Mymed:origin

サクラチル

 退魔庁は進一郎の隠居と共に鬼人種福祉課と名前を変え、同時にわらわと恐は職を辞した。反差別主義を唱える人々の代表は鬼の首を取ったかのように、吸血鬼の人権を保護することをまくしたてた。
 その会見の様子をカフェのテレビで見ていたら、隣に座る気配があった。

「無知は恐ろしい」
「恐れは知らぬはずであろう」
「そうです。無知は愚かで迷惑だ。でも、こう言うと敵が増えるだけだからコワイと言うようにしてるんですよ」

 恐は、藤丸にコーヒーを二つ頼んだ。なぜ二つなのかと見ると、奥にもう一人座っている。

「希、こちらはやてさん。先月までの同僚だ。はやてさん、婚約者の希です」
「よろしく頼む」
「……どうも」

 希と紹介された女は、こちらを見もせずに呟いた。失礼な、と眉をひそめそうになったが、色白というよりも蒼白い希の顔をみてわらわは少し慌てた。

「体調でも悪いのではないか」
「いえ、いつもこうで」

 いつもにしては、気にしていなさすぎるような。

「恐、今後はどうするつもりだ?」
「俺は一応、親父が隠居したので家業を継ぎますよ」
「家業……? 家業なんてあったか?」
「奇術師ですよ。今風に言うとマジシャンか」
「そういえば繁久殿は奇術師としてお上のお抱え奇術師であったな」

 種も仕掛けもない奇術。他の者とは一線を画すわけだ。

「そう。親父は魔法の研究の方が好きだったみたいですけどね。果ては政治にまで首を突っ込んで。……はやてさんはどうするんです?」
「元に戻るだけだ。眷属はともかく、純血種にとっては無警戒に餌が出歩く楽園に成り果てたのだ」

 話が戻る。
 今、意気揚々と会見し吸血鬼の人権を訴えている人々は知らない。保護すべきは眷属という吸血鬼の被害者だけだということを。純血種は人間を家畜と呼んで憚らないということを。

「それで、今日は何をしにきたのだ? まさか、こんな話をしにきたわけではあるまい」
「えぇ。もうそれも済んだけど。希の紹介に」
「え?」
「だってはやてさん、俺のばぁちゃんでしょ」
「――……」

 思いもよらぬ言葉に目をむいた。

「き、貴様、かような素振りは一度も……!」
「親父が紹介をしろって」
「……そ、そうか」

 恐は想像以上に進一郎の言うことを素直に聞くようだ。そう思ってふと不安が頭をよぎる。

「……まさか、彼女も進一郎が選んだのか?」
「まさか。親父に勧められはしたけど、俺の意志ですよ。可愛いでしょ、こいつ」
「コイツ呼ばわりなど! やめろ!」
「いいんです……私なんて……、恐さんくらいしか」
「……!」

 わらわも明るい方ではないが、ここまで根暗な人間には初めて会う。少々面食らいつつも、茶をすすると恐が少し体をこちらに傾けた。耳打ちしようとするので、耳を寄せる。

「希は間藤家の分家の人間で、親父が名付けたんです」
「……ということは……」
「俺に恐れがないように、希には希望がありません」
「酷なことを」
「でも俺たち、足して割ったらちょうどいいでしょう?」
「まぁな……」

 希は不安げにこちらをちらりと見た。しかしその瞳には感情が映っていない。なるほど、そもそもそういう不安げな顔なのだ。
 儚げと言えば聞こえはいいが、常に具合が悪そうな表情というのも気が滅入りそうだ。
 希望がないということは、生きる希望がないということ。よくその年まで生きていられたな、と思う。いや、どのような行動も恐ろしいのかもしれない。

「帰りましょう、恐さん……。こんなに長時間、外に出るなんて……」

 希は完全に血の気が引く一歩手前といった顔色で恐の腕を引いた。

「そうだな。たまにこうして来よう。な? 車が突っ込んでくるなんて、心配しすぎだっただろ?」
「それはそうですが」
「お前ってネガティブな想像で勝手に立ちすくんでるだけで、実際はかなり運がいいよな」

 恐が楽しそうに話している。恐は恐なりに彼女のことを想っているのだろう。

「それじゃあ、はやてさん。また」
「あぁ。希さん、恐をよろしくお願いいたします」
「こ、こちらこそ……」

 希がぺこりと頭を下げる。
 外は既に薄暗いので、恐たちを店の外に出て見送ることにする。アスファルトはみるみるうちに地面を侵食していき、いよいよ一切の土遁ができない地になってしまった。夜、硬い地面は冷たい。

