Mymed:origin

 2回のオイルショックを乗り越えた頃、藤丸は二十六歳となった。少し前に商社でばりばりと働く企業戦士とやらになり、十年前の片恋をいい思い出だと言ってくれるのだから、人の成長というのは早いものだ。
 この日、わらわと時子は膝をつき合わせてうなっていた。

「……どういたします?」
「……罠かもしれん」

 吸血鬼による凶悪な事件に頭を悩ませた政府が、対吸血鬼組織を作ると発表した。その案内が届いたのである。
 相変わらず吸血鬼の人権とやらを主張する人々はいたが、凶悪な事件が相次ぐにつれ、今まで息をひそめていた吸血鬼排除の世論が噴出したのである。

「そもそも何故はやてさんの存在を知っているか、ですわよねぇ」

 宛名はわらわで、内容は吸血鬼を捕縛するのに腕に覚えのある者を募集しているというものであった。時子の言う通り、わらわを知っていること自体すでにおかしい。戸籍もなければ、存在を知っている者などごく少数。吸血鬼退治も非合法ゆえ、依頼人も気軽にわらわの存在を話すわけがない。

「乗り込んでみるか?」
「おあつらえ向きに夜に説明会があるというのが、また……」
「意外と、過去の依頼人の中に国のお役人がいたりしてな」
「だとしたら大問題ですわね」

 とりあえず行ってみよう、ということで話がまとまった。
 主な収入源である吸血鬼退治が減ってきていた焦りもあるのかもしれない。わらわ達は、どう考えたっておかしい招待を受けることにした。
 人ごみに紛れやすいようにスーツを着込み、髪を縛って説明会の会場である警視庁近くの大ホールへと赴いた。中は筋骨隆々の男で溢れかえっていて、何を着ていても女のわらわ達は悪目立ちしていた。

「……おそらく自衛隊……、レンジャー部隊をリタイアした人々ですわね。あちらは機動隊」
「なるほど、腕に覚えのある……か」

 ぐるりと見渡す。その中に見知った顔はない。吸血鬼は鋭い牙をもつこと以外はほとんどそこらへんの人間と変わらない。ただ、攻撃をくわえても傷付いたそばから再生していくのでキリがないし、屈強な男であっても、噛みつかれ貧血で倒れれば非力な人間となってしまう。

「あのひょろひょろの方々……」

 時子が指差したのは、国の役人らしい細身の連中だ。ぞろぞろと並ぶ中に、見知った顔を見つけた。
 なるほど、わらわだけに招待状が届くはずだ。

「時子は進一郎とは面識がなかったな」
「どこの進一郎さん?」
「魔法使いの間藤進一郎だ」

 随分昔に勘当した息子は、中年ほどに老けていた。
 進一郎ならば、わらわが腕に覚えのある忍びであることを知っている。しかし、吸血鬼であることも知っている。
 どういうつもりだ。
 黙って見ていると、進一郎はこちらに気付いてどんどん近寄ってきた。人ごみを逃れ、会場の外に出て話をすることにした。

「はやてさん、本当に不老不死ですねぇ」
「ふふ、親子で同じことを言うもんだ」

 進一郎は、少し思案して、頭を下げた。わらわは、そこでようやく進一郎に対しての警戒を解いた。そっと握っていたクナイから手を離す。

「……反省しました」
「わらわも悪かった。……何もできなんだ自分に腹が立っての八つ当たりだ」
「今度、明と恐にもまた会ってください」
「あぁ。ぜひ会いたいものだ。相変わらず店の地下にいるから、店にも来てくれ。今は、蔵之介の孫が店をやっている」
「春吉くんでしょう? 蔵之介とは連絡を取ってましたから。春吉くんが、随分昔にはやてさんが魔法使いだから、魔法のことを調べたいって来たこともあったなぁ。芽衣子ちゃんは、和恵さんとはまた別の分家の子ですし」

 そういえば、春吉が進一郎のことを言ったことがあった。なんだ、義理の兄弟で仲良くやっていたのか。この様子だと、わらわに会わなかっただけで蔵之介に線香をあげに来ていたのかもしれない。

