教祖・クロノス
時子は、新興宗教団体血の絆の教祖クロノスと名乗りテレビに引っ張りだこだ。藤丸に教えてもらったところによると、クロノスというのは外国の神話の時の神の名前で、ただ時子という名前をもじっただけらしい。
「時子おばさんみたいな人をカリスマっていうのかなぁ」
春吉がテレビを見ながらのんびり言う。芽衣子に持たされたという水筒の茶をすすりながらもテレビから目を離さない。
『――引き続き、教祖クロノス氏の謎に迫る特集です。不死という点では吸血鬼に似ていますが、日光を浴びても平然としている彼女は、特に吸血鬼の信者を多く集め――……』
「ぷろじゅーすが上手いと藤丸が言っていた。ジュースというのは飲み物だろう。どんな飲み物だ? 時子が売っているのか」
「そりゃたぶんプロデュースのことだな。こう……売り出すための戦略のことだよ。確かにうまいと思う」
『それにしても不死ってのがいかにも胡散臭いじゃないですか』
『不思議ですよね、教祖クロノス氏本人に関する噂を集めてみました』
こうして時子、もといクロノスはテレビを通して広く詳細が知られていくのか。テレビの関係者は『クロノス』が頭のおかしい人間だという認識はあっても危険人物だという認識には見えないらしかった。そこは、時子が元来持つお嬢様気質が関係しているのかもしれないとひそかに考えてしまう。
「しかし……、吸血鬼になってしまった人の救済だったか? この護身術の訓練……人を襲う訓練にしか見えんな」
「信者も、少し焦点がずれたような者も多いな」
「そうだなぁ、目がギラギラしてるというか……、どこを見てるのかわからなくて見るからに怪しいな」
なんとなく子どもを近付けたくない容姿だ。吸血鬼の島を女性限定にした時子にしては、人選が怪しい。
「……時子は……、吸血鬼の国を作ると言った」
「え? それはもう島でやっただろ」
「日ノ本を丸ごと、吸血鬼の国にすると言うたのだ」
「ひのもと……って、日本を!?」
「左様」
春吉は飲んでいた茶をぶーっと噴き出さんばかりに驚いて立ち上がった。
「あれは人を襲う訓練、そのものやもしれぬ」
「こんな堂々と犯罪組織作ってるってことか!?」
「……可能性の話だ。武器は奴らの牙だ。……わらわはあの組織が道を外れたとき、時子を手にかけてしまわねばならぬかもしれん。しかしまだ何もない今動けば、昔のように吸血鬼の人権だなんだと騒ぎ立てられることは明白だ」
「時子おばさんは何を考えているんだろう」
「あれも長く生きて常識が狂うた化け物よ。以前は共存が叶わぬならば吸血鬼を始末し共存可能な者だけを選ぶという考えであったが、共存が叶わぬならば人間を支配し共存させてやる方が早い」
「……怖いな。というか、俺が一番怖いのはさ……、どっちの考えでも人間と吸血鬼がいて、力関係はそれぞれ違うかもしれないけど、どっちにしろその一番上に時子おばさんがいるっていう考えが自然にあるってことなんだけど」
「それもそうだな。奴は元々、徳川将軍に嫁ぐために育てられた娘だ。支配することを教育されてきたのかもな」
「なんだそれ、聞いてない」
そこからはただの思い出話で、テレビの中の時子のことが話題に上ることはなかった。
その夜、春吉の言っていたことを考えた。
「どちらにせよ時子が上、か」
時子の考えをよく理解できたことはほとんどない。わらわが人並み以下という可能性もあるが、それでも時子は人並み以上に頭の切れる奴であると思う。
そんな時子が、あんなに怪しい連中を集めて何をしようとしているのだろうか。
わらわが考えて理解できることは不可能だという結論が、先程出たばかりだ。
「……考えるだけ無駄か」
わらわはいつも通り見回りに出た。街は、時子がクロノスを名乗る前に比べると少しだけ人通りが減ったように思う。三日月の吸血鬼を倒した今となっては、吸血鬼を増やせる者はいないのでむしろ今の方が安全なはずなのだが、テレビであれほど『奇人が吸血鬼を集めている』という情報が流れれば危険を感じるらしい。
市井の行動には少しがっかりしつつ細い路地が連なる商店街を歩いていると、どこからか悲鳴が聞こえた。
「やめてぇっ」
「すげー本当にすぐ治る!」
「おらぁっ」
「痛い! 痛い! 痛い!」
