されないような気がする。