Mymed:origin

親子

 恐と希の間に娘が生まれたのは、藤丸と恵理子の第二子・佐吉が十七歳になった翌日であった。
 佐吉は恐怖政治をしいた強気な友美の弟として優しく真っ直ぐに育ったが、友美が進学のため家を出たのと春吉の逝去が重なり、少しの期間塞ぎ込んだ後に喧嘩に明け暮れるような友人を得てしまい、優等生とは言い難くなってしまった。藤丸とは面と向かって対立することがあるが、罪悪感があるのか恵理子からは逃げ回っているようであった。
 わらわのことは中立と認識しているらしく、地下には度々姿を見せる。思春期の友美も同じように地下に下りてきていた。本人たちはその様子が母親に筒抜けであることは知らない。
 まぁ、最近のそんな様子の佐吉が赤子の話題を出すのは微笑ましい光景ではあった。

「姉ちゃんが赤ちゃん見に来るって。俺も病院に見に行く」
「平日なのに大丈夫なのか。貴様はともかく、友美も授業があるだろう」
「大学ってびっしり授業があるわけじゃないらしいぜ」

 佐吉はつい一昨日金髪に染めたばかりであった。サクラのようだ。この髪の色でも藤丸と激しく言い争いをして、地下に立てこもった。

「はやてさん、俺最近はカッコいいカウンターの仕方考えてるんだけどこう、真っ直ぐ前から来たらどう反撃したらいいと思う?」
「その手には乗らん。喧嘩などするな。わらわが恵理子に怒られる」
「昔は教えてくれたのに」
「小学生の頃と同じと思うな」

 佐吉は小学生の頃に、春吉の字を取った名前をからかわれいじめられていた。その際にわらわが助言したのが鼻筋を思いきり殴れというものであったのを最近思い出したらしく、わらわを喧嘩の師匠としようとしてくるのだ。
 恵理子がわらわに激高し、使わなくていいと言っていても使っていた敬語をやめたのはその時期だ。あれほど怒る恵理子はもう二度と見たくないものである。

「恵理子が心配していたぞ、帰れ。そろそろ飯だろう」
「親父と言い合いになるからさ」
「真っ当な学生生活を送ればそうはなるまいよ。真面目に生きるのはダサいことではない」
「別にダサいとは思ってない。でも、真面目にしてても俺は結局この店を継ぐんだろ。コーヒー出すのは別に馬鹿でもできるし。だったら楽しいことしてたい」
「ふむ」

 佐吉はどうやら、わらわが返事しなかったことで納得したと考えたらしい。馬鹿馬鹿しいにもほどがある。
 佐吉はうだうだし続けていたが、翌朝友美が叩き起こしに来てようやく出ていった。二人が病院に行っている間に店に顔を出すと、開店したばかりだからか客は少なかった。

「はやてちゃん、おはよう」
「おはよう。恵理子に話があるのだが」
「いいよ。お客さんも少ないし、一人でも大丈夫」
「では地下に」

 以前時子が事務所として使っていた部屋に入ると、恵理子は膝をかばいながら降りてきた。

「膝が悪いのか?」
「最近少しね。……それで?」
「ついに口を割ったぞ。真面目に生きることがダサいとは思わない、だがどうせこの店を継ぐのだから楽しいことをしていたい、だそうだ」
「あらま。店を継ぐ必要なんてないわよね。……創業百年弱だし、地下のことはそうそう外部には漏らせないけど、それでも佐吉が継がなきゃいけないってことはない」
「わらわもそう思う。そこで思ったのだが、佐吉を喫茶で働かせてみてはどうであろうか。ええと……、言うほど簡単でないことがわかるのでは」

 わらわのしどろもどろの説明に恵理子はバッと掌を見せた。

「待って。待って。何でそこで働かせてみようなんて思うの? 継ぐ必要はないって言うだけでいいじゃない。働かせるなんて逆。佐吉は他に何を言ったの?」
「……」
「はやてさん!」
「……。コーヒーなら馬鹿でも出せると」
「はぁ!?」
「わらわに怒るな。だから言いたくなかったのだ。……とにかく、佐吉には思っているほど簡単な仕事ではないことは理解させる必要があるのではないかと思うのだ」
「なるほどね」

 友美から赤子の写真が送られてきた。それは恵理子にもきたらしく、少し目を細めた後に恵理子は危惧を漏らした。

「そろそろ戻ってきそう」
「わかった。佐吉に働くように、藤丸には受け入れるようにそれぞれ言う必要がある。佐吉には恵理子から言ってはどうかと思う。藤丸にはわらわが。その後、お互い相手を変えて駄目押ししよう」
「そうね。それがいいかも」
「では、病院から帰ってきたところをひっ捕らえるといい。藤丸には、佐吉の発言は伏せておく」
「うん、そうしよう」