声の方へ駆け寄ると、複数の男が寄ってたかって一人の女を運動用の棒で殴ったり蹴ったりしていた。女の体や男たちの反応を見るに、被害者は吸血鬼のようだった。
今まで人として生きてきて、不幸にも眷属になっただけであろう女には同情を禁じ得ない。
「……クズ共め。やめろ」
「なんだ? 高校生か?」
「お嬢ちゃん、これは害獣駆除だよ」
「声はかけたからな」
遁走術を使うまでもない。わらわが攻撃するとは思っていない男たちを体術でのしてやると、女はおずおずと男たちから離れた。
「……ありがとうございます」
「何があった?」
「許せません、今まさにこうして、吸血鬼が虐げられ……! あら、通報してくださった方ですわね」
「はい、こちらの親切な方が助けてくださりました」
聞き覚えのある声に顔をあげると、驚いた顔の時子がいた。テレビカメラを引き連れているところを見ると、虐げられる吸血鬼を救うという新たな戦略だったのかもしれない。
考えてみれば、被害者も加害者もわざとらしかったような。あれは演技だったのではないだろうか。
「……神の使いを助けてくださり、感謝いたします」
「吸血鬼は神の使いではない。彼女も何も抵抗できない普通の人間で、本物の吸血鬼の被害者だ」
カメラはまだ回っている。下手なことは言わない方がよかろうことはすぐに察せられた。
「そうですわね、このような被害者が普通に暮らせる世の中のために、わたくし達は日々祈りを捧げています。……あら? その首の印……。あなたも被害者のようですわね」
「!?」
時子め、何を考えている。
首の紋を手で押さえると、時子はにじり寄ってきてわらわの手を両手で包んだ。
「虐げられている仲間を救うために毎夜見回りをしている方というのはあなたですわね?」
「ち、違う……。何を言って……」
「否定しなくても大丈夫ですわ。大丈夫、お顔は隠してもらいますわね。いいでしょう? ディレクターさん」
「ま、いいでしょう」
「……何を考えている、時子」
「平等のためにあらゆる手を尽くしているだけですわ。どちらに付きますの? はやてさん」
「わらわは人間の側に立つ」
「吸血鬼なのに?」
「今は吸血鬼だろうが、元人間だからだ」
「人間なんて、苦しめるばかりで何もしてくれないのに」
サクラが似たようなことを言っていたのを思い出す。
「道は分かたれたのだ。貴様の信徒が人間に危害を加えるなら、わらわは殺す。そしてそれを煽るなら、貴様を殺す」
皮肉にもわらわのこの言葉は、時子、基、クロノスへの殺害予告として大々的に取り上げられ、世の中が不気味な新興宗教を受け入れる足掛かりとなったのだった。
*
きちんと顔を隠されていたにも関わらず、時折時子に心酔した者に襲われる。全て返り討ちにして問い質したが、誰一人として正式な信者ではなかった。時子の言葉が届いて、指示を受けた者ではないということだ。
なんの手掛かりにならない顔を隠された映像でわらわの居所を突き止めようというのだから、並大抵の執念ではない。
「わらわがここにいては危険だ。半年ほど身を隠す」
「え」
藤丸が呆けた顔で聞き返す。少し腹が出てきた藤丸は、詳細な事情を話すと納得したように頷いた。
「……いつまで?」
「子が生まれる頃には戻ってくる」
襲われるのはいつも見回りの途中で、不幸中の幸いとでも言うべきか、家の所在が知れ渡っているわけではないようだった。
久しぶりの放浪生活は、以前のように気ままというわけにもいかなかった。土遁が使えるような場所は山周辺にしかなくなっていたし、誰が所有しているのかわからない建物などはほとんどなかった。
ふと、山で生活していた頃のことを思い出した。はやてになる前の散舞の里のことだ。
江戸の末期まで形を変えて残っていた散舞の里はこの手で滅ぼした。伊賀や甲賀はどうなっているのであろうか。甲賀はともかく、伊賀は徳川幕府についていたはずだ。それに、もしかしたら正重の墓もあるかもしれない。
そう考えて、わらわは伊賀へ向かってみることにした。
*
三重県と名前を変えた伊賀についたのは、夜明け前のことだった。全国津々浦々に道路が敷かれているのを実感するものの、山々に囲まれた町はかわいらしいものだった。
