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退魔探偵

 時子が朝日に照らされた壁に看板をかけて、晴れて時子の探偵社は開業した。と、開業祝いに行った蔵之介が教えてくれた。

「近衛探偵社か。果たして食っていけるのかね」
「……まぁ、見守ろうよ。時子さんも若いんだし」
「……江戸の終わり生まれの婆であるぞ」
「……えっ」
「時子は食えなくても餓えて死ぬことはないが、市子が心配でな」

 報告がてら茶を持って来てくれた蔵之介と話し込んでいると、春吉が市子を連れて帰ってきた。春吉は意外にも良き兄役を任務として遂行している。
 その必死さは、以前の時子を思わせた。

「おかえり、春吉。金平糖を買ってきたから二人で食え」
「ううん。今日はいっちゃんが、時子さんの会社を見に行くって」
「二人で行けるか?」
「うん」

 近衛探偵社は、初めの数年は苦戦していたがすぐに軌道に乗った。時子が先に情報を仕入れ、そこに退治を持ちかける。わらわは一応時子に雇用されていることになっており、時子が仕入れてきた情報を元に吸血鬼退治を請け負った。もちろん吸血鬼は戦いなれたわらわの敵ではない。そうして作りあげた「退治率十割」の看板を誇る退魔探偵として、近衛探偵社は密やかに、しかし確実に知られていったのである。決定的であったのは、吸血鬼の仕業であろうと押し掛けた事件を解決し、犯人を捕らえたことであった。時子は予想以上に名が売れてしまい、忙しそうに飛び回っている。

「はやておばさん、茶」
「ありがとう」

 高等学校へと進んだ春吉は、蔵之介の店を手伝うようになっていた。反抗期ゆえ口には出さないが、継ぐ気でいるらしい。時折、煙草の匂いをさせて帰って来ては蔵之介と衝突していたが、春吉の淹れるものはなかなか美味かった。
 そしてこの頃、春吉はわらわのことをはやておばさんと呼ぶようになった。和恵の勘違いで春吉の叔母ということになっているのを、春吉が思い出したからである。和恵はというと、春吉を追い出した男の子を産み、幸せに暮らしているという。

「……なぁ、はやておばさんが魔法で解決してるんだろ?」
「ん?」
「時子おばさんの事件」
「んー、魔法……?」
「はやておばさんは間藤のおじさんみたいな魔法使いなんだろ?」
「……ん?」

 そういえば、蔵之介が魔法使いなんだとか言ったような。なぜ進一郎のことを知っているのかという疑問もあったが、とにかく誤解を解くのが先決である。

「えー……っと、そうだな。もう春吉も立派に成長したし、言うべきであろうと思うのだが、えっと、わらわは魔法使いではない」
「えっ、でも、いつまでも老けないし。俺、じいちゃんに教えてもらって、間藤のおじさんのところで魔法って何かとかいろいろ調べて……」
「魔法使いの他に、老けない種の話を聞かなかったか?」
「……。でも、まさか」
「吸血鬼だ」
「……吸血鬼を、退治、してるんだよね?」
「あぁ。人間を襲っている者は、退治している」

 春吉は、朝彦と同じ考える仕草をした。

「……血を、吸うの?」
「んー、退治した吸血鬼の血を吸っているな」

 春吉の顔面からさぁっと血の気が引いていく。あぁ。こうなってはもう、近寄ってはくれない。朝彦は、生まれた時からわらわが育てていたから、正体がなんだろうがわらわはわらわだと受け入れてくれただけで。元々、和恵に様々な悪口を吹きこまれていた子だ。ようやく、打ち解けてきた子だ。その矢先に知ってしまったのだから、もう。
 不意にドアが開いたとき、春吉は飛び上がるほどに驚いた。市子が顔をのぞかせていた。

「はやてさん、お母さんが仕事って」
「あぁ、教えてくれ」

 入ってくる市子と入れ替わりに、春吉がバタバタと出ていく。市子はそんな春吉の背を眺め、眉をひそめた。

「また喧嘩したの?」
「いいや、わらわが吸血鬼だと教えた」
「はる兄、知らなかったの?」
「あぁ。魔法使いだと思っていたと」
「……そうなんだ」

 市子は、切りそろえた前髪を少し払い、仕事の内容について子細を伝えた。普段はさっと帰るのに、出ていく直前に少し振り向いた。

「……はやてさん、はる兄のことは私に任せて」
「別に、気にすることはない。時子はどうだ?」
「大変そう。新聞が名付けた女小五郎なんて嘘っぱちだもんね」
「まぁ、自分で作りだした功績だからな」
「反省してるってさ」

 市子は、健康に素直に育った。時子の探偵社を継ぐつもりらしく、高等学校へは行っていない。市子の活躍で、近衛探偵社はますますの人気を見せていた。
 その頃、蔵之介が倒れた。
 本人は軽い過労だそうだとけろっとしていたが、わらわや春吉の心配は蔵之介が笑うほどだった。