 恵理子と店に行くと、藤丸が一息ついたのかぼーっと座っているところだった。これでは侮られても仕方がない。

「藤丸」
「恵理子との話は終わったの?」
「恵理子に相談した内容なのだがな、佐吉をここで働かせてやってほしいのだ。佐吉にも働くことを勧めようと思っている。あいつが暴れ回っているのも、暇を持て余しているからに違いない」
「自分の意志じゃないと意味ないよ。それに、髪を染めたばかりだ。黒染めするとは思えないし」
「染める必要などないであろう。常連は知っているし、恵理子もさほど体調が良いというわけでもなさそうだ」
「嫌だ」
「……そうか」

 恵理子の方も佐吉の説得には失敗したようで、ドスドスと入ってくる佐吉の後ろで恵理子がうんざりとした表情で首を振った。

「佐吉、わらわに赤子の写真を見せておくれ。わらわの茶を持ってきてくれるか」
「……わかった」
「私の分も頼むわ」
「はぁ? なんで母さんの分まで」

 階段を下りながら、恵理子は深いため息をついた。

「嫌の一点張りで全然だめ。相手を変えてダメ押しっていうのもやめた方がよさそうよ。もう全然なんだから」
「こちらも同じだ。だが、藤丸に口から出まかせを言っておいて自身で納得したのだが、佐吉が今暴れ回っているのは暇を持て余しているだけなのではないかと思う。であるならば、仕事や手習いに時間を取らせるのはいいことかもしれん」
「そうねぇ、でももう習い事を勧めて始めるなんてことないでしょうし、そうなるとアルバイトね」
「しかし、あの尖り具合で雇ってくれるところなど……」
「はやてさんが佐吉を雇うのはどう?」
「母さんは俺をどうしても働かせたいわけ?」

 佐吉が茶を持っておりてきた。恵理子と目配せする。今は他に案がない。

「いや、実は恵理子に頼んだのはわらわだ。店で働くという名目で、わらわの手伝いをしてもらおうと思っていた。店を通せば給与という形になるので多額でもいいが、小遣いだと贈与税がかかるからな。どうしても少額になる。だが嫌ならば仕方がない。わらわに直接雇われてはくれまいか」

 一気に言い切って、ちらりと佐吉を見る。時子の二枚舌がうつったななどと思いながら反応を見ていると佐吉はふーんと口を尖らせた。
 自分で言っておいてなんだが、こんな出鱈目を素直に信じるならば少し教育をしなければならない。

「そういう理由なら先に言ってくれよな。もう店では働くつもりねぇって親父に言ったし」
「ではわらわが雇おう。良いか?」
「うん」

 信じた。時子にでも会わせたらすぐに洗脳されそうだ。

「では契約だ。時間は……そうだな、毎晩八時から十一時」
「毎晩!?」
「毎晩……は、駄目か。休みはなければな。何曜がいい? 週休二日でよかろう」
「……金曜と土曜」
「では日曜から木曜の八時から十一時……と」
「俺は何するの?」
「しばらくは茶を運び、そうだな……、倒した吸血鬼の特徴の書置きを残しているから、それをまとめる必要がある」
「楽そう」

 元々まとめるのは時子が自主的にしていたことだ。そのため、時子が資料をまとめるのをやめた時期からなので数十年分の資料となる。楽とは言い難いと思うが、やる気を削ぐ必要はないかと思い何も言わないことにした。

「よし、ではさっそく次の日曜から頼む」
「わかった! あ、そうだ。姉ちゃんも遊びに来るって。今はたぶん上で何か飲んでると思う」
「そうか。友美に会うのは久方ぶりだな」

 佐吉が軽やかに部屋を出ていくと、わらわと恵理子はソファに深く沈みこんだ。

「ひどい出鱈目だったが信じたな」
「はやてさんの言うことは何でも信じるのよ」

 すっかりぬるくなった茶をすする。恵理子も思い出したように茶に手を付けた。

「悪い友達と疎遠になってくれたらいいんだけど」
「つるむようになったのは最近のことであるし、そこまで強い繋がりでもないような気はするが……、……いつの時代も、若者の考えなどわからぬものだ」

「げっ、さっきより古いメモ出てきた!」
「ほう、懐かしいな」
「はやてさんも手伝えよ」
「貴様に与えた仕事だ」

 根は真面目な佐吉は文句を言うもののしっかりと働いている。

「はやてさんってさ、吸血鬼ってほんと?」
「本当だ」
「じゃあさ、なんで吸血鬼退治してるの? 仲間じゃないの?」
「日本にいる吸血鬼は――わらわと時子を除いて――明治維新後に海外からやってきた者か、その者が吸血鬼に変えてしまった者だ。わらわはその頃から、この御子柴家の人間が安全に暮らせるようにということだけを考えている」
「だからこの近辺だけ退治してるの?」
「あぁ。他にも依頼があれば退治しに行くが、自主的に人を襲っているものを探し出して退治するというのはこの近辺だけだな」
「……でもさ、元は人間なんでしょ? その人の家族から何か言われたりしないの?」
「人を襲っている吸血鬼が最初に襲うのは、家族だ。今は政府から献血の給付がある。血液を飲むなどおぞましいとそれを口にしない者も多いが、理性で抑えられるものではないのだ。一緒に住んでいない家族は、わらわが退治したなど知らない。発見するのは、家に残された遺体だ」
「俺の血、飲みたい?」
「飲みたくない。腹は献血で満たされている。――手が止まっているぞ」