山の奥深くへ分け入り、土遁と木遁で簡易的な寝床を作る。ふかふかの寝床に慣れ過ぎたようでよく眠れず、横になったまま隙間から外を眺め続けていると、人影が過ぎた。木こりではない身のこなしに、半ば存在を確信した。途端に睡魔に襲われたところをみると、伊賀の者がいるわずかな可能性に安堵したのだろうが、自覚はなかった。
日が落ちた頃に目を覚ますと、覗き込む男と目があった。深い色の瞳は落ちくぼんでいる。
「……」
「……」
クナイを握りこむと、男は一歩下がった。不思議な雰囲気の男だった。だが、伊賀の忍であると半ば確信めいたものがある。この男にここにいる目的を話してみよう、そう思った。
「……伊賀の里を探している。いや、里も別にいい。墓があれば拝んでおきたい」
「墓、か」
男は少し思案して顔を上げた。別に断られても問題はない。“はやて”は伊賀者より非力だが数段早いのだ。追いかけることができる。
「いいだろう。こっちだ。山道は慣れてそうだし、今案内する」
「……ありがとう」
木のうろから出る間、彼は木を眺めていた。
うろの中にいた時は顔しか見えなかったが、這い出てから見てみると、男の服装はちぐはぐで奇妙だった。上半身は最近流行りの服、下半身は昭和に流行った服だ。ところどころは破れていて、奇妙さに拍車をかける。
男は私が固まっているのを気にせず、私の腕を掴んだ。
「すごいな、甲賀衆みたいだ。行こう」
男は私の腕を掴んだまま歩き出す。
「足元は大丈夫なので手を放してもらえないか」
「あ、あぁ。悪い」
少し恐ろしさを感じる。強さなどではなく、何かが恐ろしい。
「ここが墓だ。といっても、本当の墓は津々浦々にきちんとある。ここは形見を集めた場所だ」
暗い場所だった。ただ大きな奇岩に、おびただしい数の朽ちた布や何かの小さな欠片が散らばっていた。
そこに手を合わせる。思えば、転生してくると――……会えると信じきっていて、正重のために手を合わせるのは初めてだった。
「礼を言う」
「もう俺以外にはいない。きっと喜んでるさ。里もとっくにない」
「やはり……」
その瞬間、男の長い髪が隠していた首筋を月明かりが照らし、桜の花の痣が見えた。いや、痣じゃない。紋だ。サクラの紋。
「サクラの……眷属……」
「あぁ。サクラアテ様のご友人様。やっと気付いてくれた。貴殿が檻の中にいたのはよく覚えてる。俺は少し羨ましかったよ」
「サクラの警護をしていたのか」
「そうだ。家康公のときから綱吉公のときまで。最初は衰えることがない体は最高だったよ」
わからなくもない。男の思い出話は止まらない。目が血走っている。わらわは動けない。帰ろうとすれば捕らえられるだろう。
「だが次第に……、辛くなった。親はもちろん、子さえも先に死んでいく。ひ孫を看取ってから、俺は江戸城から逃げ出した。だがそれも辛くなり、時々戻った。貴殿を見たのはその時だ。サクラアテ様は気まぐれだが、子どもの代わりに俺の血を飲むのは断らなかった。俺は話し相手がほしかった。サクラアテ様は旅の話が好きだった」
「……確かに、旅の話を聞かせろとよく言われた」
「俺は狂っていくばかりだ。人を襲うようになった。登山客を……」
男は、不意に立ち上がった。思わず後ずさると、彼はじりじりとにじり寄ってきた。
「世界も狂っていくばかり。貴殿を案内したのは頼みがあるからだ」
「……頼み……?」
「俺を殺してくれ。俺を灰にしてくれ」
それはただの、心からの願いだった。
――吸血鬼の唯一の死因は自殺にございます。
わらわも、正重の転生を信じなければこうなっていたかもしれない。
「自殺する勇気はないのだ……。日光の下に出ようとすると、ひどく恐ろしくなる。だがこれ以上はもう狂えない。俺はこれ以上狂えないんだ。わかるか? 一度正気に戻るんだ。登山客を殺した次の日に死のうと思うんだ。でもできない」
男は、何度も「わかるか?」と言った。わらわはその度に「わかる」と返事した。
わらわはどうするのが正しいのだろうか。何が正しいのかなど何もわからない。嘱託殺人など気味が悪い。暗殺依頼とは別物だ。だが、この男の言うことがわからないでもない。
「いや、わらわは殺さない」
「なぜだ」
「狂うておらぬからだ」
「俺が?」
「あぁ。墓に案内してくれた。正気に戻るのだろう。ならば正気ではないか」
わらわは、第三の選択肢を選んだ。
「もう一度忍びとして潜入してみないか?」