Mymed:origin

三日月の吸血鬼

 夜の見回りを続けて何になるのか、と恐に問われる夢を見る。
 そんな日々が何日も続き、果ては数年になっていた。藤丸の下の子、佐吉は既に小学生だ。その間、三日月の吸血鬼は野放しのままである。
 恐の、『見つけてどうするつもりか』という質問には、まだ答えられない。

「かといって――……」

 何もしないわけにも、と誰にともなく言い訳をして見回りに出る。夜に出歩く人は格段に増えた。吸血鬼の被害者も。それが三日月の吸血鬼だけなのかどうかはわからないが、増えていることは確かだった。
 いや、こんなにも必死に大義名分を得ようとしているのはただの食事のためなのかもしれない、とも思う。現にわらわは、人を襲った吸血鬼を狩っては血を飲んでいた。捕らえるのは眷属ばかりだ。
 遁走術に必要な血は既に足りている。いや、遁走術は今の世の中ではもうほとんど使えない。それなのに、体が欲するままに血を飲んでいた。
 それでもまだ、わらわは人間であると言えるのか。

「……」

 こんな体で、こんな心で、正重の前に立てるのか。
 そう思い至った瞬間、膝ががくりと折れた。
 会えるわけがない。そのまま地面に突っ伏して泣きたくなった。

「……うぅ……っ」
「どうした姉ちゃん、酔っ払いか?」

 通りすがりに声をかけられ、慌てて立ち上がって足早に去る。
 地下に潜ると、久しぶりに見る後姿があった。島を買い取って数年。年に一度あるかないかの訪問は、いつも突然であった。

「……時子?」
「あら、ひどい顔」
「寝不足だ。どうした。島は安泰か?」
「えぇ。安泰すぎて……、初めは文学を嗜んだり野菜を育てたり……、踊りを披露する者や波乗りをする者、様々でした。隠居したような日常で、時折お互いの血を飲んで。そうそう、偶然温泉も掘り当てましたのよ」

 時子はうっとりと目を細めた。「あの頃が一番楽しかった」と小さく付け加える。

「しかし、そうした娯楽も毎日だと飽きがきますわね。刺激がほしいと……特に、男性を求めて外に出たいと言う人が増えましたの」
「身ごもって帰ってくるのか? まさに羅刹国だな」
「女性型の吸血鬼は孕みません。はやてさんも知ってらっしゃいますでしょう?」
「さぁな」
「今や残っているのは、同性愛者のみなさんだけ……、わたくしはそれでもよかったのですが……。つい最近、愛憎の果ての悲劇が……。殺しても死なない分、女の戦いは苛烈を極め、最後には太陽の下へ突き飛ばし、悪あがきで引っ張っての無理心中……」

 時子は深いため息とともに、肩をがっくりと落とした。
 愚痴を言いに来たのだろうか。話半分でうとうとしながら聞いていても、時子は気付きもせずに話し続けた。

「ですから、島は希望者に売り渡しましたの」
「はぁ!?」
「また、こちらにお世話になりますわ」
「また勝手な」
「次の活動はもう決めていますのよ。隔離してダメならば、共存可能なように指導しなければなりません。眷属になったばかりの方の吸血衝動のコントロールと血を摂取するための訓練をする施設が必要だと思い至りましたの」
「今度はその施設をつくるというわけか」

 今も吸血鬼の人権だなんだとうるさいが、時子も吸血鬼の人権については行動的な活動家だ。差別をするなというだけの人権家よりも随分と的を射ているような気もするが、共存が無理な者をどうするのかといえば、排除だろう。破壊的な過激派であることは間違いなかった。

「申請及び血液の献血・補充施設はかなり整備された。そこと連携すればすぐに実施は可能だろうな。しかし、制御などできるか? あれは本能で、文字通り衝動だ」
「きっとできますわよ。はやてさんはどうやっていらして?」
「……我慢しないことだな。吸血衝動が来る前に吸血をしておく」
「えぇ。そうです。ですから、血を摂取するための訓練を」
「わらわは動物から始めたぞ」
「そうですわね、お刺身の血合いなんかから始める程度でよろしいかと思いますのよ」

 刺身の血合いは血の味とは程遠いが、抵抗感をなくすという意味では正しいのかもしれない。海外には材料の一つとして動物の血液を使う料理があるというし、そういうものを利用するのだろうか。

