深夜の恋バナは誰のため?
「じゃあ、好きなデートのシチュエーションは?」
シャンディーガフが入ったグラスを傾けながら、次のお題が出された。藤野みゆきは少しアイブロウがかすれてきている眉をひそめながら考える。目の前の同僚はシャンディーガフを煽って答えを待っていて、ついてきた後輩はみゆきと同じような顔をして考えているようだった。
考え事をするときに天井を見上げるクセがあるみゆきは、居酒屋の壁を見上げた。カフェにでもありそうな小さな多肉植物が斜めに置かれている。
(好きなシチュエーション……。……そういえば、新しい案件のアプローチとしてシチュエーションに合わせた提案……)
ふるふると首を振り、自分が「仕事の話はしたくない」と言ったのだったと思いなおす。今は、深夜に及んだ残業を切り上げて会社近くの居酒屋にいる。そして、みゆきの一言から始まったのがこの恋バナだった。とはいえ全員が絶賛恋人募集中であるため、それぞれの理想を語るだけのものだ。
毎週こうして深夜まで居残ってはみゆきが「仕事の話をしたくない」と言うところから始まる恋バナで理想論を垂れ流す。よくもまぁ毎週お題を思いつくものだ、と思う。前回は好みのタイプで、その前はキュンとするシチュエーションだった。
「……ベタに水族館とか動物園とか」
「藤野さん好きそうですね。キュンとするシチュエーションもベタだったし」
くつくつと千晶が笑う。お題を出すのは毎週この同僚で、裏を返せば毎週の深夜残業仲間でもあった。もう一人の深夜残業仲間になりがちな後輩、凛音は可愛らしい目をくりくりさせて頷く。
「たてちゃんは?」
たてちゃんというのは凛音の名字をもじったものだ。凛音は、にこにこと笑いながら返事をした。
「私はお散歩ですね。カフェめぐりもいいな」
「お散歩はデートなのか?」
千晶は首をひねりつつも笑みを漏らす。身長が高くすらりとした長身の千晶は斜に構えた性格そのままに、椅子に斜めに座っている。狭い居酒屋で斜めに座るのはいただけない、とみゆきは思った。しかし周りに他の客がいるわけでもないので指摘するほど気になるわけではなかった。
「そういう自分は?」
「んー……、美術館に行くのは好き」
「いいね、美術館。私も好き」
千晶が目を細めて頷くので、みゆきは負けじと話題を提供したいと考えを巡らせる。一瞬の間に、千晶は煙草を吸いに外に出てしまった。凛音がビールをごくごくと飲んで「藤野さん、次は何飲みます?」と注文を促しつつ店員を呼ぶ。
「そうだな……、ジャスミンハイ」
「私ビール!」
「チアキングはコーラだと思うけど……、戻ってからでいいか」
チアキング、というのは千晶をもじった呼び方だった。ダサいということで本来は封印されているものだが、みゆきは時々こう呼ぶ。
凛音が身を乗り出してきたので、何か聞きたいことがあるらしいとみゆきは構える。
「そういえば、藤野さんと酒井さんって本当に何もないんですか?」
またそれか、と口をついて出そうだった。二人で話すことが多い同僚との関係を噂の種にされていることは承知しているが、最近は凛音のように直接的な質問が増えてきた。彼女は先ほどのようにくりくりの瞳をきらめかせる。悪気はないのだ、とみゆきは小さくため息をついて答える。
「ないよ」
「えー、酒井さんって藤野さんのこと好きだと思うんですけど」
「それならたてちゃんの方が奴の好みでは……」
「あ、すみませんコーラ」
喫煙から戻ってきた千晶が座りながら言うので、心の中でビンゴ、とみゆきはつぶやく。凛音は追及する気はないらしく、姿勢を戻して千晶に話題を振った。
「美術館デートって今までどこに行ったんですか?」
「え。その時やってる展示だよ」
千晶がいくつかこれまで見たことのある展示を挙げるも、凛音は首をひねった。
「聞いたことない」
「でしょうね」
みゆきは会話する二人を微笑ましく眺めながらジャスミンハイを飲んだ。
*
定時が来てしまった、とみゆきは嘆いていた。全く仕事が終わらない。納品前のチェックが全く終わらないのだ。金曜日の夜、みゆきが参加するプロジェクトは炎上しかけていた。
そこに颯爽と現れたのは、千晶だった。
「手伝いますよ。そっちが終わらないと飲みに行けないし」
全くプロジェクトにかかわっていない千晶が勝手に仕事をさばいていく。みゆきだけでなくプロジェクトメンバーにも少しだけ笑顔が戻った。
