Mymed:origin

本当の化け物

 春吉がやってきたのは、日没時刻間近の頃であった。早めに店を閉めたらしい春吉は、少し青い顔をしている。

「はやておばさん、やべぇ」
「どうした」
「うち潰れるかも」
「なぜだ」
「元々、本格コーヒーで割高だったけど、物価の高騰中はそれがいいっつってウケてたんだ。けど、今やうちのコーヒーは贅沢品。客が来ねぇ」

 しかし春吉が心配しているのは、そこではなかった。

「このままじゃ、税金払えなくて差し押さえられて……地下がバレる」
「……それはいただけない」
「はやておばさんからの生活費で、地下の光熱費も水道もまかなえてる。だけど、すまないが」
「いいぞ。地下のローンも一段落したし、好きなだけ援助する。しかし、それに胡坐をかくようなことがあれば、すぐに援助はやめる。とりあえず煙草をやめろ」
「え、でもこれは、今も芽衣子に言われて減らしてるくらいで」
「減らすのではなく、断て。それは何の利益もない無駄金でしかない」
「お義父さーん、どこにいらっしゃいますかー?」

 なおも言い訳をしようとしていた春吉だが、春吉を呼ぶ声に諦めて階段をのぼっていく。
 藤丸が勤めていた会社も取引していた銀行の倒産により経営危機に陥り、藤丸は商社を辞めた。借家を解約し、店の二階に住むことになり引っ越してきたのだ。
 春吉と入れ違いに、子どもがパタパタとおりてきた。

「お店じゃない!」
「ここは探偵社という別のお店が入っているよ。名前は?」
「みこしばともみ!」

 藤丸の子どもだ。御子柴家初めての女の子。藤丸が時折連れてきていたが、小学生になってからというもの学校が楽しいらしく、滅多に来なくなってしまった。

「あぁ、友美か。女の子はがらりと感じが変わるものだな」
「誰?」
「こら、友美、どこ行ったの」
「おや、恵理子さん、佐吉はこちらに」

 会うのは三度目となる藤丸の嫁、恵理子は一瞬身を強張らせた。藤丸は初めてわらわと引き合わせた後、恵理子を心底信頼し、わらわが吸血鬼であると言ったらしかった。なので、このように緊張した姿を見るのは、二度目である。

「はやてさん、どうも。……あ、今日から、二階に住むことになって」
「聞いている。春吉の店も手伝ってくれるとか。ありがとう」
「いえ……、ほら、友美、荷物運ばないと」
「うん」

 母子は、慌ただしく階段をのぼっていった。おそらくそれを聞き届けてから、時子がぬっと顔を出す。

「安易な資金援助は春吉さんにもよくないのではなくて?」
「わかっている。それよりどうだ?」
「えぇ。やはり、どこかに純血種がいて眷属が増えているようですわ」

 わらわの食糧難の頃……というよりも、日本政府の行動によって吸血鬼の日本への渡航が極端に減り、吸血鬼による被害が効果覿面に減ったバブル崩壊後、時折現れてわらわ達が捕縛するのは、同じ月の紋を持つ吸血鬼ばかりであった。
 この頃吸血鬼対策チームのほとんどは、異動か退職、もしくは殉職のどれかでいなくなり、吸血鬼対策チームに残っているのはわらわと時子と恐の魔法使い班のみとなっていた。

「しかし、その紋がある人間の遺体はない。人間の血を吸い、眷属としているのかもな。そうすれば、そうそう餌が死なん」
「眷属の方が空腹に耐えきれず処分対象となる、ということですわね。室長に、最近眷属になってしまった者の登録がないかを聞いてきますわ」
「あぁ」

 元よりそのつもりであったらしく、既に着替えている時子は軽やかに出ていった。
 地下二階への扉を開き、自分の家へと戻る。その時、かすかに音を聞いた。誰かが跳ねるように歩く音だ。
 この、街が完全再現された地下空間は、エバンゼリン魔法学校の教師に異文化の家を魔法で建てるという研修を兼ねて建ててもらった。もちろんそのような都合のいい研修はなかったので、なんとか進一郎が説き伏せてその研修を作ってもらった。そのため、施工業者にも知られていない。
 そして、魔力がある者しか入れない空間である。
 ゆえにわらわの他にこの空間の存在を知っていて、かつ中に入れるのは、進一郎、時子、恐、そしてエバンゼリン魔法学校の教師くらいのものである。
 そっと窺うと、侵入者はとぼとぼと存在を隠しもせずに歩いている。