 佐吉はわらわの汚い字とにらめっこをしながら作業を進めていく。しかしその集中力は五分ともたず、再びわらわに話しかけてきた。

「明治維新後に俺のひいひいひいおじいちゃん? と暮らし始めたんだよね? それまでは何をしてたの? 何で強いの? 武士?」
「武士ではない。忍びの者だ」
「え、忍者? ガチ?」
「これでも高名な方に仕えたのだぞ。といっても、後にも先にも我が主はただ一人。聞いて驚くなよ? 太閤、羽柴秀吉公だ」

 自分でもわかるくらい自慢げな顔をしていたと思うのだが、振り返ると佐吉はひどく顔を歪めて頭を押さえていた。

「佐吉、どうした? 痛いのか?」
「……痛い」
「今日は部屋に帰って休むか?」
「いや、いい。なあ、はやてさん、俺、昔はやてさんに会ったことあるのかも」
「え? そりゃあ、生まれた時から会っているぞ」
「あ、いや、前世……? なんか主の話を聞いて、はやてさんの若い時思い出した。今の俺くらいの歳かな」
「わらわの顔を知っていたものは主の側近くらいだ。身分の高い者であったのだろう」
「でも、なんで急に。同じセリフを聞いたとかかな。『我が主はただ一人』ってさ」
「……? 実は忠誠を誓っていたわけではないし、言った覚えはない……? いや、あるか……? もう四百年は昔の話だ。覚えておらぬ」
「じゃあもう俺の前世の手がかりないじゃん」
「仕事をしろ。それかもう休め」
「はやてさん」
「佐吉、いい加減に」
「あ」

 甘えようとしていた佐吉――佐吉は甘えて誤魔化そうとするときしゃがんで上目遣いになる。その手が通じていたのは中学生までだが未だにやる――が、しゃがもうとする途中でぴたりと止まった。

「佐吉、だ。俺の名前。前世の幼名。俺、石田三成だ」
「……石田、三成殿……?」
「そうだ。俺、きっと文句が言いたかったんだ。関ヶ原を持ち掛けたはやてさんは途中で消えた」
「……三成殿へ続く道は、死守したつもりだ」
「そうだな。俺は戦では死ななかった」
「左様か!」
「打ち首だった」
「……左様か。知らなんだ」

 佐吉は、わらわの手を掴んだ。

「あ、ごめんごめん。違う、たぶん本当は礼が言いたかった。俺の側についてくれて、ありがとうって」
「……友ではないか」
「でも今は家族だ。なんか俺、前世を思い出したらこの世がすっごい恵まれてるって悟っちゃった」
「そうか。では悟りを開いた佐吉は何を成す?」
「今の世の親孝行は、良い大学行って、良い会社に勤めて……」
「違うよ、佐吉。いつの時代も、子が幸せに暮らすことが親孝行だ」

 その点、わらわは親孝行できているとは言い難い。
 佐吉は見違えるように、とまではいかなかったが今まで以上に素直になった。三成殿の知識欲のようなものが佐吉にも湧いて出たようで、隙あらば図書館に通い詰めている。藤丸と恵理子は気味悪がりつつも、喜ばしく思っているようだった。

「浮かない顔ですわね、はやてさん」
「……佐吉がな、古い知り合いの生まれ変わりであった」
「まぁ」
「正重の生まれ変わりには、一度会ったことがある。すぐに死別してしまったが、その時は目が合っただけでわかった。佐吉は……、そうではなかった。もしかしたら、正重も思い出していないのかもしれぬ」
「以前は目が合っただけで思い出したのでしょう? 思いの強さの違いではありませんの?」
「そうであろうか」
「それに、ある程度巡り合うように生まれてくるのかもしれませんわね」
「え?」
「思いの強さが運命を引き寄せるものですわ」

 時子が檻を掴んで顔を寄せる。元のお嬢様のようになっている。また少し老けたか。このままゆっくり老いて、わらわを置いていくのであろうか。

「そこに入ってもうすぐ十八年か。貴様はそこから出ようとは思わぬのか?」
「わたくしは、サクラーティ様がどのように考えていたのか知りたい。なぜ檻の中に居続けることを選んだのか」
「飽きぬか?」
「飽き飽きしていますわ。でも時々恐さんも来てくださいますし……、そういえば、最近いらっしゃいませんわね」
「昨日、子が生まれた」
「まぁ。お祝いしませんと」

 時子の変わらなさは、相変わらず心地よい。