「……許してもらえてよかった。今日も、来てもらえるか不安で」
「あ、そのことだがな、名前くらい書かんか。吸血鬼代表として晒しあげられるのではないかと疑っていたところだ」
「え、俺の名前なかったですか? 書いてあった通り、吸血鬼を捕える、または殺処分するための対策チームをつくるんです。人間か吸血鬼かは問わず、腕に覚えのある者を対象として準公務員となるため、はやてさんも非合法で活動するより安全ですし」

 蔵之介や春吉は、そんなことまで伝えていたのか。

「他に吸血鬼はいるのか?」
「まぁ、人権団体に配慮して人間か吸血鬼か問わないって書いただけですし、いませんよ。表向き捕縛ですが、メインは殺処分ですからね。いくら善良な吸血鬼でもひとたび何かあれば処分される対象となるのに入りたいわけないでしょう。俺はただ腕に覚えのある人としてはやてさんを推薦しただけですから正体は明かさないでください」
「まぁ、忍びであるからな」
「殴られたとき、死ぬかと思いましたよ。あ、一番大事なこと忘れてた。はい、戸籍」
「へ?」
「チームに入るときに、身辺調査があるはずです。国の機関ですからね。はやてさんは俺の娘で春吉くんの養女ってことで戸籍作りました」
「戸籍って、つくれるものなのか……?」
「まぁ、いろいろ駆使しましたね。お友達のも作ってますよ。近衛時子さん。吸血鬼を有名にした退魔探偵ですよね。あちらは起業してることもあって建物、法人、所得税などの税金だけ払っている状態なので、近衛時子さんで作ってます。住民税が追加されちゃいますけど。というか、よく今まで住民税の取り立てにあわなかったなと不思議でならないのですが」

 旅券や保険証を二組手渡される。わらわのものと、時子のもの。

「……本当に、意地を張っていてすまなかったな。貴様がここまでしてくれたのに、わらわは何も」
「いいんですよ。俺も、あの時殴ってもらえてよかった。あの時すぐには気付かなかったけど、狂ったままの研究者になるところだった」

 進一郎は、さっぱりした顔で笑った。
 この日から、わらわと時子は準公僕となって登録のない吸血鬼は排除するという考えの政府の元、吸血鬼退治に奔走することとなった。懐に登録のない吸血鬼がいるのだが、進一郎が魔法使いであると押し通したらしく、わらわと時子は魔法使い班に配属させられた。

「といっても、魔法使いチームは君たちと間藤恐くんの3人なんですけどね」

 丸い眼鏡の奥にたれ目が特徴の藤堂室長は、のんびりと言った。なで肩に、アーガイルのチョッキが可愛らしい小さな中年で、髪の毛には白い毛が混じっている。縁側で茶でも飲んでいそうな男であった。

「いやぁ、しかし魔法使いっているんですねぇ。間藤氏、あ、同じ班の間藤恐くんのお父さんの間藤氏も、僕と同じくらいに見えるのに、もうすごいおじいちゃんだって言うじゃないですか。一時期は間藤氏もあまりに老けないので吸血鬼なんじゃないかなんて噂もあったんですよ。昼間も出歩いているのですぐに解決したんですけどね」

 藤堂室長は、よく喋る男であった。今まで育ててきた男も無口とは言い難かったが、ここまでのおしゃべり好きはいなかったので、少し辟易する。
 しかし、藤堂室長はわらわが間藤の娘で御子柴に養子に出されたという設定を知らないということがわかった。進一郎は身辺調査があると言っていたが、どれほどの人間がそこまでの個人的な情報を知っているのであろうか。

「間藤くんは遅いですねぇ。あ、そうそう、どうして間藤氏が吸血鬼ではないとすぐに判明したのかなんですけどね。君たちくらい若いと知らないかもなぁ。昔、吸血鬼の人権が声高に叫ばれる前にお騒がせ探偵っていうのがいてね。白黒テレビがカラーテレビに変わるくらい昔の話です。その人が各地で吸血鬼を退治して回っていて、テレビカメラの前で日光の下に引きずりだしたら、みるみるうちに吸血鬼が灰になっていくんですよ。それからは、吸血鬼は日光で死ぬっていうのは常識になりましてね。近衛さんみたいなおっとりした感じの人だった気が」
「えっ、あ……はぁ」