「……友美?」
「! はやてさん!」
「何故ここに……」
「お外に出ちゃったみたいで、迷って……」
「こっちだ」

 日が落ちている時間であることを確認して友美と手を繋いで地上階へ上がると、引っ越し作業の最中である大人たちは気付いていなかったらしく、大した騒ぎにはなっていなかった。外に繋がるドアへ近付けば音が鳴るが、地下へ行ったのなら気付かなくても無理はない。

「藤丸、恵理子さんは魔法使いであったか?」
「……いや? 吸血鬼の話した時も怖がってたくらいだし、魔法なんて使えないんじゃないかな」
「ふむ」
「どうしたの?」
「友美は、魔力がある可能性がある」
「えっ!?」
「地下二階に入っていた」
「ん? どういうこと?」
「地下二階は魔力がある者にしか扉を開かない」
「えー、俺、入ったことあるよ? 魔法なんて使ったことないけど」

 そういえば、芽衣子は間藤の分家であったか。では、芽衣子からの遺伝……?
 魔法が使えるとは思っていないが、魔力はあると言うことか。

「ふむ、どうしたものか」
「どうしよう。恵理子、吸血鬼ですらテレビの中の話だと思ってたくらいだし、魔法使いなんて未知のもの……」
「隠すか? どういう内容であれ隠し事というのがいい結果を産むことは少ないぞ。誕生日を祝うドッキリのような隠し事ですら全員が喜ぶわけではない」

 ここでふと誕生日のドッキリという例えを出したのは、藤丸と共に祝おうとした時に春吉が怒ったことがあるからだ。喜ばせようとしたとはいえ、こそこそと準備をしていたのが気に食わなかったらしい。藤丸もそのことを思い出したらしく苦笑した。

「だよなぁ。はやてちゃんのことも教えてるし、全部言うか」
「そうだ。魔法使いは危害を加えるものではないから、案外すんなりと受け入れるかもしれない」

 藤丸と頷き合って一席設けることにした。カフェでテーブルをくっつけ、大きなテーブルを作る。藤丸夫婦、春吉夫婦、魔法の説明のために呼んだ進一郎とわらわの六人で座る。久方ぶりに会った芽衣子は、やはりわらわを怪訝そうに見た。しかしそれ以上に、進一郎にも驚いていた。
 友美が魔法使いかもしれない、と言った時、恵理子の反応は少し想像とは違った。

「えっ、魔法使いって魔法使いパニーちゃんみたいに魔法が使えるってこと?」
「あー、えっと、空とかは飛べません」

 向かいに座る藤丸にパニーちゃんって何だと聞くと、魔法で何でも解決する昔の子供向け番組、と返事した。そうか、そういう子供向けのテレビ番組がある世代なのか。藤丸もテレビっ子で、朝彦や春吉が同じくらいの年齢だった頃に比べて体力がない。

「俺達のような魔法使いに出来るのは、自分が出来ることだけです。自分が二人いればなぁって思うことありませんか? それを、魔力っていう力で実現するのが魔法です」
「えっと、自分が出来ることっていうのは、例えば?」
「お茶を入れるとか」

 進一郎が呪文を唱えると、茶筒がふわりと浮きあがり、急須に入る。そして、いくつかの工程を経て湯呑みに注がれた茶が恵理子の目の前にコトンと置かれた。

「こんな感じで、俺が茶筒を持つ労力、お湯を沸かす労力、お湯を注ぐ労力など、その労力を魔力で補うのが魔法となっています。あとは、時間を魔力で補うことも。……俺はできませんが」
「へぇー……。こんなことが、友美にもできるんですか?」
「いえ、全員ではありません。芽衣子ちゃんも、俺の家の分家の子ですが、魔法とは無縁に育ったみたいですし」