「それにしても様々なことを考えるものだな。……まぁいい、ちょうどよかった。貴様の力を借りたいのだ。わらわはまだ三日月の吸血鬼を追っている」
「三日月の吸血鬼……ですか? なんのことでしょう」
「覚えていないのか。退魔庁で捕まえぬままの吸血鬼がおったであろう」
「……あぁ!」

 時子は目をぱちくりと瞬かせた。

「はやてさんがそんなに責任感が強いとは思いませんでしたわ」
「恐にも呆れられた。しかし、この日ノ本を海外の吸血鬼に牛耳られるのは気色が悪い。あれがフランスの生まれであるというところまでは突き止めた。しかし、わらわはメリケンもフランスも違いがわからん」
「そこでわたくしが再びお手伝いを、と?」
「左様。再び貴様と組めれば、吸血鬼を排除でき――……」
「吸血鬼の排除は無理ですわよ、はやてさん。これからどんどん入り込んできますわ。日本は世界中の吸血鬼に、餌が夜に出歩く楽園だと喧伝しているのですもの」

 むしろ! と時子は手を広げて立ち上がった。

「日本をまるごと吸血鬼の国にすることこそが、わたくし達が生きやすい国をつくることではなくて?」

 おそらくこの時、道は分かたれた。時子の中で、共存は共存でなくなったのだ。
 しかしわらわは、冗談だと思い真剣に取り合わなかった。

 時子が三日月の吸血鬼の情報を持ってきたのは、時子の帰還から一月が経ったときであった。

「貴様にしては時間がかかったな」
「いいえ、それほど。見つけたのは三週間ほど前になります。それからはずっと説得をしていました」
「説得? わらわはこやつに関しては制裁を加えるしかないと考えている」
「セイサイ、むずかしいコトバね」

 三日月の吸血鬼は、サクラのように鼻の高いぎょろりとした目の外国人風の見た目であった。数年を日本で過ごすうちに日本語を覚えたのか、たどたどしい日本語を話す。

「ギルバートは純血種です。ですので、吸血鬼の国の王にふさわしい」
「ちょ、ちょっと待て時子。三日月の吸血鬼を消すために協力をしてくれたのだよな?」
「……え? わたくし、はやてさんには言ったと思いますが……? 日本を吸血鬼の国にする、と」
「デモネー、トキコサン、わたし言ったネ。わたし純血種、バット、王ではない」
「……この調子でして」
「そうだな、確かサクラやゾセフのような王に近い貴族とそうでない分家がいると言っていたはずだ」
「だいたい、わたし国にかえるのよ」
「ほう。どうやって帰る気でいる?」
「きた時と同じね。灰になって運んでもらうの」

 なるほど、それならば労せずして長距離を移動できる。しかしそれには人間の協力者が必要なはずだ。
 まぁいい。血も足りぬし、ここからはわらわの食事の時間だ。ギルバートを組み伏して噛みつくと、時子は小さく悲鳴を上げてわらわを叩いた。相変わらず貧弱で、痛くも痒くもない。吸血鬼の島での農作業は人任せであったのだろうな、などと考えながら血を啜った。

「ひどいですわ!」
「どこが。わらわは日ノ本を吸血鬼の国にするなど断じて認めん」
「はやてさんは日陰者のままでよいと言うんですの?」
「そもそも、日陰者だ」

 明日の干からびたギルバートは、そのまま灰になった。わらわを悩ませ続けた三日月の吸血鬼は、あっけなく世を去った。

「こ、この灰に血をかけたら復活しますのよね……?」
「させるか」

 灰を外に蹴りだすと、風に舞って飛んで行ってしまった。実際のところ、どの程度の灰の量が復活に必要なのかは知らないが、足元に残った一つまみだけではギルバートが復活することはなかった。

「……わたくしたち、もう、歩む道が違いますのね」
「そのようだな」

 純血種がいなければ、増えることはない。ここから吸血鬼が増えた場合は、他に純血種がいるということだ。

「わらわは、御子柴の家が安泰ならば何でもいいのだ」
「わたくしは、誰もが幸せになれれば、それでいいのです。今の世の中では、吸血鬼は……」

 そのために何人犠牲が出ても? と問う勇気はなかった。時子の考えは随分前から破綻している。誰もが幸せに、とは言うが、時子が考えているのは人間と吸血鬼の権力や勢力の逆転であって、吸血鬼の幸せしか考えられていない。
 しかし、それを指摘することすらもう、わらわにはできなかった。
 時子は再び時代の寵児となり、吸血鬼を導く者として絶大な人気を誇る者となった。その姿を、教祖と誰かが呼んだ。