 時子がそわそわと見渡す。

「遅いですわね、間藤さん」
「なんといっても恐れを知らぬ奴だからな。どんな風に育ったことやら」
「お茶、どうぞ」

 藤堂室長がのんびりと茶を勧める。他のチームは、既に現場に向かった後で対策室はがらんどうだ。
 お茶を目の前に置いた足で藤堂室長が冷蔵庫横の戸棚に向かう。少し離れているが、茶請けまで出してくれるつもりのようで個包装の羊羹を見比べている。

「まぁでも、進一郎も音が亡くなって男手一つで育て上げたのであろうし、……とはいえ、当時もう喜寿も過ぎた頃であったし、少しはまともに……」
「心配が過ぎますわよ、おばあ様」

 時子がくすくす笑いながら言うので、少しムッとする。

「貴様も市子が子どもを産めばわか……、そういえば、最近市子を見ないな」
「出産を機に、吸血鬼に逆恨みされるのが怖いから、お母さんからは距離を置きたいと……随分前に言われましてよ。藤丸くんの3歳ほど下だったかしら。初めはムッとしましたが、元気でいてくれたらそれでいいと思うものですわね」
「すいません、遅れました」

 ドアが開くと同時にそんな声がした。見ると、だらしない格好の若者が立っていた。繁久殿、進一郎と同じ耳をしていて、名前を聞かずとも恐であるとわかった。

「恐、貴様」
「道中に吸血鬼を見つけたんで捕まえてきました」

 その言葉に、慌てて藤堂室長が飛んできた。恐の足元には、縛り上げて引きずってきたのであろう人型の生き物が逃げようとのた打ち回っていた。藤堂室長はどこかに電話をかけ始めた。

「ダメでしたかね。俺を襲おうとしたんで」

 なるほど、返り討ちにするほどの力はあるのか。
 机の上に立ててあったカッターナイフを取り、恐の足元でジタバタと動くその男の手の甲を切ってみる。赤く線がぷっくりとふくらみ、とろりと流れる血に喉が鳴る。そして、すぅっと傷がなくなった。

「……吸血鬼だな」
「連絡つきました。取調室に運んでもらえますかな?」
「えぇ」

 恐が右手の指先を全てつけ、手で筒を作る。その中にふっと息を吹き込むと、吸血鬼はもがきながらわずかに浮いた。
 魔法だ。
 恐がポケットに手を突っ込んでゆったり歩く横を、吸血鬼がふわふわと漂う。

「すごい……」
「はやておばちゃん、久しぶりだね。俺、小さい頃のこと覚えてるよ」
「本当か」
「うん、一緒に遊んでもらったことも覚えてるし、おばちゃんが殴ったら親父が吹っ飛んだのは人生で一番の衝撃シーンだし。もう俺、親父が死ぬ! って思ったもんね」
「……あの時は……、わらわは恐にとっては悪党であったであろうな」
「しばらくは親父をいじめた人って認識だったね。ま、俺も話の真相を知った時は親父殴ったよ。ねーちゃんとか、それで目が見えないわけだし」
「明は元気か?」
「うん、周囲の状況を把握する魔法にほとんど魔力使っちゃってるから、魔法使えないみたいなもんだけど」
「そうか」
「ねーちゃんも会いたがってるから、いつでも来てよ」
「あぁ。そうだな」

 取調室と名前がついたただの会議室に吸血鬼を放り込むと、数名の警察官が待機していた。

「ご苦労。ここからはこっちで引き取る。怪我はないか?」
「ないです」

 怪我一つないのが不満とでもいうかのように、警察官は肩を竦めた。
 藤堂室長の元へ戻ると、任務についての説明があった。

「間藤くん、今日みたいなときは、まず僕と班員に連絡してね。それから、確実に依頼のあった吸血鬼に関しては、処理前の姿と処理後の灰を写真に収めてくれればその場で処分していいですからね」
「処分って」
「先程話した通り、日光に当てるんです」
「他に方法は?」
「今のところ、見つかっていませんね。研究段階です」