 驚いたまま固まっていた状態の芽衣子は、はっとした様子で顔を上げた。

「え、えぇ。魔法なんて知らないし、自分に魔力があるなんて言われても、何のことやら」
「俺の仮説だけど、春吉くんのお母さんも別の分家の子だったから、春吉くんも微かに魔力があって、芽衣子ちゃんにも微かに魔力があって、藤丸くんは両方を受け継いだから普通の人より少し魔力が多いんだと思う」
「えぇと、それで、魔法が使えないなら、その魔力って」
「寿命が延びます。俺も江戸の生まれだし」
「江戸……!?」
「えぇ。もう亡くなったけど、父はもっと魔力があって、江戸時代を最初から最後まで見てます。その代わり、簡単な魔法しか使えないみたいですが」

 確かに、繁久殿は魔法の技術は進一郎の方が上だとか言っていた。

「とにかく、魔力と魔法が使えるかどうかは別問題であり、人それぞれです。だけど、友美ちゃんは魔力がある。それは知っていても損はない。俺の息子みたいに魔法学校に入学することだってあるかもしれませんし。あぁ、それなら俺が名前を付ければもっと魔力が増え――」
「進一郎」
「……えっと、まぁ、そういうことで」
「そういうことで、だ。わらわの部屋は、進一郎の魔法により、魔力がない者には扉が見えない。しかし、あの子はいつの間にか入っていた」
「この扉の魔法は俺が魔法学校創立に関わった際に、偶然見つけた魔法技術で、魔力で鍵を取り出して開けるっていう動作を簡略化して突き詰めていったら、特定の魔力を持つ人が触れるだけで開けることができるようになったもので」
「進一郎。進一郎! それはまた後で聞くから。今は、うちの可愛い子の話題だから」
「……」
「とにかく、もしもあの子がわらわのいない間に部屋に入ってしまったら、恵理子さんでは連れ戻せない可能性がある。吸血鬼退治で数日家を離れることもあるから、その可能性がないこともない」
「!」

 恵理子が青ざめる。そりゃそうだ、と思う。

「藤丸は入れるそうだ。もしも藤丸もいなかったら、地下の探偵社の時子、進一郎と恐の親子も入れるので、そちらの連絡先も知っていた方がいいであろう」
「……はい」
「へー、はやておばさんも考えてるんだな」
「今日も、少し時子の部屋に行っている間に迷い込んでいたからな。子どもが手の届かないところに行くことほど恐ろしいことはない」

 すっかり冷めた茶を飲むと、芽衣子が首を傾げた。

「はやてさんも、魔法使い、だったんですね」
「そうだって言っただろ」

 答えに詰まったわらわの代わりに春吉が言うと、今度は恵理子が首を傾げた。が、恵理子は何も言わなかった。

「この際聞きたいのですが、何で生計を立てているのですか?」
「えーっと……言っていいのか? 進一郎」
「そうだな。仕事の内容は言うわけにはいきませんから、言えるとしたら退魔庁で働いていることだけですね」
「まぁ、対吸血鬼の夜間警備だ」

 結局、芽衣子には嘘をつきっぱなしだ。
 めいめい解散したところで、時子がひょっこり戻ってきた。時子の部屋に戻ると、大きな西洋式の椅子に座る。大きく柔らかい獣に体を預けたときのようにふわふわと体が沈むこの椅子は最近のお気に入りだ。

「眷属の登録、ありましたわ。さっそく恐さんを呼んで調べに向かいましょう」
「そうだな」

 善は急げと恐に電話すると、恐は疲れ切った声であった。

『親父が見合いを詰め込んできたんでこれから雲隠れするとこです』
「はぁ?」
『しばらく離島にでも行ってきます。探さないでください』
「……あぁ」
『すいません』

 受話器を置くと、時子が肩をすくめた。

「その様子ですと断られたようですわね。眷属の元へは二人で向かいます?」
「あぁ。これから旅行らしい」
「まぁ。のんきですこと」

 かくして、時子と連れだって登録のあった住所を訪ねてみることにした。

「明治維新の頃にも、戦後にも思ったが……夜が明るくなった」
「さらに、ですわね」

 時子がいることは――話が分かる者がいるということは、随分と気安い。時子がいなかったら、どうなっていたのであろうか。少なくとも、御子柴家の周り以外に目を向けることはなかったであろう。