「土日は俺が主で店を開けるから、高校卒業するまで、平日はじいちゃんが昼間だけ開けてくれ」
「世代交代だな」

 蔵之介は目を細めたが、笑っている場合ではない。蔵之介を寝かせ、脱力しながらも春吉と向かい合って座る。

「……広いなぁ。前は、蔵之介がいて、あやめがいて、……朝彦がいて。進一郎も……、音や、明や、恐が、いた」
「やめろよ。俺がいるだろ」
「春吉、わらわが怖いのだろう」
「……」

 春吉は、否定も肯定もしなかった。ただ目をかすかに潤ませただけだった。

「蔵之介を看取ったら、しばらく、吸血鬼退治の旅に出る。蔵之介を拾うまではそうしていたから」
「……俺の叔母さんじゃ、ないの」
「春吉にとってはひいおばあさんだな」
「……隠し事ばっかりだ」

 なぜか、二人して泣いていた。

***

 蔵之介の葬式を身内だけで済ませると、わらわは言葉通り旅に出ることにした。時子も、市子に探偵社を任せついてくると言うので二人旅だ。旅支度の中で、近衛探偵社は建物を引き払い看板を掲げるのをやめ、市子はわらわの部屋を使うことになった。旅の間、市子は探偵業を請け負わずに情報収集に徹する予定となっている。

「……それでは、しばらく留守をよろしくな」
「わかった。はる兄のことは任せて」
「時子おばさんも、いっちゃんのことは任せて」

 傍目には二十歳そこそこの婆二人旅。その中でわらわは、神隠しなどの噂がある地域で退魔探偵と呼ばれる時子の吸血鬼の見つけ方を目の当たりにする。わらわよりもよほど正確にたくさんの吸血鬼を見つけ出す時子だったが、その手法はひどく地味だった。
 まず時子は、野暮ったい格好に着替えて手近な家を訪問した。

「すみません、回っていたら遅くなってしまって。県の方からきて廃屋検査をしているんですが、この辺で廃屋になっているところはありますか」
「廃屋検査なんてあるんですねぇ」
「えぇ。もはや戦後ではない、と宣言があったでしょう? 戦争でたくさん廃屋ができたのを一掃してしまう必要がありますのよ」
「へぇ~。この先に一軒と、もしかしたら人がいるかもしれないんだけど、山の入口に一軒あった気がするんですよねぇ」
「もしかしたらとは?」
「浮浪者が住み着いてるかもって。危ないから子ども達にも近付かないように言ってるんですけど」
「ふむ……、福祉のこともあるので、わたくしが見てきますわ」
「県のお役人さんはそんなこともしてくれるんだねぇ」
「うふふ」

 散々新聞で時子の顔は出たはずなのに、白黒の粗い写真と目の前の県の役人を名乗る野暮ったい女とは比べようともしないらしい。
 こうして数軒の家を訪問し、廃屋の情報を引き出した時子は、詳細な地図にその情報を書きこむ。

「勝手に役人を名乗っていいのか?」
「だめですわ。でも、わたくし、県の役人ですなんて名乗ってませんわよ」
「……ふむ、つまり、相手が勝手に勘違いしたのが悪いということだな」
「言い方に悪意がありますわね。さてと、廃屋はこのへん。明日は、退魔探偵としてくつろいでいるだけで吸血鬼の情報の方が飛び込んできますわ。最近はその情報収集をしなくていいので楽ですのよ」
「本当か?」
「吸血鬼がいれば、の話ですけれど」

 時子は言葉通り数日くつろいでいた。これでは観光旅行である。
 わらわはしびれを切らし、夜に巡回をしていた。しかし、何もない。おそらく時子が吸血鬼の根城と見ているのであろう数軒の廃屋も全て空であった。

「あら、はやてさんちょうどいいところに」
「何もないぞ。噂はここではないのでは」
「依頼がありましてよ」
「え?」

 時子が手のひらで示す。村人が、縮こまって三名、時子に向かい合って正座していた。

「……茶を持ってくる」
「いいえ、旅館の方が気を利かせてくださいましたの。一緒にお話を聞いてくださいまし。では村長さん、もう一度お願いいたします」
「はい、あの……今年に入って、月に一人二人、神隠しにあっていて……警察が探してくれるんですが、見つからずに次の人が……」
「ふむ、被害者は一人も見つからない? その……変わり果てた姿などでは」
「えぇ、見つかりません」
「……」

 吸血鬼の被害者は吸い殻とでもいうのか、干からびた遺体が見つかる。この場合、遺体の山がどこかに巣の中で積みあがっているか、犯人は人間、もしくは元人間で遺体を隠しているかのどちらかだ。吸血鬼は遺体を隠したり埋葬したりなどしない。
 そもそも吸血鬼が遺体を隠さずに放置するのは、人を襲うのは食事であるために罪悪感がないからだ。米兵が甘いお菓子の包み紙をそこらへんに捨てるような感覚で遺体をそのままにして、連続変死事件として発覚する。