 わらわが知っていることは言った方がいいのであろうか。しかし、万が一わらわが吸血鬼と知れた時のことを考えると黙っていた方が良いのではないか。そんなことを考えて、結局わらわは何も言わなかった。

「これ、ここの電話番号。連絡、よろしくね」
「はい」

 恐は、見た目に反し、随分まっとうな社会人らしい対応をした。とはいえ、見た目は藤丸に近いが、歳は春吉に近いのだから当然と言えば当然か。
 一通りの説明の後、わらわ達は解散となった。恐が来るのが遅すぎたためである。

「はやておばさんは、呪文省略どうするの?」
「呪文省略?」
「俺だったら、掌で筒を作ってふーってすると魔法の呪文省略できるんだ」

 恐もわらわがただの魔法使いであると思っているのか。一瞬時子と目があった。

「わらわは繁久殿と同世代であるから、魔法というよりは、伊賀や甲賀の秘術だ。なので、印を結ぶ」
「えっ、繁久殿って江戸生まれっていうじいちゃん!?」
「江戸というよりはそれ以前、今でいう安土・桃山時代という時代であるな」

 恐は驚きを隠そうともしなかった。しかし、魔法使いであると疑いもしないのは、老けにくいということが常識となっているからか。

「ひゃー、それでその若さって、エヴァンジェリン先生みたいなもんじゃん」
「あぁ、あの学校に行ったのか。ドロシーだかオロチだかの家に建っている」
「ドロテアな。俺はエヴァンジェリン魔法学校に行けるほど魔力なくってさ。アメリカのロサンゼルスにあるミーティカ魔法学校に行ったよ。エヴァンジェリン先生に会ったのは、親父が遊びに行った時だね。えーっと、時子さんはどこの魔法学校に行ったんすか?」
「わたくしは……その、魔法学校には誘われましたけれど、てんでダメで……。ただ魔力が多いだけで、このチームに入れられたようなものですのよ」
「へぇー、じゃあ、時子さんの方がエヴァンジェリン先生に似てるのかも。あの人も魔法使えないんだって」

 エバンゼリン殿には申し訳ない気もしたが都合よく解釈してくれたので特に訂正もしない。恐は進一郎ほど、わらわに親しみもない。吸血鬼と明かすのは早計すぎる。

「時子には分析をしてもらおう。元々、そうやって二人で吸血鬼退治をしてきた」
「えっ、違法なやつ?」
「まぁな。わらわはこちらだ。ではな」
「うん。また明日」

 恐と手を振って分かれた後、深いため息がもれた。

「……身内であったのは良いが、身内であるがゆえに厄介そうであるな」
「そうですわねぇ、やる気に満ち溢れていますし、日中に訓練を、なんて言いそうですわ」
「日中に移動するためには土遁の術の精度を上げておくか。となると、血を吸わないとやっていけんな」
「写真だけで良いのでしたら、捕らえた者の血を飲めば良いのではなくて?」
「恐がいては難しかろう」
「なんとかなりますわ」

 実際のところ、なんとかなった。時子の想像通り、恐は日中に訓練をしようと言った。店の地階を一階分増やし、周辺の家の基礎よりも深い地中に建物が数軒入るほどの広い空間を作った。日中に外に出ずに実地訓練さながらの訓練ができるようにしたのだ。住処をそのうちの一軒に移し、わらわが居住していた地下一階の部屋は時子の探偵事務所が入ることとなった。
 地下二階には、進一郎が魔法学校の創立を手伝った時の魔法の応用で、魔力が多い者にしか扉が反応しないことになっており、地下二階という不動産は事実上ないことになっていた。わらわ達は着実に、法外な秘密を抱え込んでいっている。
 このような秘密により、わらわ達魔法使い班は、吸血鬼の捕縛率は随一を誇った。そして、わらわが遁走術を使おうとも血が足りぬことは、バブル崩壊という経済の危機に陥るまでなかった。
 ちなみに、あれほどの反省の弁を述べた進一郎であったが、音の苦悩の引き金となった『命名実験』とやらを続けていたことが発覚してもう一度わらわから殴り飛ばされるのは、バブル崩壊後、つまりわらわの食糧難と同じ時期のことである。