誰もが千晶を抱きしめそうなうるうるとした目で見つめつつも作業する手は止まらない。
「うぅ……、神か……。キュンとしちゃう」
「わー! ありがとうございます!」
「ちあっちゃんアリガト!」
「藤野さんが仕事終わるまで待てって言うから」
「藤野さんの神アサインだな」
「酒井さん! 言ってる場合じゃないです。ここチェックしないと!」
「立石さんの俺の扱いひどくない?」
一番若い凛音が場を回し、千晶の協力もあり納品準備はなんとか終わった。納品自体は翌営業日の朝一番で行うこととなったため、準備だけで業務は終了である。ロケット打ち上げ成功のような万歳をしたみゆきはヘロヘロになりながらも「飲むぞ!」と言った。
「ちあっちゃんほんとありがとな。じゃあ、俺帰るわ」
「え! 飲みは……!」
「三人で行ってくれ。お前らどうせ恋バナだろ」
「楽しいのに!」
「じゃあ、おやすみ!」
つれない男がさっさと帰っていき、結局今週も、みゆき、千晶、凛音の三人になった。みゆきが口をとがらせると、千晶は苦笑する。
「なんてやつ」
「しっかり帰れてエライ」
「そうですね。うちら帰れない組ですもん」
「じゃあ、チーム社畜はいつもの居酒屋に行きますよ。準備して」
「的確で最悪なチーム名やめて」
いつもの居酒屋は午前五時まで開いている。三人がなだれ込むと、店員は無表情で空いている席を指差した。毎週利用している常連だというのに愛想のかけらもない。とはいえ、それが気楽なのかもしれなかった。
「梅酒ロックとビールとシャンディーガフ」
「はい」
「今日は好きなタイプを聞きたい。はい、藤野さん」
「束縛はやだな……、あとはたくさん食べる人がいいな」
「たくさん食べるってどういうこと?」
「私があんまり食べないけど、たくさん種類食べたいから」
「残飯処理係じゃないですか」
「それは人聞き悪いけど、そう」
普段よりも更に深い時間開始の飲み会は異様なテンションだった。みゆきは梅酒をソフトドリンクを飲むようなスピードで飲んでいく。
「あとさ、最近マンガで見た『俺にしときなよ』っていう告白がいい。まず男友達作って、あとフラれなきゃいけないからハードルが高いんだけど」
「ハードル……高すぎ……。いるんですか? そういう男友達」
「いない」
「いないんですか」
凛音と千晶が腹を抱えて笑う。
それぞれの好きなタイプも発表されたが、みゆきは半分寝ていて記憶にない。おそらく、次の週には自分が何を言ったかも覚えていない。すべてを覚えているのはいつだって千晶だった。
*
そしてまた金曜日がやってきた。
「酒井くん」
「なんですか」
「本日は何時まで仕事する?」
「藤野さんがちゃんと今日の〆切のものを出してくれるまでですけど」
「善処するからその後飲もうね。きっとたてちゃんも出先から戻ってくるよ」
「立石さんなら戻ってくるでしょうね。深夜に入れる店を探しておきます」
「深夜までかからないよ」
という会話をしていたのが数時間前である。
みゆきは画面をにらんだまま涙目になっていた。凛音すら帰ってしまったオフィスには二人以外の影はなく、本日の飲み会開催は絶望的である。凛音以外のメンバーに至っては、二人っきりにしてあげるとでもいうように親指を立てて帰っていった。
「眠い……。終わらない……」
「午前二時ですね」
今にも寝そうにだらりと座る男に「まだ寝ないで!」と声を掛ける。
「そういえば酒井くんは他には何の案件で残ってるの?」
「藤野さんが今日提出するって言ったのだけですよ」
「え、私待ちか。ごめん……。飲み会も二人じゃだめだね。また変な誤解されちゃうし……」
「眠くなくなること言いましょうか?」
「うん?」
「そろそろ付き合う?」
眠気覚ましに飲もうとしたコーヒーを取り落としかけ、みゆきは振り返った。
「好みのタイプはいっぱい食べる束縛しない人、ですよね。俺は当てはまると思うよ」
「あ……、え……?」
「美術館デートもいいけど、動物園は俺も好きだし。俺は好きでもない人の仕事を深夜に手伝いませんよ。あの時キュンとしたんでしょ。……俺でよくないですか?」
鳩が豆鉄砲を食ったような顔のみゆきを見て、酒井千晶はくくっと笑った。
「俺がただワイワイするために毎週恋バナを聞いてると、本当に思ってたんですか?」