「――……」
「はやてちゃん、どうしたの? 店の前で」
「あぁ、おかえり、藤丸。この時間からならば買い物も手伝えるのだが」
「ううん。やっぱり明るいうちに行かないと。それに俺かはやてちゃんのどっちかがいた方がいいと思うし」
「そうだな……。よし、では貴様も帰ってきたところであるし、見回りにでも行くか」
「え? 見回りって」
「ならず者が活発になる時間であるから」
「二人とも、お店の前でどうしたの?」

 なかなか入ってこないわらわ達を心配したのか、長男を抱く恵理子が出てきた。足元にまとわりつく友美を藤丸に抱かせて頭を撫でると、友美はくすぐったそうにした。

「友美と佐吉が今日も健やかに眠れるように」
「でも、危ないんじゃない? 退魔庁も解体されて、外はもう無法地帯に――……」
「だから、わらわが行くのだ」

 一匹だけは、確実に野放しになったままだ。三日月の紋を持つ純血種。最後の仕事は終わらぬまま、退魔庁はお取り潰しとなってしまった。
 町内を一周した頃、山の裏に隠れていた三日月がのぼってくる。

「月の紋……、わらわは逆十字……。時子は、混血ゆえにない……」

 何か間違っていたのか。何か見落としていたのであろうか。
 そういえば、すっかり忘れていたが、以前サクラに紋の種類について聞いたことがあった。もう何年前のことかもわからぬくらいだ、覚えているはずもない。
 しかし、サクラに聞けばどこの国の者かわかるに違いない。言葉である程度容疑者を絞り込めるはずだ。何故気付かなかったのだ。いや、理由はわかりきっている。考えることを時子に任せすぎていたのだ。時子の言う通りにしておけばよいと、考えることを放棄していた。
 とはいえ、サクラは異国に帰した。会うためには――……。

「進一郎に頼むか」

 隠居したのに引っ張り出して良いものかなどとは微塵も思わなかった。進一郎は明と暮らしているはずだ。

「あら、はやておばさん?」
「明」

 明は、目を閉じたまま器用に歩いてくる。視覚を魔法で補っているのだ。盲目にして全てを見通す明は、占術師として生計を立てているらしい。

「息災か?」
「えぇ! ねぇ、はやておばさん、今日こそ……っ」
「いや、遠慮する」
「うん……、そうよね……、おばさんは誰かに左右される星の下にはいないわ……。でも、きっと素晴らしいのに」

 明は会うたびにわらわを占術で見たいという。
 正重に再び会うことができるのか――……。聞きたくもあり、恐ろしくもあった。

「そういえば、今日は恐が会いにきてくれたぞ。婚約者を紹介しに来てくれた」
「あぁ、えぇっと、希ちゃんだったかしら。私は苦手だわ」
「厳しい意見だな」
「暗いのよ。でも、そうね、魔力は確かに分家の子ってわりには恐と同じくらいあったわ。だからお父さんも勧めたのね。でも、それに従う恐も恐だわ」

 明はおっとりとした見た目と喋り方とは裏腹に、かなり気が強い。でなければ恐の姉などやっていられないのだろう。

「恐は自分の意志だと言っていたが」
「それはそうでしょうね。ところで、そんな話をしにいらしたの?」
「いや、進一郎に用があってな」
「あら、お父さん? 呼んできますわ」

 客間に通されてしばらくすると、進一郎がやってきた。隠居したというわりには、衰えを感じさせることはない。

「はやてさん、どうかしましたか。明、ありがとうな」
「えぇ。すぐにお茶をご用意いたします」
「進一郎、サクラーチーのことを覚えているか?」

 進一郎は少し首を傾げ、深くソファに座り直した。一瞬腰をかばうような動きに、年齢を感じる。

「もちろんですよ。会ったのは五十年前のたった一度とはいえ、父と俺の研究はあの方のためだったんですから」
「率直に言う。サクラに会いに行きたいので手を貸してくれ」
「手を貸したいのはやまやまですが……、あてもなく探せるものでは……」
「エバンゼリン殿はどうだ? わらわがサクラと旅したときに真っ直ぐにあの魔法学校へ向かったゆえ、知り合いではないかと思っているのだが」
「サクラーティ様のご友人は、エヴァンジェリンさんのお師匠様ですよ。……まぁ、聞くくらいはしてもいいとは思いますが……」
「なんだ、歯切れが悪いな」
「いえ、はやてさんを連れていったら彼女は魔法学校に通わせるべきだって言い出しそうだなぁと」

