Mymed:origin

吸血鬼の国

 最新の眷属登録者である後藤千佳枝が登録者向けの血液提供ルームに足を運んだという報告があり、時子は薄く笑った。

「とりあえず、未来の犯罪は防げたといったところですわね」
「あぁ。問題は、彼女を眷属とした純血種か」

 そちらに関しては、かなりうまくやっているようで何の手がかりも掴めていない状況であった。今まで捕らえた者や先日の後藤女史の紋を見るに、同一の純血種が眷属を増やしているようであったが、各人が襲われたという場所はてんでバラバラであった。通り魔的な所業で、次の犯行場所の予測もたたない。

「それにしても」

 もったいぶった様子で時子が足を組んだ。時子は婆のくせに最近流行りのミニスカートというものを履くようになったので、時子の白い足が惜しげもなく披露されている。

「わたくしの野望がいよいよ真剣みを増してきますわね」
「野望?」
「ほら、吸血鬼の村をつくると言いましたでしょう?」
「あぁ、いつであったか……そういう与太話もしたな」
「でたらめではありませんわよ。吸血鬼と人間は本来相容れぬものなのですから、分かれて暮らした方がどちらにも良いものであるはずでございましょう」
「そうか? 同じことだと思うがな」
「……えぇ、万が一、近くで吸血鬼による被害が出れば結局は同じですわ。大きなコミュニティになれば、それに対する世間の目はより一層厳しいものとなるでしょう。ですが、物理的に無理であれば? わたくし、無人島を買おうかと思っておりますの」
「はぁ!?」
「今なら不動産も安く買い叩けますわ」
「し、しかし、金は?」
「わたくし、ご飯は食べませんし、おうちもありませんし、お金の使い道なんてお洋服くらいしかありませんもの。お金は無駄にありますわ」

 その洋服代がかなりかかっていると思うが、とにかく自信の根拠となるほどの、かなりの額の貯金があるらしい。

「探偵は廃業して、村長になろうかしら」

 時子は相変わらずふわふわと、本気か冗談かわからない表情で言うのであった。本気だとは思っていなかったが、時子はその後、一週間ほど姿を消した。

「はやてちゃん、いるー?」
「藤丸、こっちだ」
「あ、こっちか」

 藤丸が友美の手を引いて連れてきた。

「恵理子が体調悪いみたいでさ、病院に連れて行くから友美を見ててくれない?」
「よかろう。友美、何をする?」
「あのね、しゅくだい!」
「おぉ、宿題か。偉いな」

 恵理子は、相変わらずわらわに会うときは少し緊張したようすを見せる。しかし、友美にはわらわに近付くななどといったことを言っていないようで、友美はわらわに怯えるようなようすは一切ない。本当は怖いであろうに、申し訳ないと思う。

「それじゃあ、行ってくるから」
「気を付けて」
「いってらっしゃい!」

 友美は、体に対して大きなランドセルから薄い冊子を取り出した。
 しかし、宿題か。

「では、わらわも宿題をしよう」

 元は、音と話すために勉強を始めた文字であったが、子どものようにすらすらとは覚えられず、最近ようやく中学生で習う漢字を読めるだけでなく書けるようになった。それにしても、カクカクした文字になり読みやすくなったものだ。

「おかあさん、しにそうなんだって」
「え?」
「おかあさんが言ってた。しにそうなほどつらいって。おかあさん、しんじゃうのかなぁ」
「あぁ、えぇと、死にそうなほど辛いと言ったのだな? ならば、とっても、すっごく、つらいという意味だ!」
「ほんとうに?」
「あぁ」

 その時の軽口であろう。そうでなければならない。夜、聞いてみた方がいいな。
 友美は、その後も大人しく宿題を進めていった。わらわの方がそわそわしていたくらいだ。
 夜、わらわは藤丸と恵理子の部屋を訪ねた。藤丸は実家へ用があるらしく、恵理子しかいなかった。

「――というようなことを、友美が言っていたのだが」
「やだ、すみません。冗談でも言わない方がよかったですね。実は、二人目ができたみたいで、つわりがひどくて……」
「!?」
「すみません……」
「い、いや、めでたいことでよかった。そうか、二人目が……」
「はい、しばらくの間は友美を預かってもらうことが増えるかもしれません」
「それくらい、いくらでも用付けてもらって構わない。それにしても、本当によかった。友美には、きっと大丈夫だと言ったが、恵理子さんが直接言った方がさらに安心することだろう」
「はい」
「では、下に戻るよ」
「はやてさん」
「ん?」
「ありがとうございます」
「そんな、気にしないで」

 恵理子に深々と頭を下げられて、照れてしまい返事もそこそこに部屋に戻る。
 二人きょうだいというのは進一郎の子ども以来である。元気な子が生まれるといい。
 なんだか、思ってもみない嬉しいことで、うきうきとしながら夜回りをした。