「では、行方不明者の名簿を作っていただけますか。簡単なもので構いません。名前と、歳と、いつ行方不明になったかの名簿です」
「はい」
「それから――」
「あの、お礼は、いくらくらい……」
「そうですわねぇ、成功したらで構いませんけれど、山を越せるだけの路銀があれば助かりますわ。寝食三日分、といったところかしら」
「たったそれだけで」
「えぇ。お気持ちで結構ですのよ」

 時子が菩薩のような笑みを浮かべたので、村人たちは崇めるように目を輝かせた。警察から報奨が出るから村人からの謝礼は必要ないものであって、「たったそれだけ」を稼ごうとしているだけだ。わらわに優しさがどうこう言った奴と同一人物とは到底思えないセコさであった。
 村人たちが帰ったので茶をすすると、そういえば、と時子が言った。

「何もなかったとおっしゃいましたね」
「廃屋も見てきたが、誰もいなかったぞ」
「……今回は、吸血鬼の仕業ではないかもしれませんわね……。厄介ですわ。山の入口にあると言っていたのはいかがでした?」
「あぁ、それなのだが、納屋のようだったぞ。農具が置かれていた。おそらく、農夫が度々使っているのを勘違いしたのではないか」
「ふーん。何も手掛かりがありませんわね。夜逃げの準備でもしておきましょうか」
「たわけ。散歩してくる」

 先程は巡回であったので、のんびりと歩くことにした。都会と違って街灯がほとんどない村では、大きな月が闇を切り取るように存在している。月の光はなんとなく温かいような気がした。日の光は、温かかったから。
 風が渡る音を聞きながら、草木の色を想像する。日の下で見る草木色は、どのように輝いていただろうか。
 もう、日の光を浴びなくなって幾年が過ぎたであろうか。手頃な岩を見つけ、月を眺めることができるように、村に背を向けて座り込む。岩はひんやりと冷えていた。

「……正重に会いたいなぁ」

 蔵之介を拾って、目の前の家族に時間を割きさっぱり探してこなかった。もう転生して爺になっていたらどうしようか。
 待つだけの人生。
 会えたら、どうしようか。今度正重がわらわの目の前から消えてしまうときは――。
 そんなことを考えているときだった。不意討ちの、背中への衝撃で岩から転がり落ちていた。

「!?」

 背中を刺されたか。何度となく経験した痛みにそう結論付けて立ち上がろうとすると、正面から体当たりをくらいまた倒れる。背中に生えていたであろう刃物が肉の再生に合わせて押し出され、倒れた衝撃でまた刺さる。

「、ぐっ」

 クナイは宿だ。背中に刺さった刃物を掴み、引き抜いて振りかぶる。月に照らされたそれは、出刃包丁。逆手に持つと、片刃のクナイ代わりにはなったようで、薄く何かを切る手ごたえを感じた。

「ぎゃっ」

 相手が奥に転がったので、もう一度包丁での反撃を試みた。瞬間、横から突き飛ばされた。
 二人いる。しかも、無言で連携している。慣れている。
 大きく一歩近づいて包丁で薙ぐ。どこか、上半身を傷付けたはずだ。しかし相手は息も漏らさなかった。まだ追い詰めようとしたが、今度は先程倒れた方がわらわを突き飛ばした。
 体勢を立て直す間に、二人で手を取り合いばたばたと逃げていく。

「……はぁ」

 手に残った刀匠の名が彫ってある出刃包丁を見て、月を見上げ、大きく息を吐いて宿に戻った。

「昨夜、わたくしの助手が襲われました。推理するまでもありません。出刃包丁が家にない方が、犯人です」

 時子が提示した名簿を持ってきた村長たちは、息をのんだ。
 昼間の話なので、ここからは時子が語ったことの伝聞となる。時子は、村長たちが台所を改めるのについて行った。しかし、包丁が一本もない家と言うのは一軒もなかった。
 一軒だけ時子が気になった家は、大火傷を負った嫁がずっと臥せっているという家であった。料理人かと見まがう包丁の数々のうち、出刃包丁だけ違う刀匠のものであったという。村長を説得し、その嫁を家の外に連れ出してみるとみるみるうちにその女は灰になった。おそらくは最近吸血鬼の眷属にされ、旦那に餌取りを手伝わせていたのだというのが、時子の見解であった。
 共謀していた夫は大きな街からやってきた警察に引き渡されることとなった。
 こうして、退魔探偵こと近衛探偵社はまた一つ有名になったのである。

「目の前で灰になるのですから、退魔というのもすんなり信じていただけますわね」

 ほくほく顔で村の特産品を食う時子をよそに、なんとなく悪い予感がしていた。その悪い予感というのが、数年後、のんびり進んでいた旅で山を五つ六つ越えた頃に的中する。