 その時、明が茶を持ってきた。魔力がない物をどうやって見ているのであろうか。
 明がいれた茶は、蔵之介の味に近いように感じた。懐かしい、丁寧にいれた茶だ。

「……おいしい」
「はやてさん、サクラーティ様に会ってどうなさるんですか?」
「あぁ、昔サクラから吸血鬼の出自について、紋で大体の国がわかると聞いたことがあるのを思い出したのだが、数百年前の話ゆえ、内容など覚えていなくてな。退魔庁で取り逃したままの純血種がどこの国の者か分かれば、言葉で絞り込めるのではないかと思ってな」
「辞めたのに仕事熱心ですねぇ」

 進一郎はからかうような口調だが、真剣な顔で頷いた。

「とりあえず、エヴァンジェリンさんに居場所を聞いてみます。サクラーティ様のところへは、本当に俺一人では行かない方がいいのですか?」
「もちろんだ。間藤家といえば少しはマシな対応をするかもしれぬが、猛獣のような奴だからな。とにかく、エバンゼリン殿への言伝をよろしく頼む。明、茶をありがとう」
「いいえ、また来てくださいね」

 サクラに会うのは何年ぶりであろうか。どうせ以前とは見た目も何も変わらないのだ。いや、あやつが洋装を纏えば、雰囲気も違うかもしれぬ。
 少しだけ何かしらの期待をしていて、心を弾ませて眠りについた。
 翌日、青い顔の進一郎が訪ねてくるまでは、サクラに会えると信じて疑わなかった。

「……どうした、進一郎」
「いや、その……」
「……」
「エヴァンジェリンさんは、サクラーティ様の居場所を知りませんでした」
「そうか……」

 だが、居場所がわからなかったくらいでここまで青い顔をするだろうか。まだ何かあるのであろうことは察しがついた。

「……エヴァンジェリンさんの伝手で、友好的な吸血鬼に話を聞けました。なんでも、サクラーティ様の分家の方とか。サクラーティ様は、戦後すぐにアメリカへ渡って以降消息不明だそうです」
「消息不明……。エバンゼリン殿の師匠とやらも、確か」
「はい。サクラーティ様はドロテアさんを探していたそうです」

 いつであったか、サクラが会いたいと言ったドロテア殿の消息がつかめなかった時の再現のようであった。
 美しき吸血鬼は、今も家出中ということか。それとも、またどこかに幽閉されたのか。

「ただ、はやてさんが聞きたがっていたことは、その分家の方に聞けましたよ。えぇっと、逆十字はイギリス、薔薇はイタリア、ナイフはドイツ、月はフランスだそうです。……はやてさんはイギリスの吸血鬼に襲われたことがあるってことですか?」
「左様。確か、ゾセフだったかな。名をサクラに教えてもらったことがある」

 サクラとの思い出を語ることになるとは、思いもしなかった。胸がチクリと痛む。あのわがままな吸血鬼はどこへ消えたのであろうか。
 本来の目的を忘れそうになったところで、ふと進一郎の手元のメモを見つけた。

「……フランスか」
「あぁ、これ。そうです。どうですか? 参考になりそうですか?」
「そうだな。あとは、語学に精通した者が必要だ。眷属が増える前にフランス語を話す吸血鬼を捕まえなくては」

 恐に話してみるか。しかしもう遅い。行動を開始するのは明日だな。
 進一郎に別れを告げ、恐に電話をしてみる。と、恐はもう吸血鬼退治はしない、と言い切った。

「な、なんで」
『俺が退治してたのは、仕事だったからです』
「――……」
『もうその仕事は終わった。引き渡す場所もない。捕まえて、どうするつもりですか?』
「どうって……」
『ね? 確かに三日月のやつは俺たちがやり残した仕事だ。けど、捕まえたところでどうしようもない。なら俺は何もしない』
「被害が、拡大するかもしれないんだぞ――……」
『……義憤に駆られることは否定しません。だけど、捕まえてどうするつもりかと俺は聞いているのに、あなたは答えられないじゃないか』
「……」

 縛り付けてどこぞの屋上にでも転がせばいい――……などと、言えるはずもなかった。
 それは殺人だ。
 どこで間違った? どこで、その境界線が緩んだ?

「……そう……だな。悪い、確かにわらわは何もできない。冷静になった、ありがとう」
『いいえ、またコーヒー飲みに行きます』
「あぁ」

 電話を切ると、深いため息が漏れた。わらわは一人ではだめだ。今回は言葉のこともあるが、それ以上に、わらわの善悪の基準が揺らいだときに止めてくれる者が必要だ。
 しかし、もう誰もいなくなってしまった。