「はやてさん、聞いてくださいまし!」

 鼻息荒く時子が飛び込んできた。真昼間のことで、わらわは熟睡中であった。

「なんだ……。貴様、仕事もせずにどこへ……」
「なんと、島が買えてしまいましたの!」
「何!?」

 時子は珍しく落ち着かない様子で、舞でも舞いそうなほどせわしなかった。
 一週間、姿を消して何をしているのかと思えば……。

「えぇと、岩手と福島の間くらい……でしょうか。そこらへんから東に150キロほどのところに島があるそうですわ」
「東北の海に島? どれ、地図を見せてみろ」
「それが、載っておりませんの!」
「はぁ? 貴様、騙されたのでは」
「いいえ、実際に行ってきました。流刑地だったようですわ。でもはやてさん、聞いたことありません? 日本の東にある、漂着でもしないと行かないような島……」
「……! 羅刹国か」
「おそらくはそう呼ばれていたのではないかと」
「本当にあったのか」
「無人島でしたけれど……木々が鬱蒼と生い茂り、おどろおどろしくはありましたわね。タダ同然でくださるはずですわ」
「タダ同然……って」
「譲り受けた方の相続税と固定資産税を足したくらいの額で済みましたわ。おかげでインフラを整えられます」

 時子の壮大な夢は、一日がかりで語られた。インフラと言われてもいまいち理解できなかったが、井戸を掘るとか自然の力を利用した発電所を作るとかいうことらしい。家庭菜園程度の野菜を作っておやつにするそうだ。

「……というわけで、退魔庁の仕事からは手を引こうと思っておりますの」
「へ?」

 この時、時子は数時間ぶっ通しで喋り続けていたので、わらわは話をほとんど聞き流していた。かろうじて言葉を拾い上げ反応すると、時子はくすりと笑った。

「だって、わたくし羅刹国に住むんですもの」
「それは……そうだな」

 羅刹国。女の姿をした鬼が住む島だったか。現代版鬼ヶ島となるわけだ。
 時子は晴れ晴れとした顔で、これから眷属になってしまった人々に声をかけるのだなどとまた夢を語りだした。
 時子は最後までわらわも一緒になどとは言わなかった。わらわが断るとわかっていたからであろう。

「辞める!?」

 意外にも大きな声を上げたのは、藤堂室長であった。随分前に定年を迎え、再雇用されて久しい室長は、入れ歯が飛び出そうなほどの大きな口を開いた。

「近衛さん、あんたに辞められちゃ困りますよ。何せ、間藤くんも御子柴さんも、事務仕事が何もできないんですから! これ以上私の髪の毛が抜けたらどうしてくれるのですか」
「まぁ、もうそれ以上抜けることはありませんわよ」

 時子はにっこり笑って藤堂室長のつるつる頭を撫でた。藤堂室長の髪の毛はこの20年で見るも無残になっていき、恐は髪の毛の手入れを入念にするようになったほどだ。

「大丈夫ですわ、室長。二人がいれば大丈夫。わたくしはずっと、望まずに眷属になってしまった方のために何かできないか考えておりましたの。ただひっそりと暮らしたいという方々を集めて住む場所を作りますのよ」
「そんなもの、政府が」
「政府にはできませんわ。眷属になってしまった方を隔絶するようなこと、法の下の平等ではできません。ですからわたくしが」

 その後も藤堂室長は時子の説得を試みたが、時子の気持ちが揺らぐはずもなく、がっくりと肩を落とした。
 法の下の平等には、できない。そうだ、平等な生活のために生活の補助をすることはできても、生活を切り離すことはできない。

「吸血鬼の国を作ります!」

 正しくは、吸血鬼の眷属の。
 果たしてどこまでやれるのか。わらわはただ見守ろう。そう決めた。
 時子の退職に際し何の感想も言わなかった恐は、数日後に初めてあーあ、とこぼした。

「俺も時子さんみたいに天職探そうかな」
「どうした? 何か不満か?」
「――……というより、俺、そろそろ退魔庁なくなると思うんですよ」

 恐が背もたれに倒れると、安物の椅子はギシギシと音を立てた。珍しく机に向かっているかと思えば、事務仕事をするふりだけをしていたらしい。

「ほら、退魔って、魔を退けるって書くでしょう。俺たちの仕事みたいな、吸血鬼を退治することがメインみたいな名前ですよね」
「そうだな」
「けど、今や俺たちの仕事はほとんどなくなってます。今追ってるのも三日月の純血種だけだし、それなのに人権団体は相変わらず声がデカい」
「まぁ、肩身は狭いな」
「最近、昼間も働けってうるさいしさ」
「そうだな……、わらわも考えた方が良いのかも」

 昼間に出勤しろという要請は、何かと理由を付けて断っている。今は省庁の深いところに進一郎がいるので睨まれるだけで済んでいるが、税金泥棒のそしりは徐々に声高になりつつある。
 昼間に出勤しようにも地面にはアスファルトが敷かれてしまっていて土遁の術が使える場所がほとんどなくなってしまったのだ。

「……わらわも吸血鬼の国に行ってやろうか」
「何言ってるんです。噛み痕がある魔法使いなんて、受け入れられるわけないでしょう」

 思わず自らの首筋を撫でる。恐はまだわらわのことを魔法使いだと思っているのだったか。
 もう何年も、正重を探していない。しかし、御子柴の家を放っておくことはできない。

「……まぁ、とにかく転職を考えるなら早めがいいですね。いや、無職なら毎週の見合いもなくなるかも……」

 真剣に悩みつつも、恐は仕事を再開した。わらわも事務仕事に戻りつつも、次の段階へと移ることを考え始めていた。
 すなわち、闇稼業へと戻ることを。