「ここか?」
「えぇ、そのようですわ」

 時子が呼び鈴を鳴らす。しかし返事はなく、出てくる様子もない。

「……うーん、外から見た時は電気ついていましたよね?」

 時子がもう一度呼び鈴を鳴らすが、やはり返事はない。わらわが帰るかと声をかけると、時子はわらわの袖を引いて戸の前にしゃがみこんだ。空いた手で静かにという動作をするので、時子と並んでしゃがみこむ。
 一分は経っていなかったと思うが、部屋の中から小さな物音がした。やはり人がいる。立ち上がりかけると、再び時子により止められた。何故だと問おうとすると、戸が開いた。すぐに部屋の主がわらわ達に気付き、ひっと声を上げて戸を閉めようとしたとき、時子が戸を掴んだ。

「こんばんは。少し軒先で休ませていただいていましたの。いらっしゃってよかったわ」

 時子がにこやかに畳み掛ける。部屋の主は、バツが悪そうな様子で「用を足していたので……」ともごもご言った。

「わたくしたちは、退魔庁の者です。最近登録なさったのはあなた?」
「あ……えっと……はい」
「わたくしたち、提出いただいた内容の確認に参りましたの。ご協力いただけるかしら?」
「はぁ、……あの、どうぞ」

 ほとんど詐欺のような形で部屋に入った。窓をダンボールで隙間なく塞いだ部屋を見渡すと、女は爪を噛みながら座るよう促す。短い髪が良く似合う女は、運動が得意そうな体型であった。眷属とされる前ははつらつとした性格であったのだろうか。

「何か、書類に不備が?」
「いいえ、必ず提出いただいた方を訪問いたしますの。困ったことはないかしら? 日中に出歩けないでしょう」
「あぁ、そういう……。監視ね」

 女が厭味ったらしく笑う。

「化け物から守ってはくれないのに、化け物になったら危ないから監視? ふざけないで」
「おっしゃることはごもっともですわ。しかし、わたくしたちが行うのは監視ではなく支援ですし、今わたくしたちを邪険に扱ったところであなたに得はありません。それにはご納得いただけますわね?」

 女が押し黙り、背を向けた。おそらく後ろから襲われたのであろう、短い襟足の奥に三日月の形の紋があった。やはり、今まで捕縛した者と同じ純血種に襲われている。
 そっと自らの首に触れてみるが、わらわの首に浮かんでいるという逆十字の紋は指ではわからなかった。

「時に後藤さん、あなたを襲った吸血鬼は退治されまして?」
「……わかりません。私、気を失って……病院で気付いた時に吸血鬼になった時の書類を書かされて……」
「……よい病院に当たりましたわね。場所によっては、気を失っているうちに太陽光を浴びせられるところもあるそうですから……」

 先日、確かにそのような事件が新聞の紙面をにぎわせていた。吸血鬼(実際には眷属になってしまった直後の人間)を医療関係者が屋上に放置して殺害したことが公となったのだ。ちょうど病気で長くない飼い犬を安楽死させた人間に対しての賛否を問う報道が出たばかりであり、それを延焼剤として様々な世論が爆発的に巻き起こった。しかし、当事者からしてみれば吸血鬼の眷属となったとはいえ吸血鬼の被害者でしかない人間の殺人と、動物の安楽死を同列に扱うのはかなりズレていると思う。裁判がどうなることか見ものである。
 女はうなだれ、涙をこらえようと唇をかんだ。

「なぜ……なんでしょう。なぜ、私を化け物の仲間にしたんでしょう」
「血を吸う化け物になる必要はありませんよ。あなたはただ、日中に外に出ることがかなわないだけ、定期的に輸血を必要とするだけの人間だ」
「そうです。私も、そうありたいと思います。でも……」

 でも、周りはそうじゃない。と、小さく聞こえた。
 このような女子に、吸血鬼は餌として生かした可能性があると伝えられるはずがない。

「あ、でも、そんなに、血が飲みたいなんて思わないんですよ。冷凍のお肉から血みたいな液体出るでしょう? あれも、嫌なくらいで」
「後藤さん。よく聞いてください」
「?」
「このまま、ただ家にいては本当の化け物になるときがくる。頭ではだめだとわかっていても、ふとした拍子に目の前に血を流した人間がいたら、喉が渇いて渇いて仕方がなくて、噛みついてしまうときがくるんです。だから、そうならないように、週に1度、一口でいい。定期的に献血を飲んでください」
「……でも……」
「これは、経験談です」

 女が目を瞠る。

「じゃあ、あなたも」
「……私はもう、本当の化け物です」

 わらわの言葉に、女はそれまでこらえていた涙を、ぼろっとこぼした。